醍醐天皇(だいごてんのう)

藤原時平の中傷に乗って菅原道真を大宰府に左遷した張本人です(^^;)。菅原道真没後、死ぬまでその怨霊に怯え続けた気の毒な方(^^;)。

   897年 父である宇多天皇より位を譲られて即位する。(御年13歳)
       この時、権大納言/菅原道真(53歳)vs大納言/藤原時平(27歳)
   901年 藤原時平の中傷により、菅原道真を大宰府に流す。(御年17歳)
   903年 道真(59歳)、大宰府にて没する。(御年19歳)       
          ▼ (以降、道真の怨霊に怯える事となる。)
   909年 藤原時平(39歳)没する。(御年25歳)           
          ▼ 913年 右大臣源光(時平の一派で道真を迫害)変死
          ▼ 923年 時平の妹の生んだ皇太子保明親王21才で急死
          ▼ 925年 次の皇太子慶頼親王(保明親王の子=時平の孫)5才で夭折
   930年 6月、折しも会議中の清涼殿に落雷。数人の死傷者が出る。(※1)
       9月、落雷のショックから醍醐帝没する。(御年46歳)

(※1)『殿上に侍する者大納言正三位兼行民部卿藤原朝臣清貫は衣焼け胸裂けて夭亡す(年六十三)。又従四位下行右中弁兼内蔵頭平朝臣希世は顔焼けて臥す。又紫宸殿に上る者右兵衛佐美努忠包は髪焼けて死亡す。紀蔭連は腹燔け悶乱す。安曇宗仁は膝焼けて臥す。民部卿朝臣(清貫)は半蔀に載せ陽明門外に至り車に載す。希世朝臣は半蔀に載せ修明門外に至り車に載す。時に両家の人々悉く侍所に乱入し哭泣の声禁止すれど休まず。……』(新訂増補国史大系『日本紀略後篇・百練抄』吉川弘文館 1965.8)だそうです。

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