というわけで、安倍晴明は賀茂忠行の愛弟子であったわけですが、枕草子に以下のような一文があります。
『陰陽師のもとに仕えている少年は、じつによく何かと気がつく。祓(はらえ)などにいった時、祭文を読むのは人々もあたりまえぐらいに思っているらしいが、念じ出された物の怪で倒れた人のそばにつっと走っていって、主人が水をかけてくれとも言わないのに、かけたりするさまの、ちゃんときまりを知り、少しでも主人にものを言わせないのがほんとうにうらやましい。あれほどよく気のつくものがあったら使いたいと思う。』(第300段)
清少納言が定子に仕えた時代(993〜1000)には、晴明は80近い高齢ながら生きていたわけですので、案外顔見知りだったかも知れませんね(^^)。
(博雅は既に亡くなってますが、、。)
