祐姫が生んだ、村上天皇の第一王子です。本来なら東宮(皇太子)になるはずのところを、ちょっと後から生まれた憲平親王(第二王子:母は藤原安子)にその座を奪われて、それが原因で祐姫親子が憤死して怨霊になった、、、って事実は明白なんですが、、一つ疑問が。
コミックでは、『広平親王は東宮の座を奪われた上、すぐ死んだ』事になっていて、それが祐姫親子の憤死の一大原因になっているのですが、私が図書館で見た天皇家の系図上の広平親王は『22歳まで生きていた』事になっているのです。これはずっと疑問に思っていて、この度もう一度系図の本を見てみたのですが、やっぱり見まちがいではなく、村上天皇の第一王子の広平親王という人は、22歳で、西暦971年の9月に亡くなったと記されていました。また一方、日本史年表という辞典を見ると、やっぱり西暦971年の9月のところに「広平親王(22)没する」とかかれております。とすると、祐姫親子は幼い子を残して憤死した事になるんですが、、それって子供がかわいそうじゃない?? その辺やや展開が不自然な気もしますね〜〜。本当はどうだったんでしょうか?
それはさておき、第一王子広平親王が西暦971年に22歳で亡くなったとすると、生年は、単純に引き算すると西暦971年-22年=西暦949年頃。一方、第二王子だった憲平親王、後の冷泉さんが亡くなったのが西暦1011年で62歳とされてますから、やはり単純に引き算すると西暦1011年-62年=西暦949年頃。なんと同じ年ではありませんか(^^;)。ほんとにわずかな生まれ月の差ゆえ、余計に熾烈な東宮争いになったんでしょうね。
(おそらく生まれる前から、、)(で、結局は、元方側が逆転負けって事で、、)