「白比丘尼」の話はもう何度も読んでいるのですが、何度読んでも意味がはっきりとつかめぬ(^^;)所が私には3箇所ほどあります(^^;;)。もうお手上げ。誰か解釈を教えて下さいませ。
その1:物語のラスト近く、瀕死の比丘尼に晴明が『そなたちっとも変わっておらぬ 三十年前出合うた時そのままぞ』というと、比丘尼が『晴明さまこそ 二十年前とちっともお変わりなく』という、ここまではいいんです。その後の晴明&博雅のリアクションがよく理解できない。すなわち晴明の驚いたような怒ったような厳しい表情と「……」という無言、及び博雅の何かに気付いたような表情と「む……」とは??、、、、う〜〜んわからない!
その2:その次の場面『おれは待っていたのだぞ比丘尼 そなたに禍蛇の溜まるはそなた自身の理由ぞ もうわずかに耐えれば何者とてそなたに近づけなくなったはず 何ぞ三百年ごとき』の晴明の言葉の内容も「何をどう耐えれば何故比丘尼に何者も近づけなくなるのか?」よくわからんし、、また、それを聞いて比丘尼が『……何と…… はじめてお目にかかった時あなたは童子でおられました うかつでございました…… 私を死なせて下さると思っていたあなたさまが 私の待っていた私を生かして下さる方でございましたが……』とは??一体何を意味しているのでしょう??(それって、まさか晴明が「不老不死の仲間(^^;)」って意味????)
その3:補足解説の最後にある岡野玲子さんの『尚、原作者の獏さんにお許しいただければ、「白比丘尼」をすべての泉に、捧げたい。』という言葉、、この内容もいまいちはっきりとは理解できない。「すべての泉」とは何を表しているのか?(女性か?)
また何故「泉」にこの話を捧げるのか? そもそも、原作からコミックへの物語の変容はどちら(夢枕さんor岡野さん)の手になるものなのか? 私は岡野さんの手と思っていたのですが、「獏さんにお許し」をいただくという事は、やっぱり夢枕さんの手になるのでしょうか?? それにしても、原作では比丘尼は死なずに晴明と博雅の手で禍蛇を払ってもらってまたいずくへかと姿を消すわけなのですが、コミック版では死なせてしまっているんです。??何故??