2003年9月22日



今日から長文シリーズ。

留学中に出会った在米朝鮮人との交流から読み取れる朝鮮人(韓国人)のタイプに関する考察。




米国カリフォルニア留学記

修理屋マイクその1



俺がアメリカ西海岸ロサンゼルス近郊に留学していたころの話し。
住んでいた場所はいわゆる集合住宅地で、そこの住民用のカード(ゲート開閉用カード)か共通の入り口用のキーがなければ基本的に入れない住宅街だった。
2mくらいの高い壁で囲まれた住宅街で、いわゆる中流以上の階層が住むところ。


そこでは、同じ学校に通う日本人コミュニティーが存在していた。
日本人留学生が集団でそこを利用していたネスト的なものだ。

その日本人ネスト(巣)では、車屋に関しては一番近い整備屋にまかせるというのが一般的だった。
修理屋マイクという韓国系アメリカ人のやっている修理屋が一番近いために、そこを利用する人が大多数を占めていた。
マイクという名前ではあったが、どう見ても下町の修理屋のオヤジだったが。


ある日、修理屋マイクに関して、かなり疑問に思う事件が起った。


ことの始まりは俺の友達Aの車選びからである。

当時日本では海外ドラマのナイトライダーが流行っていた関係で、実際にアメリカに来たのだからナイトライダーと同じ車が欲しいという人が多かった。
当時の金で15万円も出せばナイトライダーが買えると言えば理解してもらえるだろうか。
ナイトライダーを15万円で買えるという事実だけで安易にファイアーバード(トランザム)という車を買う人が多かったのだ。

注:ナイトライダーを知らない若者は、20代後半以降のお兄さんに聞いてみるが良いさ。
聞かれもしないのにエアウルフとかの話しを語り出す人がきっといるはず



ただこのファイアーバードという車は、見かけはスポーティーカーなのだが凄く馬力があるというわけでもなかった。
言うなれば見かけだけのハッタリ車とでも言おうか。
羊の皮をかぶった狼ではなく、狼の皮をかぶった羊と形容した方が良いかもしんない。
上級グレードのファイアーバードはそこそこ馬力の出るエンジンなのだが、タマ数が少ないために低級グレードのファイアーバードしか選択肢に入らない。
それでいて燃費が最悪という、どこをとっても格好だけという車。
(リッター3〜4Km程度で馬力もたいしたこと無し)


友達は速い車が欲しいということで、このファイアーバードのライバルという感じの車、ポンティアック・フィエロを選んだ。
このフィエロは本当に馬力が高く、ファイアーバードよりはよっぽど本格的なスポーティーカーであった。
言うなれば狼の皮をかぶった狼である。
日本車のスポーティーカーの場合、当時のアメリカでは本当に羊の皮をかぶった狼であったのだが、中古市場ではえらく値がはっていたので買おうとする人は少なかった。
まあ中には日産の対米輸出車である180SX(ワンエイティー)ならぬ240SX(トゥーフォーティー)に乗っていた友人もいた。
だが、転売目的だったらしいのでちょっと意味合いが違うとは思う。

とりあえずアメリカっぽい車で、なおかつ速い車ということで友人Aはフィエロに決めたのだった。
友人Aはスポーティーな外観のフィエロがいたく気に入り、ファイアーバードより若干高い20万くらいで、中古車屋から購入となった。




初日は特に問題もなく、友達はご機嫌で走らせていたのだが、2日目に事件は起こった。
その友達と行ったドライブの帰路、友達が突然突然クラッチが切れなくなったと言い出したのだ。
最初はギャグかとも思ったのだが、路肩に車を止めて確認すると本当にクラッチが切れない。

購入2日目でクラッチの故障という信じられないトラブル。

友達は当然怒った。
買って2日でぶっこわれたんじゃ怒るなって方が無理だ。

幸いというか、住んでる集合住宅地までは4〜5Km程度の距離での故障だったので、俺が徒歩で戻ってから俺の車で牽引ロープを持ってくることにした。
さらっと書いたが、砂漠の中の一本道のようなところを4Km以上の距離を歩いて戻ったのだ。
(その後友人Aからは、その後何度か飯をおごってもらったが)



当時は携帯電話を持っている人の方が珍しかったので、他の仲間を呼ぶのも無理だし徒歩で戻るしかなかった。

周囲は店も人家も無い場所であり・・・というより砂漠だったし。
砂漠っても一応まばらに植物は生えてはいるが、でもやっぱり地平線の見えるような不毛な大地は砂漠だと思う


結局1時間ほど歩いて戻り、返す刀で俺の車で友達の車のところへ戻った。
当時では牽引ロープは必需品であり、その牽引ロープで修理屋マイクのところまで牽引することにした。
(その後、自分の職業として日本で牽引しまくるとは当時は考えもしなかったが)

牽引するとき、フィエロを買った中古車屋に行くことも考えた。
だが、中古車屋では修理はできないだろうという判断で、しかたなくマイクのところへ行く感じだったろうか。
買ったショップには整備に関することは全くやっていなかったのは明白だったので。




んで修理屋マイクのところまでフィエロを引っ張っていき、どこが悪いのかを見てもらうことになった。

そのころの俺は、車に対する知識は絶対的に不足していた。
たとえばクラッチはワイヤー式と油圧式があるのは知っていたが、アメリカではほとんどがワイヤー式だと思いこんでいた。
(あながち間違ってはいなかったが)

だからワイヤーが切れたんだから、それを交換してしまえば良いだろうとか思っていたのだった。




友人Aは英語が堪能なので、何が原因なのかマイクからちゃんと聞くことができ、それを翻訳して俺に教えてくれる。

どうもフィエロは油圧式クラッチで、その油圧伝達装置のマスターシリンダーが壊れてしまったそうだ。
さらに、マスターシリンダーの新品部品はそれなりに高く、工賃を入れると250ドル(当時のレートで3万円弱くらい)にもなると言うではないか。
今なら変な価格だと思ったはずだが、当時の俺はメカに関してはかなり無知。

値段に関して納得してない様子の友人Aと俺を見て、マイクはパーツ発注センターに電話をした。
このパーツの値段は確かだと友達に確認をさせ、パーツだけで170〜200ドルくらいはかかると言う。それに工賃を足して250ドルというわけだ。
さらにマイクは、買って2日目に壊れるのはおかしいので、フィエロを売った中古屋に交渉して半額は出させると自信満々で言い出す。
友達は半額になるならと言うことで交渉をマイクにまかせ、修理を頼むことになった。




数日後フィエロは無事に治り、払った金も半額の125ドルだったわけだが・・・
帰国後プロのメカニックになった俺からするとおかしなことだらけ。

そのおかしなことを今の俺の知識を元に考えてみよう。



クラッチのマスターシリンダーが壊れたというのは本当のことだと思う。
全く切れない状態になった油圧クラッチの故障ポイントは、今ではきっちり理解できているし。

日本では自家用車だと、新車の場合は3年後に車検となり、その後は2年ごとの車検となる。
その間隔だと悪いところは先に直してしまうから、こういうトラブルはほとんど無い。
そのクラッチのマスターシリンダーが仮に壊れたとしても、悪い部分はカップというゴム部品であることがほとんどであり、金属部分が磨耗するのはかなり例外的な故障と言える。


ただ・・・












アメリカの場合は、金属パーツが磨耗しまくるくらいに酷使される車の方が多いが

冗談だろうってくらい使いこまれてる車が多い社会がアメリカ。
俺の乗ってた車なんて、当時の俺の年齢よりも車齢が高かったくらい。


日本の場合、パーツ丸ごと交換をするのは一部ディーラーか悪徳業者くらいのもので、大抵は丸ごと交換ではなしに、カップというゴム部分を交換するのが普通。
ピストン部分も交換すると少し高くつくこともあるが、それでも部品代だけで2万円を超えるというのはまず有り得ないし、仮に丸ごと交換したって1万円以上のパーツ代は普通はありえない。
通常はカップキットの交換で修理可能なのだが、そのカップキットの金額は1000円を超えることはほとんど無いのだ。
工賃も時間工賃を高く見積もって1万円と考えても、30分程度で請求するとなると5000円程度だろうか。
かかる時間は油圧クラッチのエア抜きなどでそれなりにかかるが、まともな業者なら1万円以上ふっかけることは少ないと思う。
(通にクラッチディスクやフライホイールがダメになった場合、もっと金かかっちゃう)




友達のフィエロの修理にかかる原価(工賃含む)を日本の場合で算出すると、当時の円のレートから換算すると日本でかかる2倍以上の請求になってたと思われる。

物価が安く労働賃金も日本よりもはるかに安いアメリカで、日本でマトモに修理する金額の倍以上の請求

これはどう考えてもおかしいとは思った。
半額になったはずなのに、日本で高く見積もった価格よりも割高になってしまっているのだ。






だがいくら粘っても安くならなかったのだ。

値段交渉をしまくったが、どうしても安くするつもりはないらしいマイク。
日本での事例を出して交渉しても、絶対引くことのなかったマイク。
当時の俺は確かにメカに関して素人だったが、素人から見ても何かおかしいと感じていたマイク。






だが、結局修理屋マイクに支払うことになった。













あの韓国系アメリカ人マイク価格設定はおかしいだろうというシコリを残して。


その2へ続く。





2003年9月25日



引き続き米国カリフォルニア留学記。
さらに長文。



修理屋マイクその2



修理屋マイクに不信感が出始めたころ、日本人ネストに新たな仲間が増えることとなった。

なんと元プロのメカニックという経歴の持ち主が2人も増えたのである。
どちらも少し前まで現役だったプロの車のメカニックで、人柄も良い好人物な人と、見た目がちょっと怪しい人の2名。


この二人のメカニックの登場により、修理屋マイクのボッタクリが後々にわかってくることとなる。

関西から来た好人物メカニックのAさんが修理屋マイクのところへ連れていった時に言った一言は今でも印象に残っている。

「日本やったら1万で直せるゆうのに、物価も人件費も安いアメリカで何で倍近い金が必要なん?」


見た目が怪しい元メカニックのBさんも連れて行ったことがあるのだが、同じようなことを言った。

「この修理って、日本ではもっと安くできるよ。アメリカだから日本より安くても良いよね」

当時はかなりの円高で、ハンバーガー1個を30円程度で買える店があったくらい。
さらに人件費も確実に日本よりも安いはず。
ところが修理屋マイクにかかると、とたんに日本で修理するよりもはるかに高い金額になってしまう。




基本的に、この在米朝鮮人の修理屋マイクは、日本人からは徹底的にぼったくっていたようだ




結局この2名の元メカニックによって、修理屋マイクがボッタクリ商売をしてるのは誰の目にも明らかになった。
そして噂は広がり、修理屋マイクのところに修理を頼む日本人は俺以外は皆無になってしまった。
もちろん俺も高いというのは理解していた。


だが、なんだかんだで一番近い修理屋ということで、突発的トラブルの場合は修理屋マイクを利用することがそれなりにあった。
それに、なぜだかわからないが俺が行くと修理屋マイクの価格が普通の修理屋と同じくらいになるか、もしくは安くなることが多かったのだ。


だが俺がついていかないで紹介した客に関しては、同じ修理でも値段が3倍近くまで跳ねあがるというトラブルがあり、俺も自分で行かない場合は修理屋マイクを紹介することはなくなっていった。
紹介したと言っても一番近い修理屋を教えただけであり、俺の直接の紹介ではなかったのが修理屋マイクと日本人達を遠ざける原因になったようだが。
つまり高すぎるという理由で。





そして俺たち日本人ネストから修理屋マイクに行く人は誰もいなくなった。
俺も含めて。


だが、しばらくしてからブレーキが効かなくなるというトラブルが俺の愛車で起こった。
新たに仲間になった元プロのメカニックAに見てもらったところ、ブレーキパッドが完全に無くなっているという。
パッドを調達できればすぐ治せるけど、古い型だからパーツショップでも取り寄せになるだろうとのこと。
(当時の俺の年齢よりもその車は歳をくっていた)


一般人向けのパーツのテレフォンサービス販売があったのだが、そこで探すのはかなり面倒だし、近くのそういったパーツを扱っているショップの店員なんかから聞いた方が早いという結論に落ちつく。
だが、近くの車関係パーツを扱ってる店では結局取り扱ってない。
店員からは電話サービス販売で取り寄せてくれと言われた。
本末転倒とはこのことである。
英語に堪能な友人に頼んではみたものの、ガイダンスにしたがって聞いていっても目当てのブレーキパッドが出てこない。


結局俺は修理屋マイクのところへ愛車を持って行くことにしたのだった。







車を持っている暇そうな友達に牽引を頼んで、マイクのところへ行ってブレーキ修理を頼んだが、なにやらマイクの様子がおかしい。


開口一番、



「なんで最近お前ら日本人は来なくなったんだ?」

との質問。

俺は英語でうまく言えなかったために「高い。他の修理屋、安い」なんて単語を並べただけであった。
だがマイクは高いのになんでここへ来たんだとか聞いてくる。

当時の俺の英語は、相手に単語を理解してもらえれば良いというデタラメさだったので、とにかく単語の羅列が基本。
そんな俺は、我ながらとんでもないことを言ってしまった。
「あんた、友達。
会ってる、何度も。
修理テクニック、信じてる」
さらに俺は俺はフォローとして、「あんたは良い人だと思う」と、トドメを刺すようなことを言ってしまった
修理屋マイクにはかなりの不信感があった俺なのだが、マイクだって生活がかかってるのだろうから多少ぼったくるのはしょうがないと思ったのも事実。



そしてマイクはブレーキに関して説明を始める。
俺としては元プロのメカニックから聞いていたことと同じことを英語で言われただけで「友達もそう言っていた」と繰り返すしかなかった。

マイクの説明だとブレーキパッドはすぐ手に入ると言い、問題はブレーキディスクもなんとかする必要があるというものだった。
とりあえず車を置いて、牽引に付き合ってもらった友達の車で戻ることになった。


それから翌日だったか2日後だったろうか記憶はあやふやだが、マイクから電話がかかってきた。
部品が届いたから、とにかく今日来いというような電話なようだ。
片言でしかコミュニケーションできない俺は、身振り手振りのできない電話では難しい会話は不可能である。
とりあえず時間だけ約束して電話を切った。
だが、問題は修理屋マイクのところへ行く足(車)がなかったことだった。
仲の良い車を持ってる友達が捕まらないから、無理矢理車を持ってる人(以降C)に頼んで連れていってもらうことにする。
(この人物は英会話がちゃんとできる)



約束していた時間に修理屋マイクのところへ付くと、マイクはすぐ作業にかかるから待っていろと言った。
日本人的考え方だと、修理が終わってから呼んでくれれば良いのにとも思ったが、マイクは作業を包み隠さず見せるから見てってくれと言い出した。
てっきり修理は終わっているものだと思ってたのだが、マイクは修理しているところを見せたいようだ
日本の整備屋なら、仕事はちゃんと仕上げてから客に来てもらうものだが・・・



まあ当時から車の修理やメンテナンスには強い興味があったので、どういう作業をするのか見てみることにする。

見てると単純にブレーキパッドを交換するのではなく、ブレーキローターまで外して、それを特殊な工具で研磨を始めた。
幸いというかなんというか、わざわざ車を出して連れてきてもらった人物Cは、過去にも留学経験があって英語は堪能。

彼はマイクの言ってることを全部翻訳してくれた。



マイクによると、単純にパッドを交換しただけでは問題が出るだろうから、念の為にローターを研磨しているのだと言う。
でこぼこになったローターを平らにすると、新品のパッドでも問題が少なくなるのだという。
だが修理屋マイクは高いというのはみんなが知っている事実。
だから高くなりすぎるようなら、そういう作業はやらないで欲しいと頼んだが、マイクは「俺にまかせておけ」と言うばかり。

通訳をしてくれている人物Cも、お気の毒にという表情。
作業の合間にそのCが、最近別の修理屋で同じ修理を頼んだ人が、150ドルくらいかかったという話しをしてくれる。
てことはマイクの場合は300ドルくらいは平気で請求してくるかもしれない。
修理代金として200ドル程度しか持ってきてなかった俺は一気に不安になった。
場合によってはわざわざ付き合ってもらったCに金を借りる必要すら出てくる。
Cと仲は悪くなかったが、友達と言うほど会話をしたことはなかった。
だからそこまで頼むのは気が引ける。



そんな心配はよそに、マイクと従業員はローターの研磨を終わらせ、今度は組みつけ作業に入っていた。
もうすぐ終わるから待っててくれとマイクに言われ、Cと一緒に日本人ネストでの人間関係などを話しこむ。

そんなこんなで組みつけは20〜30分ほどで終わり、マイクは清々しい笑顔で「修理は完璧だ」と言い放った。



さて、問題は値段である。
そこで俺はあらかじめ予防線をはっておくことにした。
今月は100ドル以上払うと生活が厳しいというのをCに翻訳してもらった。
あんまり高いと生活できねーよって意味合いをうまく翻訳してくれたのかどうかはわからないが、マイクが提示した値段は驚くべきものだった










70ドルで良いよ。今月厳しいなら・・・しょうがないから65ドルだ」

翻訳をしてくれているCもこれにはかなり驚いたようだ。
マイクが高いからマイクのとこ以外へ行った人だと、同じ修理で150ドルなのに俺の場合は65ドル


いったいこの差はなんなのだろう?


素直に聞いてみると、部品代はいいとこ30ドルもしないから工賃を40ドルのところ35ドルにまけたという。
まるでわけがわからない。
マイクがぼったくるから日本人留学生達は敬遠していたというのに、やたら安い金額なのである。
ましてやローター研磨までやっててこの価格は異常。
日本でなら軽く3万以上はかかってしまうのに。



「なぜ やすい?」
思わずそんなことを英語で聞いてしまったが、マイクの返事は意外なものだった。



「お前はファミリアーなフレンドだ。他の日本人とは違う」

翻訳してくれていたCもうまく日本語に訳せなかったが、ファミリア-フレンドだとマイクが言ったのは俺でも理解できた。
当時の俺としては全くもって意味がわからなかったのだが、翻訳してくれてたCも俺と同じような戸惑いがあったようだ。
俺が、どういう意味合いなんだろうなと聞いてもCは首をかしげるだけ。


「Cは俺のニューフレンドだが、Cにも安くしてくれないか?」

なんて聞いてみたところ、Cはファミリア-フレンドじゃないからダメだと言う。




理解不能!

Cはマイクと初見であったのだが、俺の仲の良い友達に見えていたはずである。
懇切丁寧に通訳してくれているし、さっさと帰ったりせずに一緒に仲良く語っているのだから、ある意味親友に見えてもおかしくはない状況であった。
だがマイクは、Cが単独で来た場合は安くできないし、するつもりもないと言う。


やっぱり、わけがわからない。
俺にだけは特別に安くするということらしいが、なぜそうなったのかが謎である。

確かに客はたくさん紹介してきたが、そのほとんどの客はマイクのところは高いということで離れていっているというのに




それでCに通訳してもらって、しばらくマイクと会話をしてみることにした。


とよ 「なんで俺に安くするのに俺の友達はダメなんだ?」

マイク 「お前は家族的友達だから安くする」

とよ 「ファミリアーフレンドって何? 親友みたいなもの?」

マイク 「親友ではなく、家族のようなものだ。お前は信用できる」

とよ 「確かにたくさん客を連れてきていたけど、儲けに繋がるから?」

マイク 「そうではない。お前は他の日本人よりは信用できる日本人だからだ」

とよ 「でも俺はマイクのとこはちょっと高いって言いふらしたことあるぞ」

マイク 「以前のようにたくさん客を連れてきてもらえれば問題ない」





「ようするに気に入られたってことかなぁ?」
日本語でCに意見を求めてみると、困惑した顔で良くわからないというゼスチャー。

C 「韓国人と文化が違うからとかじゃないっすか?」

とよ 「でも、俺って確かに客はいっぱい連れてきたけど、それだけで俺にここまでひいきしてくれるのって変じゃねえ?」

C 「まあ、今回のことは安くなったから良かったんじゃないすか?」

とよ 「釈然としないけど、まあいいか・・・」


途中で日本語の会話をしたのち、再びマイクに質問をしてみた。

とよ 「あんたが安く修理してくれるのはありがたい。でもなんで俺の友達だと高い値段になるんだ?」

マイク「友達とファミリアーフレンドは違う。だからだ」





まったくもって良くわからない。
どうして俺にだけ原価割れしそうな金額を提示するのか・・・?
俺が行くと、メカニックの元プロが日本でもありえないほど安い金額になることも多かったという事実。




まあ俺は安く車が治ったのだし、まあ良いかと深く考えずに帰路についた。

もちろんCは通訳やってくれた上に車まで出してもらったわけなんで、それなりにお礼をかましといたが。
(飯をおごっただけ)











ただ・・・元メカニックのAさんいわく














「この人ホモで、君のこと狙ってるんちゃう?」

なんて言われたくらい。
そのくらい俺の場合だけ異常に安くなっていた事実。
原価を無視してるんじゃないかというくらい安くなったこともしばしば。












ただマイクがホモなら結構怖いものがある


マイクがホモで、俺が狙われていたとしたら・・・
正直ぞっとしたのは事実。















なんたって、日本よりもそっちは先進国なアメリカだし。







続く。





2003年9月26日



長文シリーズの途中だけど、やっぱり今日は地震ネタ。


なんたって札幌にも被害でてたし。
液状化現象で家が傾いたとか、土砂が地面から吹き出たとか。


しかしまぁ札幌では久しぶりのデカイ地震だったと思う。
それも横に激しく揺れるタイプの地震で、時間も長め。

揺れに驚いて飛び起きたって人も多いそうだ。


ただ・・・














朝起きてから気付いた俺


ニブさここに極まる


朝起きたらいろんなものが床に散乱していた。
本棚の上の方にあったCDなんかがごっそり床に落ちていて、こんぴーたの上に置いていたDVDドライブとモニター横のスピーカーが落ちていた。
まあ壊れてはいないようなので良いのだが・・・


ただ気になったのは、知人が言ってた地震雲の話し。

前日に地震雲(上下に分かれてるってやつ)を見たと言っていたが、気にしない方が良いんじゃないとか言ってたら次の日に本当に地震。


とりあえずびっくりしておくことにする。














しゃっこんしゃっこんしゃっこんしゃっこん!
↑俺なりの驚きの表現。


意味がわからない人は2ちょ・・・2ちゃんねるの地震スレを見るが良いさ。

そういや串田氏は、北海道地方はノースウェーブと東京の局の周波数が重なってしまって最近正確なデータがとれないとか言ってたな。
まあ、まだ海のものとも山のものともつかない研究でもあるし、生暖かい目で見守ることにしてみよっと。





とりあえず、俺の中での最大の被害は、灰皿が落ちていたことかな。

しかも、よりにもよって灰満載時に。



ニブイ俺も悪いんだろうけどね・・・




2003年9月28日



再び長文シリーズ。



修理屋マイク(その他在米朝鮮人も) その3



マイクが俺だけをひいきするようになった理由は、結局わからずじまいだった。

ただマイクに関する話しは他にもいろいろある。


前出のポンティアック・フィエロを購入した友達(以降O)と一緒に、修理が終わったフィエロを引き取りに行った時のことだ。
なにやらマイクとハデなスーツを着た黒人が言い争っていた。
話しかけるのは躊躇してしまい、英会話に堪能なOに翻訳してもらうことにする。


早口でまくしたてているので、全体の流れをOが俺に教えてくれた。
どうやらマイクはその黒人の修理依頼を断っているらしい。
黒人は黒人で、どうして俺の車の修理はできないんだと怒っているが、マイクはかたくなに断りつづけた。

次第にアメリカ人特有のオーバーアクションになってくる黒人
切れる寸前という感じにまでなってくるが、どうやら話しがループしているようでらちがあかないらしい。
結局マイクのところの従業員(白人)が間に入るが、なかなか怒りがおさまらない。



マイクは、その黒人を無視した感じでこちらに話しかけてきた。
こちらとしてはたまったもんじゃない
喚きたてる黒人を無視してわざわざ話しかけてこないで欲しいとか思ったが、マイクはフィエロの修理の説明を始める。


マイクと黒人の間に入った白人従業員が、必死にその黒人をなだめているので、こちらとしてはとばっちりは勘弁とか思いながらもマイクの話を聞く。
まあ修理は完全に終わってるから、あとは乗って帰るだけで良いよという内容だったのではあるが。



トラブルはごめんだということで、とっとと帰ろうということになった。
帰る少し前あたりに、白人従業員がその黒人をなだめるのに成功したらしく、その黒人もマイクに修理してもらうのはあきらめたようだ。
だが、その黒人が牽引して別の工場に運びたいと言ったのに、マイクはそれすら断ったので再び切れる直前状態になってしまった。

結局俺とOは関わり合いになる必要もないので、すぐ帰ることにした。





実はマイクが黒人とトラブルというか言い争いになっていたことは、これだけではない。
少なくとも3回程度はこういうことがあった記憶がある。

このことから俺は、当時の知識からマイクは黒人が嫌いなのだという結論に達した。
なにせ少ない2〜3人の従業員は全員白人で、トラブルがあるのは黒人ばかり。


マイクは黒人差別主義者であったと考えるのが正しい結論だと思う。
簡単そうな修理の依頼であっても、黒人の依頼は徹底的に断り従業員は白人ばかりというのは、何か滑稽な感じすらする。





当時の俺は、白かろうが黒かろうが黄色かろうが特に関係ないと思ってた。
色が違っても良い奴もいれば悪い奴もいる。
そういった人種のしがらみなんかにこだわるのは馬鹿げているとも思っていた。
実際俺は、良く行くスーパー(米風ドラッグストア)では、黒人の警備員とはかなり仲が良かったし、ファーストフード店のメキシコ系の店員なんかとも仲が良かった。
単なる知り合いとして仲が良かったというだけでなく、相手の仕事が暇だったらつたない英語力で良く話しをしていた。
黒人警備員なんかとは、忍者はこういうものなんだよとか小1時間ほど立ち話をしたこともあった。
その黒人警備員は、後に友達連中が頭のおかしい浮浪者にからまれていたのを助けてくれたこともある。
さらにメキシコ系の女性は別な意味でも好印象だったが。
(小柄でスレンダーな人が多い、陽気で気さく、美人が多い等々)


色にこだわって偏見を持つのはおかしいと、当時の持論として俺の中で固まっていた。
ま、外見に関しては色々あるが、友達付き合いするのには色は関係ねーと思っていたのだ。


ただ、アメリカ在住朝鮮人に関しては妙なことが多々あった
マイクのことは言うに及ばず、他の在米朝鮮人に関しても。







俺の住んでいた集合住宅街は、2メートルくらいの塀に囲まれた中流以上のアメリカ人が住むところだった。
そこに日本人留学生が集団で住んでいるという感じだろうか。


ある日、そこに韓国留学生が大量に入ってきた。
ぱっと見、日本人と見分けがつかない朝鮮人。
俺は同じ黄色人種なんだから仲良くできるんじゃないかとか思っていたのだが、何か違和感がある。

彼らの存在を知ったのは、俺の部屋の前の駐車場スペースで15〜20人くらいで円陣を組んで踊っている彼らを見たときだろうか。
今まで存在を知らなかった彼らが、いきなり人の部屋の前でお祭り騒ぎをやっているのである。
うるさいのはともかく、異様な光景に見えた。
一見日本人に見える彼らが、米国の集合住宅地で円陣を組んで踊るというお祭り騒ぎをやっている。
俺は自分の部屋の前でどんちゃん騒ぎをしている、一見日本人風の朝鮮人に話しかけてみたのだが、日本語はおろか英語すらまともに話せなかった。
意思の疎通が困難だと感じ始めたころ、なにやらリーダーぽい人物がヘタクソな英語で話しかけてきた。
(単語の羅列の俺よりはマシな英語だったが、発音はてんでダメ)
そいつは「あんたはここの住人か?」などと聞いてくるので、そうだと答えると色々と話し始める。
なんでも韓国のお祭りの日だから集会をやらせろということらしい。
雰囲気的には集会をしたいだけだということを言っているのはわかったので、いつ終わるのか聞いてみると22時あたりには解散すると言う。
それなら良いと答えると、そのリーダー風朝鮮人は愛想も無しに元いた位置へ戻り、全員に何か説明した後に踊りを再開した。

とりあえず、どういった集会なのか聞きたかっただけなのに、いつの間にやら趣旨が変わってしまった。



その後でフィエロを買って失敗したOがたまたま俺の部屋に遊びに来た。
Oは何日か前に彼らと少し話しをしたという。
Oによると、どうやら数日前も韓国のお祭りの日で、それで彼らが集ってOの部屋の前で騒いでいたしい。


お祭は何日続くんだよって疑問はあったが、もめる必要もないだろうと思い、彼らのことはほっとくことにした。

日本人ネストの住人は、米国の住宅街でこういった大騒ぎをすることはなかったので、韓国人ってのは近い国なのに何か違うなぁと感じることとなる。
ただ、その韓国お祭りが、俺の部屋の前の駐車場の前で、3日にわたって行なわれたので、俺は切れそうになるくらいムカついたが


お祭りは1週間とか続くもんなのかよっ!?

夜に買出しに行くことの多かった俺は、車を出すときに部屋の前の駐車場で集会されているのはかなりの迷惑だった。
いちいち彼らがよけるのを待たなければならないし、買出しから戻ってきたら、まるで買出しするのが悪いとでも言いたげな目つきでこちらを見るし。
迷惑してるのはこっちだっての



さらにそのお祭り騒ぎはずっと続いたそうだ。
俺の部屋の前の駐車場スペースには、車がびっちり駐車することが当たり前だったので、彼らは広いところへ移動したらしい。
ただ、毎晩のようにどんちゃん騒ぎをどこかでやっていたのは、他の日本人留学生から聞いていた。

ようするに移動お祭り集団である。

迷惑なんてものではなく、さらには周囲の住人(現地人)とのトラブルが毎晩のようにあったそうな。




だが、いつのまにかそのお祭り騒ぎはなくなっていた。
それ以前に居住区域で韓国人と出会うことすらなくなってしまった。
まあ騒がなくなったのなら文句は無い。





韓国人と出会うことが少なくなったというか全く出会うことがなくなったある日、友人とたまたま韓国の財閥の話題があり、はた迷惑だった韓国人達のことを思い出した。
最近韓国人を見かけないが、おとなしくなったのかと聞いてみたところ・・・




「ここから追い出されたらしいよ」
との答え。



「しかも全員」


話しによると、彼らを迷惑がっていたのは日本人だけではなかった。
集合住宅地で彼らは毎晩のようにトラブルを起こし、そこの管理者には毎日のように苦情が報告され、大騒ぎしてるのを注意した警備員に酔っ払って集団でからむ韓国人も多かったとか。

大規模な集会は最初だけで、後は5〜6人の集会になっていった。
だが今度は部屋に数人が集まって、夜中までバカ騒ぎをされて頭にきた人が多かったようだ。
外で大人数で騒ぐのも問題だが、室内で毎晩騒ぐというのは隣人に喧嘩を売ってるようなものである。
日本人だけではなく、白人も黒人もメキシコ系も、みーんな迷惑だと感じていたのだろう。
というより隣人に不快な思いをさせるようなことをするのが良くないことというのは、良い歳した大人ならば当然のこと。
だが、何度も注意されているにもかかわらず、逆切れしてきたというのが決定打だったらしい。


結局米国中流階級の住民達は、2〜3週間で彼らの全員を追い出すこととなった。
あと、彼ら朝鮮人はどうも黒人とのトラブルがかなり多かったらしいというのは特筆すべきことか。
修理屋マイクは徹底的に黒人を差別していたと思われるし、韓国人てのはみんな人種差別者なのかとも思ったりもした。



これはロス暴動があった地区の個人商店に入った時にも感じられたことだ。


毎週ロサンゼルスのリトルTOKYOへ通っていた俺なのだが、帰宅の途中で突然チャイナタウンには行ったことがないから行こうという話しになった。
車には日本人4人。
フィエロ購入で失敗したOも一緒だったのだが、とにかく思いつきで車を走らせていたために迷ってしまうことになった。
確実にチャイナタウンへは近づいているのだが、どうしても辿りつけない。
そのうちに景色は次第にハングル文字の看板だらけの場所になり、どうやらここらへんは韓国人街なのではないかと感じ始めるが、その後は全然中華街に近づいている気がしない。
俺が横浜の中華街をイメージしていたのも悪いのだろうが、とにかくグルグルと巡っているうちに中華街とかはどうでも良くなってきた。
とにかく帰る途中でたどりつけたら良いな〜って程度だったので、結局は戻ることにする。
だが夕飯時で、ちょっと小腹がすいてたので近場の個人商店とかスタンドとかを見つけて何か買おうと考えた。
ハングル文字がなくなったきたあたりで、個人経営と思われる雑貨店があったのでそこに入った。(スナック菓子やドリンクも置いてるのが普通)
そこで突然わけのわからない出来事が起こった。
黒人の店主が、入ってきた俺達を見るや大声でどなったのだ。









「STOP!おまえらは朝鮮人だろう!出ていけ!」


当然俺達は日本人だと答える。
だが、その黒人店主は妙な雰囲気だった。
俺が「俺達は日本人だ」と答えたのに、全員「I am japanese と言ってみろ」なんて言い出す。
しかも「順番に一人づつ言え」と条件まで出してきた。

個人経営と思われる小さい店に入って適当に腹のたしになるものを買おうと思ってたのに、いきなりのトラブルだ。
俺達は結局順番に「あいあむじゃぱにーず」と言った。
全員が「あいあむじゃぱにーず」と言い終わると、とたんに店主の態度が変わる。
「おーけい。お前らは日本人だ。朝鮮人じゃねぇよ。好きなだけ買い物してってくれよ。最近これなんか人気あるぜ」
などと話し出す。

本気でわけがわからなかった。


気味が悪いので、適当にスナック菓子を買って逃げるように店から出た俺達であった。
しかしこれはいったいなんだったのだろうか。
「あいあむじゃぱにーず」を全員がそれぞれ言ったら、いきなり親日になった黒人が不気味であった。
なんたって店を出るころには「俺は朝鮮人は嫌いだが日本人は好きだぜ」とか言い出すのは何か異常だ。
しまいには「アイラブジャパン。お前らうちでもっと買い物してけ」なんて言い出すしまつ。


車に乗ってから俺達はその黒人のことで話し合った。
「あの黒人変じゃね?」
「麻薬とかはやってないみたいだけど・・・」
「それにあれで日本人だって確認できたのかね?」
「俺達は客なのに、あの態度はねーべ」
「ちょっと異様だ」
「よくわかんねぇ〜〜〜〜!」
「あ・・・そういやここ、ロス暴動があったとこなんじゃない?」

忘れてたアメリカのニュース。
迷ったあげくにロス暴動のおきたところに来てたのだ。

だが、当時の俺はとにかく家に帰りたかったので、そのまま帰宅したのだが。
その後色々話しを聞いて、ロス暴動では韓国人の店が集中的に狙われたということを聞いたのだが、なぜかその時マイクのことが思い浮かんだ。
なぜ暴動の時に黒人に目の敵にされたかは良くわからなかったが、朝鮮人達がみんなマイクと同じような態度をとっていたとしたら納得できる。




こういったことがあって、在米朝鮮人はどうも日本人とは随分とかけ離れた存在なのではないかと思い始めた。

渡米して間もないころ、以前からいたルームメイトが免税店へ連れていってくれたのだが、そのときに奇妙なものを見たのを覚えている。
その免税店の入り口には、でかい文字で「朝鮮人お断り」と書いてあったのだ。
これは相当おかしな話しだ。
特定の国の人だけは入ってくるなというのは、人種差別ではなかろうか。
リトルTOKYOという地区では免税店だけならず、朝鮮人お断りと書かれた店がかなり多かった。
さすがに気になったので、日本語が通じるリトルTOKYOの店で理由を聞いたことがある。

とにかく無茶な値切り方をするからというのがまず一つ。
ただ単に値切るのはそれほど問題がないのだが、韓国人の場合は思ったより値切ってもらえなかったら罵詈雑言を浴びせるらしい。
しかも半端じゃなくしつこいそうで、他の客の相手ができなくなってしまうとか。
さらに韓国人の場合、ほぼ例外なくこういった傾向があるそうだ。

こういう韓国人を相手にしていては、とてもじゃないが商売にならない。
それで朝鮮人お断りになったそうだ。

この話しを聞いた後では、人種差別というよりも韓国人全部に問題があるように思えてならなくなってきた。






帰国した後は朝鮮人との接触が無くなったために、すぐにこういった経験を気にしなくなってしまった。
ただ最近日韓近代史や、韓国と北朝鮮のことを勉強しているうちに、留学中に出会った在米朝鮮人達の謎が、紐をほどくように理解できてきた。

次回はこれらの経験と最近知った韓国人の民族性を合わせて考えてみたいと思う。





てなわけで、また続いたり。
多分次回で終わりになると思う。





2003年9月30日



長文シリーズ ラスト(その4)


修理屋マイクとその他在米朝鮮人の考察
オマケで韓国系企業の怠慢の謎に関する考察



留学中に出会った在米朝鮮人達には、不可解なことが多かった。
帰国後もずっと理解できなかったのだが、最近ようやくそれがどういうことかわかってきた。




 ウリについて


修理屋マイクは何故俺だけをひいきしていたのか。
俺はなんだかんだで、修理屋マイクのところに多数の日本人の客を紹介していた。
さらに他の日本人が請求金額がおかしいと感じて遠い整備屋に行くようになったのに、俺はちょくちょく修理屋マイクを利用していた。
利用しているうちに、何故かマイクが俺に請求する金額がだんだんマトモなレベルになっていったのを今でも覚えている。
ところが友達を連れていくとバカみたいに高い金額をふっかけられる。
俺だけなら安くなって良いのだが、他の日本人を紹介すると必ずボッタクられるのだ。
当然のことだが、他の友人達にはマイクのとこより20分も遠い修理屋に行った方が良いという意見をするようになった俺。
ただ、それによって日本人客が来なくなったマイクとしては面白くなかっただろう。
ボッタクれる相手が減ったわけだから。
それなのにちょくちょく来ている俺に対しマイクが「なんで最近お前ら日本人はこなくなったんだ?」との質問。
それに俺は、マイクを持ち上げるような台詞とともに、「あんたは友達だと思ってるし、信じてる」なんてことを言ってしまったわけだ。
結局「お前はファミリアーフレンド」と言われる結果になった。


ある程度韓国の文化を理解している人ならば、このファミリアーフレンドというのは、マイクが俺のことをウリとみなしたと思うはず。
説明はめんどいが、このウリというのは日本語で言うなら「我々」という意味が近いだろうか。
ようするに、家族や親族とか親族の親しい友達とでも言えば良いもの・・・と、一言で説明できない身内意識である。
ウリは仲間という意味もあるが、ちょっと度がすぎた仲間意識と言えるかもしれない。

韓国人は一族の血の流れを重視する傾向があるのだが、海外に出てもその独特の仲間意識は重要らしい。
ただ海外では朝鮮人ばかりで集えない場合も多いために、朝鮮人以外でもこのウリに入ることがあるようだ。
ようするに俺はマイクのウリ(仲間)とみなされ、度がすぎる仲間意識によって安く修理してもらえたことになる。


その仲間意識であるウリの中に入ると、やたらに優遇される。
ウリとみなすと、朝鮮人は過剰なまでに親切になる。
それはもうエコヒイキどころではない
様々な韓国人著作の本を読んで思ったのは、そのウリを大切にする度がすぎているところだ。
例えば犯罪者であってもウリであるなら徹底的に擁護する
逆に言えば、ウリでない人には徹底的に冷たい
冷たいどころか、ある意味朝鮮人の度がすぎる残虐性のようなものを発揮する場合すらあるようだ。(これについては機会があったら書いてみたいと思う)
マイクがウリ以外からはボッタクリをしていたのも、そういう理由からと考えられる。


かなり理解しにくいウリの概念であるが、このウリというものは実は小さい規模だけに留まるものではない。
家族のウリもあれば、村のウリもあり、さらには町のウリ、地方全体のウリとなり、最終的には韓国という国全体までもが含まれるようになる。
韓国全体のウリの場合も、他の国に関しては徹底的に冷たい。
冷たいどころか、日本に対して国全体で恨み事を言いつづけている。
個人的恨みが国全体に広がるような感じ・・・かな。
短い文章では説明できない。





 恨(ハン)について


既に戦後の賠償が終わっているというのに、ことあるごとに賠償賠償と叫びつづける朝鮮人。
これを理解するには恨(ハン)というものを知らなければならないが、これまた説明の難しいものである。
これを説明しようと思うと本が数冊書けるほどなので、あえて日本語に訳すとどうなるかの例をもって説明としたい。
「恨み」「過去」「情念」「苦難」「絶望」「怨念」などなど。

このハンも、ウリと同じように最終的に韓国全体のものとなる。
そんなわけですでに賠償が終わっているのに、しつこく日本へ賠償賠償と恨み言を言い続けているのだ。
このことにのひとつの解釈として、いつまでも日本に対して賠償しろと言い続けるのは、全体的なハン(この場合は民族全体の恨み)によるものと考えられる。






 黒人差別について


マイクだけではなく、在米朝鮮人と黒人の確執について考えてみたい。
まずマイクが絶対に黒人の修理依頼を受けることはなかったということから、マイクは黒人差別主義者であったと思われる。
マイクだけが黒人主義者かとも思ったが、どうもそうではないらしいと感じられる事が何度かあった。
ふらりと立ち寄った黒人経営雑貨店で「お前ら朝鮮人は出ていけ!」と怒鳴られたのはその代表。
全員が「アイアムジャパニーズ」と言っただけで、黒人店主の態度が一変したという不思議な出来事。


在米朝鮮人は、悪いことをしたあとで俺は(私は)日本人だと言うことが多々あったそうだ。
多々どころか、大多数がと言ってもいいくらいかもしれない。
ただ、彼ら在米朝鮮人の発音には多少のくせがあったのだ。

彼らが悪事の後で言う台詞はこういう感じで「I am Zapanese」(アイアムパニーズ)という発音であることがほとんどだったとか。
(日本人がRやthの発音が苦手なのと同じことらしい)

そこで例の黒人店主は朝鮮人であるか日本人であるかを確認するために、わざわざ全員に「アイアムジャパニーズと言ってみろ」と要求したわけである。

このことから考えて、韓国人が悪事の後で自分は日本人だと言っていたのが、一部の韓国人だけに限らないということが言えるだろう。

例の黒人店主の話しの他にも、何度かそういった経験をしたことがある。
そこまで激しい拒絶ではなく、さりげなく話しかけてくる感じでの確認。
例えば店に入るやいなや、「ハーイ。あんた日本人?」などと聞いてくるのだ。
そこで「YES アイアムジャパニーズ」と答えると「うん、日本人だね」などと納得した表情をする。
ここでアイアムザパニーズとか発音したら、多分追い出されていたのではなかろうか。
こういった例は黒人経営の店では何度かあった。

良くこのことに関して韓国人や在日朝鮮人は、ごく一部の者だと反論してくると思われる。
だが、ごく一部の朝鮮人だけがやっていたとしたら、こういう確認方法が黒人社会に広まるはずがない
つまり、悪事を行なった朝鮮人のほとんどが「アイアムザパニーズ」と日本人であるかのように詐称していたのは間違いなさげ。


さらに書くと、ほとんどの朝鮮人は黒人差別主義者であったということも見てとれる。
ロサンゼルス暴動で、韓国系の店やビルが黒人達に徹底的に狙い撃ちされたという事実があるが、これも朝鮮人の黒人差別が原因と思われる。
日本人ネスト(集合住宅街)でも朝鮮人は隣人(主に黒人)とのトラブルが続き、結局は2〜3週間で全員が追い出されてしまった。
それだけでも、彼らが黒人差別主義者の集まりであった裏付けになるだろう。


そして、彼らは同じ朝鮮人同士であっても差別する民族である。
ウリ以外には徹底的な差別をするのだ。
これに関しては後述するが、簡単に説明できるものでもないので、そのうち気が向いたら書くかも・・・




 選民思想と火病


なぜここまで全体的に黒人差別主義的朝鮮人が多いのだろうか。

ほとんどの朝鮮人は選民思想をもっているらしいというのが、どうやら黒人差別に繋がっているようだ。
ようるするに、ほとんどの朝鮮人はウリ(朝鮮半島の民族)こそが世界で最も優秀であり、黒人のような人種は、優秀な自分たちよりも下の存在だと思っている。

こうなってくると、バカバカしいまでに民度が低いと言わざるをえない。


彼らが集合住宅街から追い出された理由として、隣人に対してなんの気遣いもない深夜のどんちゃん騒ぎがある。
何度注意されてもやめずに、すぐに逆切れする朝鮮人ばかりだったのが追い出された決定打だ。
ようするにウリ以外の住人には、いくら迷惑をかけても自分たちは悪くないと思っていたためだろう。
というよりもウリ以外の人が迷惑に感じているなどはどうでも良いことであり、無頓着なのだ。(客観的になれない)

それにプラスして黒人差別注意されたときの逆切れ

この逆切れというのも実は朝鮮人の特徴の一つ。
朝鮮人だけに現れる特異な精神失陥の、火病というものだと考えられる。
この火病(ファビョン)は正式名を鬱火病といい、怒りを抑えすぎておこるストレス性疾患だという。
怒りを我慢しすぎてストレスがたまり、胸が重苦しく感じられ、ひどい場合には死にいたるという精神疾患だそうだ。
別名は文化欠陥症候群。
最近ではすぐキレることも火病というのかも。
どこかのニュースサイトで、成人朝鮮人の70%がこの火病であるというニュースが掲載されていた記憶がある。

とにかく朝鮮人はすぐキレる傾向が高いようだ。
集合住宅地で夜中まで騒ぎ、隣人に迷惑をかけていたのを注意されると、すぐさまキレる。
ウリたちは韓国と同じように生活しているのに注意されるのはおかしいと、感情を爆発させてキレるのである。
さらに彼ら朝鮮人の思考は、論理よりも感情が優先される傾向が高い。

「あなた達は夜中まで騒いでいて隣人に迷惑をかけているから、今後は騒がないで欲しい」というのは筋が通った注意だ。

しかし、朝鮮人はこれが理解できない。
韓国と同じように生活するのが悪いわけがないから、ウリ達は間違ってないと怒りの感情でもって反発する。
自分たちは怒っているから自分たちの方が正しいという、無茶苦茶な感情論でキレているようなのだ。

こうなってくると、彼らの民族性とやらに哀れみすら感じてくる


俺は朝鮮人の選民思想の元になっているものは未だに理解できていない。
多分これからも理解できないとも思うが。

だがこれらのことから選民意識とはいっても、彼らが勝手に思っているだけで、国際社会から見ると民度がかなり下のように感じる。
そう思っているのはおそらく日本人だけではない。
「郷に入っては郷に従え」という日本の諺は、彼らには決して当てはまらないのだ。
ウリの外のことにはてんで無頓着だということも、彼らの民度が低いと言わざるをえない理由の一つ。








ようするに客観的な論理思考ができない民族性らしい。





権力志向と職業蔑視(両班と常民)


修理屋マイクは、数人の白人従業員を雇っていた。
マイクはその従業員に自分のことをボスと呼ばせていた。


ある日その白人従業員の一人と俺の友人Oが会話をしたときの話だ。

O 「あんたらのボスは、今日は機嫌が悪いみたいだね」
従業員 「ああ、一応ボスとは言ってるけど、俺はあいつのことは尊敬してねーよ」
O 「どういうこと?」
従業員 「あいつはボスって呼ばれてればハッピーなのさ。だから俺達はあいつをボスって呼ぶだけなんだ」
O 「単純なんだな、マイクは」
従業員 「いや、色々とわけわかんねーけどさ、ボスって呼ばれてればあいつはハッピーらしいから、まあそれで良いだろ?」
O 「そうかもね」
従業員 「ま、あいつは威張りたいだけなんだよ。こっちもそれに合わせてれば給料がちゃんと出るってことだな」
O 「あはは。本当はあんたマイクのこと嫌いなんだな」
従業員 「マイクには内緒にな。あんたもマイク嫌いみたいだしさ」


朝鮮人は権力志向が強い
この権力志向がどういうものかというと、とにかく威張り散らしたいという願望の現れとでも言おうか。
これは両班(ヤンバン)という韓国の貴族階級と、常民(サンノム)という平民の関係からくる民族性だろう。
両班は徹底的に威張り、常民は徹底的に黙ってそれを良しとするような関係だったらしい。
両班は威張るだけでなく、金をバンバン使うのが美徳とされていたようだ。
その金の使い方で両班の器量が問われるという感じだったとか。

この両班と常民の関係は、日本が南北朝鮮を併合し、近代の法律を持ち込んだことによって崩れ去ることとなった。
ようするに当時の日本は、朝鮮半島の貴族と平民という身分制度を廃止させ、身分よりも個人の能力を重視するような近代国家への道を歩ませたと言えよう。
両班と常民という貴族と平民の身分の差がなくなったのは、日本人的に見ると、凄く良いことをしたと考える人は多いと思う。

だが当時の朝鮮人達は日本人の予想の斜め上を行く変化をとげたのだった。
日本的考え方だと、貴族と平民の関係が近代化によって消滅したら、みんな平民になるものだと考えがちである。

だが当時の日本統治下の朝鮮半島の人々は、これでみんな両班になった思い込んだのだ。

現在でも韓国人に「あなたは常民(サンノム)でしょう?」などと言おうものなら、たちまち火病が発生するか、とてつもなく不愉快な顔をするはず・・・ってどっちも火病か。
この両班と常民の関係は、現在の朝鮮人にも多少の変化をしてはいるが、しっかりと受け継がれているようなのだ。


(知り合いに朝鮮人がいるなら、「お前はサンノムだろう」とか言ってみよう。多分リアルでファビョっちゃうから)



この両班と常民の関係以外にも、韓国には職業差別が存在する

日本の職業差別のようなものとは比較することもできないような、強烈な差別。

李朝時代、技術職についている人は乞食にも等しい扱いだったそうだ。

現在の韓国でもそういった傾向は強いらしい。

さらに商売をしている人は、詐欺をする人という偏見があるとか。

ようするに商売をしているなら詐欺行為は当たり前だという意識があるらしい。



さて、これをマイクに当てはめてみよう。
マイクは韓国では技術職で商売人であり、韓国では卑下される代表のような存在であったのは間違いない。
さらにボッタクリで、詐欺に近いことをやっていたし。
そして白人に限って従業員を雇い、白人をアゴで使うという権力志向。


今にして思えば、マイクは典型的朝鮮人だっと言うことができる。
だが、韓国内では差別の対象となるマイク。
彼がアメリカに移住した気持ちは、今となってみると当然のことだったのだろうと理解できるまでになった。







現在の朝鮮人について


様々な韓国人著作の本を読んで、なぜか俺が留学中だったころに出版された本が多かったので留学経験とダブってしまった。
そこでこの長文連続UPということになった。


だが、現在の朝鮮人はどうなのかということも考えてみたいと思う。

現在の朝鮮人は、精神性において10〜15年くらいは全く変化が無いように見える。
国として見ても、彼らの特殊な民族性によって技術レベルは日本の劣化コピーにすぎないし、独自に改良して良いものを作ろうというような動きは乏しい。
(技術者を軽視する傾向がある)

一昔前に、国をあげてインターネット通信のインフラの充実をはかったので、ほんの一時だけでも日本よりも早くADSL網を広めた韓国。
だが、国ぐるみで動いた割りには1〜2年で日本に再び追い越されてしまった。


在日朝鮮人は戦後のどさくさで得た財力で、マスコミのほとんどは彼らの手中にある日本ではあるが、本国の韓国はまた別なようだ。
日本人として見ていつも思うのは、北も南もやっていることには共通性があるということだろうか。
どちらも国としての対応が一貫して反日。
これは彼らの恨(ハン)というものが大きく関係していると思う。

おそらく、恨(ハン)がなければ彼らのアイデンティティーが崩壊するのだ。
韓国のインテリ連中は、極めて反日であるらしい。
だが、インテリと言っても韓国の場合は民族性が邪魔をして、グローバルな思考ができない人々が多い。

朝鮮人のインテリ層が客観的思考ができないのは、火病が関係してくる。
客観的に考えると、自分たちの国がいかにミジメであったとか、韓国を近代化をしたのは日本だとか、そういった事実に耐え切れなくなってしまうわけだ。



しかも反日教育のおかげで、本当の歴史を知らない彼ら朝鮮人。
やっぱり、なにか反発するより哀れみの感情が出てくる。

彼らの民族の意識は、おそらく先進国から少し遅れてるのだと思う。
あと10年もすれば彼らは多少は変われるのではないか。


そう思いたい。













最後に一言だけフォントを大きくして言っておきたいことがある。





















「お前ら在日は常民(サンノム)だろ」




文句がある場合はこちらまで。













あ、韓国系商店や韓国系企業のずさんなこととかオマケに書くとか言ってて、全然書いてなかった。

わっはっは。


そんなわけで、次の長文シリーズは韓国系企業について。
相手がガンホーなら多分一回で終わるだろうけど、YBB相手になると、また長文になる可能性が・・・





















次があるのかよっ!
(三村)




いや、多分ガンホー相手というよりYBB相手になるとは思うけど・・・





TOPへ