これまでに紹介した俳句 山本吉人
| 2024.9 |
海になほ湧き上がる雲夏惜しむ |
| 自句自解 | 長きに亘り中央学園空手道部OB会のメインイベントであった夏合宿が今年をもって幕を閉じた。今回は全国から18名が参加した。現在も空手を続けている人、最後と聞いて押し入れの奥から胴衣を引っ張り出して参加した人、夫々がそれぞれの感慨をもって、九十九里の潮騒を聞いたことだろう。 去年は台風に見舞われたが、今年は全日快晴に恵まれ、有終の美を飾るにふさわしい合宿であった。私は全日程に参加することはできなかったが、最後の整列挨拶時、9月の水平線に峰雲がもくもくと湧き上がるのを見た。それは移りゆく季節に抗っているようにも見え、まるで、参加者のうち半数が後期高齢者となった空手道部OB会の仲間の気持ちとだぶっているようにも思えた。 |
| 2023.10 | 枯れてなほ風に応ふる吊忍 |
| 自句自解 | 今年も余すところあとひと月となりました。合宿後に作成したこのページ、吊忍が枯れるのを待っていたため、更新が遅れてしまいました。 (以下原文のまま) 今年の合宿が終わった。来年は最後の合宿になるという。会員の高齢化の現状を鑑みれば止むなきことか。 今年作った吊り忍が枯れ始めている。夕日を受けて揺るる忍は枯れてなお美しい。からからに乾いて落ちるまで形を失わないその姿は、「忍」の名にふさわしい。 忍は蔓状の根を岩などに這わせて土がなくても芽吹く。土がないことを耐え忍んで生きている、と見てその名がついたという。 「押忍」を挨拶にしてきた身として、忍の一字は重い。 |
| 2023.1 | 父の日の手酌の酒をあふれさす |
| 自句自解 | 5月の第二日曜日の母の日は賑やかだ。子はカーネーションで母に感謝し、プレゼントを贈る。一方、一ケ月後の父の日は静かなものだ。昔はカードやら贈り物が届いたこともあったが今は何もない。寂しい父は酒を自分で買って来て、皆が忘れているその日の食卓で、せめて自分へのご褒美にと手酌の酒を溢れるほど注ぐのだ。 この一句は、真面目に俳句として作ったものだが、どこへも出しそびれ手元に残っていたものを、電通生協の川柳募集に応え応募したもの。結果は、まさかの優秀賞に選ばれ、金一封をゲットした。 妻や子からは、「これから俳句は止めて川柳にすれば」とのお言葉をいただいた。 押忍! |
| 2022.1 |
ふりだしのごとく元日三年日記 |
| 自句自解 | 三年日記をつけている。当初は一日一句の俳句日記として使い始め、俳句は一年で挫折したがその日のコメントだけは引き続き書き続けている。一年前、二年前の出来事が比較して読めるので面白い。日々は過去と同じように過ぎており、12月31日がすごろくのように上がり、また、新たな一年がふりだしに戻ったように始まる。 新年にあたり、多くの望みはない。ただ、「健康第一」で過ごしたい。健康でさえあれば気力が沸いてくる。毎月の稽古や夏合宿への参加も容易となる。 去年は、図らずも新たな仕事を引き受けることになった。引きの強さもさることながら、自身のチャレンジ精神をくすぐられたことも確かだ。自分の中にそんな山っけが残っていたことに驚いている。この気持ちが潜在しているうちは大丈夫と思うべきか。 |
| 2021.1 |
通販の土用鰻のもう届き (R2 |
| 自句自解 | 最近のコロナ騒動で、物を通販で買うことが増えた。通販とは違うが、ここ何年か土用の鰻をふるさと納税の返礼品で貰っている。ふるさと納税の不便なところは、配達日を指定できないところだ(出来る場合もあるが)。頃合いを見計らって手続きしているのと、送付側も丑の日を意識していると見えてそんなにズレることはないが、ドンピシャとはいかない。去年も5日ばかり早く着いた。私は心が広いので、是非この日ではなくてはいけないとは言わず、「早めに元気出そうぜ」などと言い、丑の日を待たずありがたくいただくことにしている。 話は変わるが、菅首相は空手の有段者だ。法政大学の空手道部副部長。安倍政権を踏襲するとかで、言ってることやってることに自分としてのキレがない。口を衝いて出るのは周りを気にして当たり障りのないことばかり。派閥をもたず、誰かに依存して総理にならせてもらったかもしれないが、自分を見失ってはいけない。 いざ時がきたら、たとえ恩を仇で返すのかと罵られても、しがらみに囚われず『国民のため』だけに立上がり、不撓不屈の精神で誠の道を貫いて貰いたい。政治家の評価は現在ではなく歴史が証明してくれる。 時は来ている。いやもう過ぎようとしている。 押忍! |
| 2020.1 | 大吉のみくじ携へ年詰まる (R元) |
| 自句自解 | 去年の初詣で引いたおみくじは「大吉」だった。そこには、「出過ぎず辛抱すれば末に大吉」とあった。上半期特に「大吉」らしいことはなかったが、”末に”ということなので別に気にもせず。そして9月、10月と過ぎた。でもまだない。おかしい、もう少しで一年が終わってしまう。競馬も競輪もやらないので、そうはチャンスがない。残されたのは年末ジャンボか?あれこれと考えたら、NHK俳句大会に3句応募してあることを思いだした。これだ!と思った。年末ジャンボは買うのを止めて待つ。そして11月連絡が来た。投句した3句がすべて入選。特選に選ばれれば12月に連絡が来るという。もしそうならテレビ出演だ。狙いは一点「テレビ出演」のみ。そして12月、連絡が来た。はやる気持ちを抑えて封を開ける。3句のうちの1句が”秀作”に選ばれたという。ザンネーン!テレビ出演は”特選”のみ。もう一息だったか。しかし毎年この壁は高い。 そこで出した結論は、このおみくじは当たらなかったということ。もう一つ記憶にあったのが、「株は売るな」。当たらぬみくじが「売るな」ということは、裏を返せば「売れ」ということ。早速、指値で株を売りに出した。さて、結果は如何に。 |
| 2019.1 | 真つ白な空手着吊し夏の空 (H30) |
| 自句自解 | このサイトを始めた頃は、こまめに更新していたが、ついに年一回となってしまった。俳句も正月にふさわしいものを掲載してきたが、そういう訳で今年はそれにこだわらないことにした。去年の合宿で出来た句だ。合宿はこのところ10名ちょっとの参加数になっているが、いつまで続くか心配。 学園稽古組は、相変わらずのメンバーで固定している。山崎師範も固い意志で酒を断ち、いよいよ空手に懸けているので、若い我々が弱気になってる訳にはいかない。月一回会って稽古して、短い時間でも杯を交わすと、ほっとする仲間達だ。道場は改装した割には設備がイマイチだが、寒い冬、暑い夏もグッと堪えて稽古着に袖を通したい。 今年の合宿は、初の試みで木・金・土の、9月5日〜7日となった。北海道、九州の先輩・仲間と会うのが楽しみだ。全国の皆さん、待ってるよ。押忍! |
| 2018.1 | 定年は踏破のごとし初山河 |
| 自句自解 | 忙しい年が明けた。去年3月に退職し、すぐ句集作りに取り掛かった。退職後の片付け、電友会の幹事、娘の転居と孫の誕生、週二日の勤務と、あれやこれやのペースが掴めないうちに始まった句集作りだったが、なんとかこなして12月に刊行できた。今は、全国の諸先生、句友から到着する祝い状と書評(読後感想)への返事に追われている。 退職後生活の本当のペースは、これらが一段落する今年から始まると思っている。学園の道場も1月から再開するので、空手の稽古もしっかりスケジューリングして続けたい。 サラリーマンにとって定年とは山の頂上。高い、低いはともかく頂点を極める、その人が自分の山を踏破するということに他ならない。達成した手ごたえは十分だ。しかし、俳句や空手の修行に終わりはない。道はどこまで行っても先に続いている。気力・体力・技術力、ゆっくりと自分のペースで後退することなく前へ一歩を踏み出したい。本年も宜しく! 押忍! |
| 2017.9 | 空輸にて着きしばかりの秋刀魚焼く |
| 自句自解 | 夏合宿が終わった。今年の参加者数は14名。年齢が上がるととともに、病気や故障者が否が応でも増えてくる。 @飲み会の話題=半分は病気の話。前立腺がおかしいという人は3人に1人。Aビールの量=食事1回平均ビール一人1本弱。昔の半分。永坂欠席のせいだけではない。酒量が確実に減った。B飲み会のお開き=昔は翌朝稽古にも拘わらず2時、3時まで飲んでいたが、今は23時には終了。C参加者13名が急に14名となった訳=欠席の竹原から伊佐美の差し入れがあった。箱から出そうと瓶の頭をつかんだら栓が抜けた。一升瓶に「H27梅酒」と書いてあった。よせばいいのに田中康さんが本人に電話を入れた。それを聞いた竹原が本物の伊佐美を持って横浜から駆け付けた。竹原先輩まじめ過ぎ。 D今年も、北は北海道(菅江先輩)、南は九州から(小川紀、山崎俊、柿本各先輩)参加してくれた。感謝! |
| 2017.1 | 初春やポケット多き旅かばん |
| 自句自解 | 平成29年が明けた。今年の抱負:自分に旬の兆しを感じる年にしたい。去年、高校の同窓会で、大村智さん(H27ノーベル医学生理学賞)の話を聞いた。「人間には旬と言われる時があるが、それは勢いのある若い世代だけのものではなく、年齢に関係なく、いくつになっても、熱意をもって何かに向かっている時のことを言い、結果はそういう人のところに必ずやってくる。」私はと言えば、下り坂をいかにゆっくり転がっていくかを今後取り組む課題としていた次第だが、そういわれると、私にもまだ、やり残していることが沢山ある。 テレビで偶然、中島みゆきのヘッドライト・テールライトを聞いた。プロジェクトXのエンディングだった曲だ。〜行き先を照らすのはまだ咲かぬ見果てぬ夢・・・ヘッドライト・テールライト旅はまだ終わらない〜。 そうだ、俺の旅もまだ終わってはいない! |
2016.9 自句自解 |
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| 2016.1 |
寒稽古気合で気力奮い立ち |
| 自句自解 | 平成28年が明けた。今年の年賀状には、去年の流行語大賞に因み、俳句、空手、仕事のトリプルスリーで頑張ります、と書いた。しかし、この3種それぞれのスリーとは何か考えていないことに気が付いたので、後づけでこじつけてみた。 まず俳句。投句している俳句誌で選ばれる句の数のうち、「3句を年3割以下」に抑える、つまり7割が4句欄5句欄掲載となるよう努力すること。次に空手。最近体重が減りパワーが一段と衰えてきたので、筋トレも含め、短時間でもいいから「週3回以上稽古」すること。最後に仕事だ。私の業務は今年正念場を迎えるが、「3」にまつわる適当な事柄が見当たらない。そこで、自分の全パワーをこの3種目で割ると一つが3割。仕事で待ち受けている課題がいくら難題でも、「マイパワー3割で切り抜け」てみせます。ということにしておこう。 |
| 2015.9 |
まづ眼より箸つけられて金目鯛 |
| 自句自解 | 夏合宿が終わった。今年の参加者は17名。例年より少ないとは言え、北は北海道、南は九州からいつもの先輩達が駆けつけてくれ盛会だった。最終日は雨の予報だったが、太陽がのぞき、3日間晴れ続きだった。飯島荘のおかみさんの心づくしの料理(秋刀魚と金目の煮つけが美味しかった)と全国の仲間からの、日本酒、焼酎、ワインの差し入れに二次会も盛り上がった。しかし、空手着を着けるとシャキッとした猛者たちも、寄る年波に勝てず流石に夜には弱くなったように感じた。酒量も減り12時前には全員就寝したようだ(たぶん)。 最後に茶谷副会長による締めの押忍三唱を紹介しこの稿も締める ・合宿が開催できることに感謝し 押忍 ・合宿に参加できる健康に感謝し 押忍 ・来年の再会を祈念し 押忍 |
| 2014.1 | 毎年の一夜飾りも農家ゆえ |
| 自句自解 | 来年の松を飾るのに29日は9がつくので縁起が悪く、31日は一夜飾りと言ってさらに忌み嫌われている。ということを、故郷から東京に出て来てから初めて知った。我が実家はそもそもそういうことに無頓着な家だったのか、忙しさからそんなことを言っている暇がなかったのか、松飾りは31日がお決まりだった。 午前中におすわり(鏡餅)用と雑煮用に2臼の餅をつき(そもそもあまり餅を食べない家だった)、夕方までかけて掃除と松を飾った。蔵や長屋の扉に幣(ぬさ)を貼り(方言でオシンメイとは何からきたのだろうか)、中庭の木に縄で松を縛り、家の玄関扉の真ん中に門松が書かれた紙を貼って屋外の用意は終了。次は家の中だ。大黒柱や各部屋の柱に幣を貼り、神棚に注連縄を渡し季節の果物を飾る。鏡餅は大きなものを床の間と神棚に、小さなものは台所に供えた。注連縄といえば父が唾を掌にペッペッと飛ばしながら綯っていたのを覚えている。 我が家の一夜飾りは、考え方が合理的だとか、逆にスボラな性格のなせる技などではなく、貧農の忙しさゆえ、そんなことには構っている余裕などなかったのだ。 |
| 2013.5 | 湯上りの身を椅子に置き遠蛙 |
| 自句自解 | 私の実家は果樹栽培だったが、元々は土地の良いところには水田、地の悪いところは桑畑の土地柄だったので、田んぼも沢山残っていて、田植えが終わる頃になると遠くから蛙の声が聞こえてきたものだった。おおらかな時代だったのでまだ中学生だったが、兄のオートバイを乗り出して田んぼの中の農道を走るのが好きだった。田を吹き抜ける夕風が何とも言えず心地よく、蛙の声がそれに拍車をかける。私の脳みそにはその頃の癒され気分が刻まれており、蛙の声を聞くとその心地よさが今でも蘇る。会社を辞めたら蛙の声の聞えるところに住んでみたいという夢は今でもあきらめていない。 ディズニーランドにカリブの海賊という乗り物があった。舟に乗って海に乗り出し冒険をするアトラクションだが、舟が出発し沼っぽいところを通過するとき、一日の仕事を終えて揺り椅子で寛ぐ老人が登場する。外国だが蛙の声を聞きながら揺り椅子でうとうとしているじいさんを見ていると、日本の水田地帯にいるようで妙になつかしい気分になったものだ。若い頃は、早くこのじいさんのようになりたいと言っていたものだが、すでにその年齢に達しかけている。 ディズニーランドにはカリブの海賊のじいさんまだいるのだろうか。 |
| 2013.1 | 駅伝に妻と旗振る三日かな |
| 自句自解 | 新年明けましておめでとうございます 近年、私のお正月の過ごし方はワンパターン化されています。元日は年賀状チェックを終えてから高幡不動で初詣、2日と3日は大学駅伝をこたつで見て三が日が終わります。駅伝のおかげでだらだらしていても誰も何も言わないし、正月をのんびり過ごすことができます。 妻は駅伝を箱根で応援するのが夢なのですが、宿もなかなか取れないので実現していません。平成20年1月3日に新橋駅付近で復路の応援をしました。次々と通過する選手にガンバレーと小旗を振るのですが、あっという間に通り過ぎてしまうので、特に贔屓の大学がない私には、何とも物足りない感じでした。それよりも、私としては旗を振りながら食べたケンタッキーフライドチキンが美味かったとか、帰りに寄った浜離宮庭園で見た鷹狩の実演が素晴らしかったことの方が記憶に残っています。そして、それらがごちゃごちゃに混ざって、人から感想を聞かれると、いやー大学駅伝の応援はサイコーだよ、となるのです。 妻が行きたい箱根での駅伝応援、目的は駅伝そのものより、ホテルでのおいしい食事や正月からゆっくり浸かる温泉なんだろうな。 |
| 2012.9 | 煙突に明治の威容秋高し |
| 自句自解 | 群馬の富岡製糸場が世界遺産に推薦されることが決まったという。絹織物は今ではすっかり寂れてしまったが、明治の新生日本の世界への羽ばたきをしっかり支えた産業だ。電気のなかった村にいきなりハイテク機器が入ってきたようなカルチャーショックだったが、民族一丸となって技術を取得、外貨獲得の切り札とした。 列強に追いつくために、国民が一丸となって頑張った時代だ。政治家は国家の為に身を捧げ、国民も国の為に忍従した。 今の政治家に、国家の将来のため、国民の幸せの為に働いている人はいるのだろうか。今、世界は第2次大戦前に良く似た閉塞感に満ち始めている。 |
| 2012.5 | 海の日のマストに掲げ旭日旗 |
| 自句自解 | 横須賀に三笠公園がある。日露戦争において日本を勝利に導いた連合艦隊の旗艦「三笠」が記念艦として残されている。三浦海岸に遊んだ帰りに、久しぶりに寄ってみた。東郷平八郎像に迎えられ三笠に乗船した。艦橋に登ると帽子が飛ばされるほどの強い南風が吹いていており、旭日旗がちぎれんばかりにはためいていた。 今の日本には「坂の上の雲」の時代のような志を持った人物はいないのだろうか。沖縄基地問題、尖閣諸島での対応、TPP交渉など国内外を問わず、周りの顔色ばかりうかがっていて決断が出来ず、後手後手に回っている日本の政治家を見ていて本当にそう思う。自国の利益を脅かすものに対して、自分の考えを述べることに何の遠慮がいるのか。けんかを仕掛けろと言っているのではない、相手に攻められたら誰でも身を守るだろう。だめなものはだめ、いやなものはいやとなぜはっきり言えないのか。 ところで、戦前まで5月27日は、海軍記念日として祭日だったそうだ。あの日本海海戦の日である。偶然にも母の忌日と重なったこともあり忘れられない日となった。・・・・一緒にされたくはないが。 |
| 2012.1 | 飛ぶ鳥の落ちるをしかと初寝覚 |
| 自句自解 | 初夢から覚めた。夢の中で確かに飛ぶ鳥が落ちるのを見た。今年も飛ぶ鳥を落とす勢いだと言われるように頑張り抜くぞ!という意味の句です。還暦過ぎのじいさんが、飛ぶ鳥を落とす勢いをモチーフにした句とは、作意ありありですが、それはそれとして、競争社会での長い戦いを終えた戦士は、その後はゆっくりと平穏な時間を過ごすことこそが人生だ、というのが私の持論ですが、自分はまだ戦士なのかなと思うことがあります。 第3の会社で一人三役・四役の仕事をバリバリやっている内に、意識が若い頃に戻る時があるのです。一番仕事をこなした四十代に近い感じで、あれもこれもと次々に仕事をこなしたマルチプロセッサーフル稼働の時代。年が年なので疲れは出ますが、同時に忘れていた充実感にも満たされるのです。 早いところサラリーマン生活から足を洗って、趣味の世界に入りたいという気持ちに変わりはありませんが、その日が来るまでは、何事にも一生懸命取組み、充実した一年にしたいと思っています。 本年もよろしくお願いします |
| 2011.9 | ほどほどの人生でよし小望月 |
| 自句自解 | 今年の十五夜は良い天気に恵まれ、久しぶりに満月を堪能した。さすがに夜になると涼しく、酔いが回った身に夜風がすこぶる心地よい。窓を全開にして畳に座り、あるいは寝転び、陰りのない月を見続けた。 今回のテーマは、満月に足りない月。十五夜前日の月は、待宵の月、小望月ともいう。十五夜はよく雨にたたられるので、前夜の月でも見ておくべしとじっくり月見をした。一日前とはいえ、満月と遜色のないまんまるお月さんだ。 蓮舫さんが「一番でないとだめですか」と叫んだが、スパコンはいざ知らず、月は二番でも結構いける。 人生も同じで、二番でも三番でもいいと思っている。要は自分が満足できるかどうかだ。上に行けばいくほど無理が生じ、どこかで歪が生じる。仕事や趣味に没頭すると、家庭に時間が回らず、会社では偉くなったけど子供がグレた、とか、マイホームパパで家族には喜ばれたが、出世街道は遠かった。などが良い例だ。人生どこかで帳尻が合うようになっている。ほどほどで良いのだ(H23作)。 |
| 2011.4 | みちのくに桜前線駈け上がり |
| 自句自解 | 4月の定例稽古の後、花見をした。日本中が自粛ムードの中ではあるが、歌舞音曲は止め、東北の酒と東北のつまみで、純粋に花を愛でようとの提案に賛同の声が上がった。いつもは稽古が終わればさよならの空手仲間が、話に花を咲かせ楽しいひと時を過ごした。 何年か前には、その席に木村会長が座り、笑いながらチーズを食べていたし、内田会長も胴着を持たずに道場を訪れ、飲み会にだけ参加していたのを思い出す。人の世は無常であるが、自然界は悠久だ。「年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず」、今年も桜前線が東北に駆け上がった。(H23作)。 |
| 2011.1 | 金の湯に金の泡立つ初湯かな |
| 自句自解 | 明けましておめでとうございます。今年はうさぎ年です。うさぎで思い出すのは、兎と亀のお話。おごるな、油断するなの戒めですが、最近は、居眠りしていて先を越されたのなら、それはそれでもいいじゃあないかと思うようになりました。いつまでも勝った負けたもないだろうと。・・・私も歳ですね。 有馬温泉に金の湯、銀の湯があります。まさか黄金の湯が湧いている訳はなく、鉄分が強いため茶褐色に染まった湯を「金の湯」と呼んでいます。金の湯でなくても、自宅で、まだ日のあるうちに、ゆっくりと初湯に浸かり、今年の事を色々と考えて見るのも、それだけで幸せな時間です。 本年もよろしくお願いします。 |
| 2010.9 | 自転車の駆け込む渡船暮れ早し |
| 自句自解 | NHK朝の連ドラが、「ゲゲゲの女房」から尾道が舞台の「てっぱん」に替った。尾道は、私の所属する俳句会にゆかりの地であり、一度は訪ねてみたいと思っていた場所だ。去年、会社の出張が広島にあり、途中下車して一泊してきた。尾道は寺や林芙美子で有名であり、町は山肌に張り付いているようで、どこへ行くにも坂・坂・坂であった。それだけに見下ろす景色は素晴らしく、千光寺公園から見る尾道水道はいつまで見ていても飽きない。向いの島へはフェリーがひっきりなしに行き来し、人々の生活を結んでいる。暮れ早き秋の夕、出航前のフェリーには学校帰りの学生の自転車が、次々と飛び込むように乗り込んでいた。 |
| 2010.7 | たらちねの一人見てゐる遠花火 |
| 自句自解 | 垂乳根(たらちね)は、母にかかる枕ことばであるが、元々は乳飲み子を持つ母親を指した言葉である。 長女が出産のため里帰りしていた。健康な男児を無事出産したが、それから2ヶ月近く夜泣きとの戦いだったようだ。これは永遠に続くわけではなく、授乳回数も減りすぐ楽になると分かっていたが、慢性的な睡眠不足で、はた目にも辛そうだった。 ある日の宵、授乳を終え嬰児が寝入った時遠くで花火が鳴った。娘は2階に上がり窓から遠くに揚がる花火をいつまでも眺めていた。 娘の背中は、育児から解放された束の間の時間を楽しんでいるようにも、母となった責任を噛みしめているようにも見え、男には到底立ち入れない領域と思った。 お陰様で、今は自宅へ戻った娘から、妻へ毎日のように孫の写メールが届いているようだ。 |
| 2010.4 | 薫風や橋脚長き沈下橋 |
| 自句自解 | セカンドステージに入ってから、ゴールデンウィークには妻と全国あちこち歩いた。ゴールデンウィークと言っても休みの谷間に有休をとっての旅なのでどこも比較的空いていた。その年は四国の南二県の旅だった。俳句の聖地松山を堪能し、高知への道は四万十川沿いにとった。川沿いの道をゆっくり下り、時々車を停めて青い川面を眺めたり、誰もいない川原に下りて昼餉をとったりした。その時の川岸の店で買った鮎飯はうまかった。『その川で捕れしを載せて鮎弁当』。まだ、妻との旅で行き残している所が何ヶ所もある。今年は新入社員なので休みがとれないが、来年からはまた、残りの土地を旅することにしよう。 |
| 2010.1 | 威を借るることなき同士年酒酌む |
|---|---|
| 自句自解 | 2010年が明けた。寅年だ。俺たち空手の仲間には虎の威を借るなどという人はいない。皆、徒手空拳、自分だけを頼りに生きてきた。力が劣れば負けるし、相手を上回れば勝てる、ただそれだけのことだ。ましてや、還暦を過ぎてもう勝ち負けは関係ないところに来た。ただ、自ら向上する気持ちは忘れないようにしたい。今日の自分が昨日より向上出来て、明日の自分が今日より向上出来るために日々努力していきたい。さあ、今年も大いに励み、そして楽しい酒を酌み交わそうぜ。 |
| 2009.12 | 一枚の軽さとなりて古暦 |
|---|---|
| 自句自解 | 今年も一年が終る。今年の運勢は、おみくじを2回引き2回とも末吉だった。確かに、後半にめでたい事がいくつもあった。長女が懐妊したし、次女は難関を突破して就職が決まった。私自身も正統空手道五段の認定を受けたが、おみくじの吉はまだまだこれからという気がしている。あまり欲をかくと、碌な事にならないが、それでも残された1ヶ月、日数数えて次なる吉がやってくるのを楽しみにして過ごそう。 |
| 2009.9 | 灯をそっと点して月下美人見る |
|---|---|
| 自句自解 | 月下美人が咲いた。だらりと垂れた蕾が首をもたげてぴんと張り、二日ほどかけて膨らんだ後の夜、堪えきれないようにほころび始める。それはフィルムの早送りのように、徐々にそして確実に開いてゆく。一夜で終るその厳粛な営みを、見てはいけないものを見るようにそっと覗き見ていた。開いた花は闇を照らす満月のごとし。花の奥からは無尽蔵かと思われるように、強い香が放たれ続く。月下美人はその妖艶な花弁と芳香を一晩溢れさせた後、夜明けを察知したように萎みはじめ、朝には力尽きその命を終る。美しきものの儚さを知るに十分な夜であった。 |
| 2009.8 | 革靴を脱いで入りたき泉かな |
|---|---|
| 自句自解 | JR中央線の西国分寺駅の近くに、武蔵国分寺跡がある。その脇に、国分寺崖線の湧き水を湛えた「真姿の池」がある。こんこんと湧き続く水源は涼感たっぷりで、一時猛暑を忘れさせてくれる。 昔、近くに住んでいたので、子供を連れてよく行ったものだ。春は花見、夏は涼しさ、秋は柿食えば・・の句材を求めてのお出かけだったが、妻には「またぁ〜」と不評だった。 去年、仕事で近くに出かけたので寄ってみた。あたりは昔のままで、なつかしく、しばし寛いだ。立場も肩書きも大人であることも捨て去り、子供みたいに水に入って遊びたいと思った。 |
| 2009.7 | 梅雨明けの空を映して山の湖 |
|---|---|
| 自句自解 | 7月に入って梅雨も本番となった。今月中には明けると思うが、この一ヶ月を長いと思うか、短いと思うかだ。梅雨が明ければ楽しい夏休みがやってくる。昔、親戚に桃とぶどうを作っている叔父さんがいて、真夏の畑仕事は辛いという話題になった時、「なに、暑いと言っても一ヶ月のことだよ」と笑っていたのを覚えている。よく考えるとそのとおりで、この楽天的な考え方は我が山本家にはないなと、妙に感心したものだ。考え方次第で楽にもなれば苦にもなる。何事も前向きに考えることが大切なことを学んだ。この文を書いている今日は木曜日。“まだ木曜日か“ではなく、“もう木曜日だ”と考えて、今週もあと一日頑張ることにしよう。 |
| 2009.5 | 百騎ゐて万の鈴音馬祭 |
|---|---|
| 自句自解 | 岩手県の小岩井農場の近くの滝沢村に「チャグチャグ馬コ」という祭がある。今は6月の第2土曜日に行われている。大名行列の小荷駄装束で、馬を着飾ったものが祭として今に伝わっている。滝沢村の鬼越蒼前神社から盛岡の八幡宮まで行列する。本番の土曜日はものすごく混むので、オススメというか裏技は金曜日に行われる写真撮影会だ。規模は小さいがパレードをしてくれる。シャッターチャンスは、バックに岩手山、手前に植田、その植田に馬の行列が映っている景だが、見物人も本番ほど多くなく、時間も午後1時頃行われるので、バッチリ見ることができる。 去年、妻と温泉旅行を兼ねて見に行った。泊まったのは繋温泉。金曜日に撮影会のパレードを見て、土曜日は駅周辺で再度行列を見ようという計画だった。土曜日の朝、朝食を終えて部屋に戻ったところで大地震があった。そう、6月14日の岩手・宮城内陸地震だ。盛岡は震度5弱だったとか。幸い新幹線は翌日動いたので、足止めは一日で済んだが、一時はどうなるものかと思った。梅雨の晴間に見れた行列の素晴しさと初めて体験した震度5弱。忘れられない旅となった。 |
| 2009.2 | 長堤や空あるかぎり花ありて |
|---|---|
| 自句自解 | 日本三大桜といえば、根尾谷の淡墨桜(岐阜)、山高の神代桜(山梨)、三春の滝桜(福島)だそうです。私はどの桜も見たことがありませんが、わが奥様が淡墨桜と神代桜を見ていて、残る滝桜をクリアし三大桜を制覇しようと企んでいます。去年、その企みに乗せられチャレンジしましたが、一週間早く、見られませんでした。最近の桜の開花時期はむずかしい。旅行を兼ねて遠方へ花見に行く場合は、事前に宿を予約するので小回りが利かず、開花予測が外れると楽しみは翌年に持ち越しとなってしまいます。今年は五月に別の計画を立てたので、言い出しにくいのか、はたまた作戦か、今のところ沈黙を守っています。この静けさが何やら不気味ではあります。 |
| 2009.1 | 寝正月扉を天の岩戸とし |
|---|---|
| 自句自解 | 平成21年が明けた。今年は年男、ついに還暦の年である。と言って特に空手道部OB会では珍しいことではない。やっと一人前になれたというところだ。60歳を過ぎてから益々頑張っている先輩たちを見習い、何事にも全力で取り組みたい。そして、空手、俳句のほかにも、夢のポケットをいっぱい用意して楽しい一年としたい。 |
| 2008.11 | 色変へぬ松のごとくに添ひ遂げよ |
|---|---|
| 自句自解 | 子供の頃、実家の座敷に額が掛けてあり、そこに「人はかくありたき松のみさをかな」と書いてあった(始めは読めなかったが後で母から教えてもらった)。座敷が寝室だったので、毎朝、毎晩この額を見て育った。農家で家訓などというものはなかったが、意味も分からずに毎日眺めていたこの句が、後々私にとって家訓みたいなものになった。 秋になれば、木々はそれぞれ紅葉に色を変えるのに、松だけは色を変えずに緑を保っている。それを松の操と言い、人間もこうありたいものだ、と額の句は言っていた。 俳句ではこれを、「色変へぬ松」と言い秋の季語としている。 この人と心に決めて夫婦になるからには、お互い決して心変わりなどなく、二人仲良く力を合わせていい家庭を築くように。 そんな祈りを込めて、来月嫁ぎゆく娘にこの句を贈る。 |
2008.10 |
名月へ噴煙上げて桜島 |
|---|---|
| 自句自解 | 急な出張で鹿児島へ行ってきた。初めてなので、交通事情が分からず難儀したが、それでも余暇善用で市内めぐりを楽しんだ。中でも仙巌園(磯庭園)にはまった。 さすが島津家別邸。錦江湾と桜島を借景にした美しく、雄大な庭園だ。城山からも桜島が望めるが錦江湾の前に市街地が見えてしまうので、景色としてはこれに劣る。折しも十三夜、夕日と満月を堪能した。 土産店で蘇鉄の苗を売っていた。実家の庭を思い出した。父は、村会議員の卒業(?)旅行先の鹿児島で、蘇鉄の苗を買ってきた。私が高校生の頃だった。父にとってはおそらく最初で最後の九州だったと思う。その良き旅を大切にするかのように、土産の蘇鉄を大事に育てていた。山梨の冬の寒さでは蘇鉄を育てるのは難しかったと思うが、それから10年くらいは庭の日当たりの良い場所に根付いていた。 その時の父の年齢はちょうど今の私と同じくらいだ。今の私を当時の父の姿にだぶらせてみる。 |
| 2008.9 | 若衆の町内神輿ばてて着く |
|---|---|
| 自句自解 | 日野八坂神社のお祭りが毎年9月14日行われる。最近は勤め人が多くなったので、祭を土・日に変える所が増えているが、この祭は昔からの日にちを守っている。別名、雨祭と言われているとおり、必ず雨が降る。今年の天気予報も日曜日は雨だ。 神輿を担ぐと言うと、皆が力を合わせて一つのものを支える意味がある。町内自治会の役員を務めた時、初めて神輿を担いだが、これがそうでもないことを実感した。神輿の担ぎ棒の下には大勢の担ぎ手が入り、セイヤセイヤと掛け声を掛けているが、実際に支えている人はそう何人もいない。ぶらさがっているとは言わないが、あたかも力を合わせているような顔をしていながら、実は巧みに肩を浮かせている。そういう人に限って終わったときには、一人で担いでいたように、疲れきった様子を見せているのである。これってどこかで見たような・・、そう、サラリーマンの世界と同じなのです。やりもしないのに俺がやった、失敗は自分のせいなのに悪いことはみな人のせい。そしてこういう演技上手な人だけが評価される(怒)。 なーんて、そろそろ俺も疲れてきたかな? (掲句はそんなこととは関係ない微笑ましい風景です) |
| 2008.8 | 湖の空すべてを使ひ揚花火 |
|---|---|
| 自句自解 | 8月15日の諏訪湖の花火を見てみたい。と、ここ何年か思っている。実現しない原因は宿。諏訪湖のすぐ近くに会社の保養所があり、ここを狙うのだが毎年抽選に外れ続けている。他にもホテルはいっぱいあるが、この日は、客の足元を見てやたら高いので、そこまでしてもと、狙いは保養所一本に絞っている。平成18年に花火大会の1週間前に泊まることが出来、その際にプレ花火大会と称した花火を見た。そのプレの花火がすごくて、大感動ものだった。プレがこれだけ凄いのだから、本番はさぞかしと、思いがつのった訳だ。今年のチャレンジ結果は以下のとおり。諏訪湖の抽選はまた外れ。次に長岡を検討。新潟地震の復興を祈って、フェニックスをいう花火を揚げる。このBGMとして平原綾香がジュピターを歌うという。これも見たいが準備不足で宿が取れず。代替策として上ったのが千曲川。ここは戸倉上山田温泉の適当な宿が取れた。温泉に浸かって、ビールを飲んで、川風に吹かれながら花火見物。これぞ日本の夏なり。 |
| 2008.7 | 忌の父に半分分けて缶ビール |
|---|---|
| 自句自解 | 父の忌日は7月12日。昭和60年に亡くなってもう23年経つ。明治44年に生れて74年の人生だった。父は、地主の長男として育ったが戦後の農地改革で土地を失い、心機一転、果樹で生計を立てるべく艱難辛苦の人生だった。農事に追われ、子供の教育どころではなかったので、父から直接何かを教えられたという記憶はないが、良いこと、悪いことを含め、父の背中は見て育ったと思っている。芸能好きで、長男でなければ役者になりたかったと言っていた(ライバルは三木のり平だったとか)。祖母方に有名な歌人がいて作文が得意だったというところは、俳句を趣味にしている私にもその血が流れているかも知れない。貧しい生活だったが、暗くはなかった。村会議員を二期務めたが、初の当選は0.5票差の勝利だった。開票の結果、父は1票差の次点で落選だった。ところが、山本とだけ書かれた投票用紙が3枚出て来た。山本姓は2名立候補していて、1人はダントツのトップ当選だった。この3票を2人で分けて1.5票を得た。その結果、0.5票差で逆転当選というテレビドラマ顔負けの結末だった。小学生だった私は、幼いながらこの3票はすべて相手のものだったと見ていた。ちなみに、兄も村議、市議を通算2期務めた。父同様ケチケチ選挙だったが、こちらも相当運に恵まれた事はこの目で確認している。もうすぐ今年も父の忌がやって来る。酒好きの父には似ず、晩酌は缶ビール1缶で満足している下戸だが、親父にも半分分けてあげよう。 |
| 2008.6 | 子を乗せて戻るリヤカー麦の秋 |
|---|---|
| 自句自解 | 麦の穂が実る頃を、季節は夏でも「麦の秋」と呼びます。今では田んぼも麦畑も見られないので、視界の中で感じることはないのですが、清々しい五月の後に薄暑を感じる季節になると、それを肌で思い出します。私の家でも昔、米の後の田んぼに小麦を作っていました。この小麦粉がうどんになり、ほうとうになり、米の少なくなった夏以降の主食となりました。小麦を刈るとその束を家に運び込み軒下に干しました。広い農家の軒下は麦の束にぐるりと囲まれます。雨戸も閉めっぱなしで、暫くは家が暗かったことを覚えています。麦扱きは庭でやりました。敷き詰めた筵の上に脱穀機を据え、父、母、兄で一日もかからずに終わったと思います。脱穀機は村に何人かの人が持っていて、それを借りて来て扱きました。持ち主はいずれも若い農家の跡取りで、エンジントラブルがしょっちゅうでしたから、機械に明るく、まさに村のエンジニアでした。麦を軒下に干す頃は、ちょうど枇杷の実の熟す頃で、学校から帰って来た時、がらんとした留守の庭の奥から何とも言えない甘い香りが漂って来たことを思い出します。 |
| 2008.4 | 飛石に旧家の名残小米花 |
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| 自句自解 | 小米花は雪柳の別称です。花びらが米粒に似ていることからこの名前がつきました。昔、実家の庭に飛石がありました。母屋から屋敷の入り口に向かって敷石が並び、途中で外厠へと分岐していました。トイレが外にしかなかった時代なので、雨や雪の時はこの飛石が大変役に立ちました。また、この石は私たち兄弟の遊び道具としても活躍しました。二人が両端に立ちジャンケンで勝った方が前に進むのです。そして早く反対側の石に着いた方が勝ちとなります。こんな他愛もない遊びを何回も何回も飽きずに繰り返していたことを思い出します。 俳句に「春窮」という季語があります。小米花と聞くとこの季語を思い出します。現金収入のない時代です。秋に収穫した米が、一年間の借金返済、正月の用意、子供の新学期費用と使われていき、晩春の頃には底がついて生活が苦しくなるという意味です。私の家も全く同じでした。でも、まだ、幼かったので切実さとして受け止めることはなかったのですが、自我の形成されていた兄や姉は色んな意味で苦しい体験をしたと思います。勿論、両親の辛さはそれ以上だったことは言うまでもありませんが・・。故郷に思いを馳せる時、その頃の、藁葺き屋根、中門、外厠、松の木、蔵などが脳裏に浮んできます。(H19作) |
| 2008.2 | 富士までもその香届けよ梅の花 |
|---|---|
| 自句自解 | 私が初めて出合った俳句は、服部嵐雪の「梅一輪いちりんほどの暖かさ」でした。中学(たぶん一年)の国語の教科書にこの句を鑑賞した文章があり、暖かさが一輪ほどだという表現に、な〜るほどなとその微妙さにみょうに感心し、この句が頭に残りました。暑さ寒さも彼岸まで、は誰でも納得するところですが、梅の頃の暖かさが一輪ほどとは、なるほど微妙で言い得て妙と言えます。 小田原の曽我地区に曽我の梅林と呼ばれる梅林があります。地域一帯が梅畑でその視界の先に富士山がくっきり見え、他の梅林では味わえない雄大さがあります。箱根で温泉に浸かり、小田原で梅見のコースはお勧めです。 |
| 2008.1 | 夢に出て見目麗しき嫁が君 |
|---|---|
| 自句自解 | 今年は、ねずみ歳です。嫁が君とは、正月のねずみの忌み言葉で、大黒様の使いと言われています。実際のねずみが可愛くも、麗しくもあるはずがないのですが、ねずみのことをこんな言葉に置き換えているのですから、何の気兼ねもなく、気楽に句に出来ます。 今年はねずみ年ですが、もう若くもないので、あまりちょこちょこせず、一日一日を大切に使い、そして今年の努力が来年につながっていくような、そんな年にしたいと思っています。時間を作って良い旅もいっぱいして、後に残るような俳句を残し、自分の弱さに負けないように空手の修業にも励みたい。 |
| 2007.10 | 治らざる皹に軟膏塗り重ね |
|---|---|
| 自句自解 | 水道工事(?)の手術で6日間入院した。4年前に手術したが恢復せず、日常のQOLが極めて低いので再手術を決意した。4年前には同僚の知り合いの看護師さんが二人居て色々と世話になった。今回、そのうちの一人がまだ残っていて、なつかしい再会を果たした。看護師という仕事はつくづく大変だ。手術後の手のかかる患者が代わる代わるやってきて、毎回その患者を親身になって看てあげている。事務的にこなす仕事をしてきた私には、常に手を抜けないこの仕事をしている若い看護師さんたちを、つくづく偉いと思う。 この知り合いの看護師さんが、仕事の合間に私の病室を訪ねてくれ、4年前のことなど談笑しながら、何気なく指のひびにそっと軟膏をすり込んでいた。水を扱うので治りにくいのだろう。お世話になった患者として、すべての看護師さんに心から感謝したい。 |
| 2007.7 | 丘は黄にビールの国の麦熟るる |
|---|---|
| 自句自解 | 北海道でサッポロクラシツクの「生」を飲んだ。北海道限定のビールで、10年前に、先輩がわざわざ北海道から取り寄せた缶ビールが最初の出会いだった。湯上りに頼んだ生ビールがあまりにおいしいので、銘柄を尋ねたらサッポロクラシックだった。こんなビールを毎日飲みたいものだと思ったが、やはり現地で飲むからこそのおいしさだろう。今回の旅の目的は、富良野のラベンダーと知床の自然だったが、幸い天候に恵まれ満喫できた。レンタカーで移動中の景色はどこも雄大だった。山麓まで続く丘陵には、じゃが薯などの葉物の緑と、麦の黄色のコントラストが見事で美しさを際立たせていた。「夫婦で回る北海道の旅」来年の道北で一周完了の予定。 |
| 2007.5 | 刻戻るごとみちのくの花見かな |
|---|---|
| 自句自解 | ゴールデンウィークに青森、秋田の桜を見てきた。桜前線が早くなったり遅くなったりでヒヤヒヤしたが、結局は例年なみの開花だったようだ。弘前公園の桜はちょうど身頃で報道にあった通りすごい人手だった。花筵でゆっくり組は地元の人達、見て歩き組みは観光客というところか。人出の割には混雑という印象はなかった。広い範囲に桜が咲いていて、城と桜のコントラストはそれは見事なものだった。一つ残念なのは期待していた岩木山が見えなかったことだ。城と桜はどこにでもあるが、これに津軽富士が加わればまさに弘前の桜と言えただろう。岩木山へ向かって車を走らせたが、うっすらと朧の山影が見えただけだったので途中で引き返した。岩木山へ向かいながら吉幾三の津軽平野でも歌いたかったなあ。今度は林檎の花と、その先に聳える津軽富士を味わいたい。 青森といえば林檎!この時期でもあっちこっちで林檎を売っていた。王林、つがる、ふじの直売。一袋詰め放題でなんと500円!奥さんの主婦根性に火が点き、ポリ袋もちぎれんばかりに詰めも詰めたりなんと19個入れた。一個25円強、安〜い!! でも、この時は飛行機で持ちきれず、ユーパックで送るはめになった郵送料は勘定に入れてなかったみたい。 |
| 2007.2 | 麦踏の海へ山へと折り返し |
|---|---|
| 自句自解 | 麦踏みほど地味な仕事はないと思っている。子供の頃、いやいや手伝わされた記憶がある。せっかく生え始めた麦を靴で踏んづけて根を固めるという発想自体が暗い。父母や兄弟が一緒にいるのに会話がほとんどなかった。個人の速度が違うので、話を始めてもいつか離れて話も途切れている。景色も同じだから変化が無く、これも仕事をつまらなくさせていた。ただ、一日に何便かのバスが遠くに見えた時が唯一の楽しみと言えた。誰が乗っているんだろうとか、俺も町へ行ってあそこへ行ってみよう、ここへも行こうと想像を膨らませた。 思えば、空手の稽古もこれに似ている。基本を覚える時期は、単純動作の繰り返しでただ、苦しさに耐えるだけ。目標を持っていないと、つまらなくなって止めてしまうだろう。武道としての空手が根付かない一因だろう。しかし、この時期を乗り越えないと、高度な動作に必要な基本の技が身に付かないし、技と一体であるべき、”心”も育たない。苦なくして楽なし。(H17作) |
| 2007.1 | 猪の時には歩きたることも |
|---|---|
| 自句自解 | 猪の季語は秋だが、今年の干支は猪なので年頭の句とした。猪突猛進の猪も、四六時中走り続けている訳ではあるまい。時には歩くこともあるだろう。俺たち団塊世代は、脇目もふらずに頑張って走ってきた。そろそろ一息入れてもいいんじゃあないかな。勿論、やらなくてはならない時は必死にやるが、明日でいいことは明日に回して、時間を自分のために使えないか。気持ちは若くても身体は相当疲れていると思うよ。運動会の徒競走に出たお父さんがよく途中でコケているが、あれは、頭の中ではスピードが上っているが、身体がついていっていない証拠。俺たちもこれと同じ状態だな。山道を一所懸命駆けてきて、結構疲れが溜まっているだろう。ここらでギアチェンジしてもいいんじゃあないだろうか。これから先、まだひと山もふた山も越えるんだから。 |
| 2006.9 | 霊山に白き一筋神の滝 |
|---|---|
| 自句自解 | 那智の滝を見てきた。華厳の滝、袋田の滝を加えて3大瀑布だそうだ。一番良い滝と思った。何よりも遠くからでもよく見えるのが良い。那智山は女性も入山できた霊山なので女人高野と呼ばれていた。そう言えば、華厳の滝のような滝壷に轟く荒々しさはなく、強くやさしくまさに女性的な滝だ。世界遺産に登録された熊野古道を踏破する時間はなかったが(体力も?)、那智の大滝に至る「熊野古道大門坂」の鬱蒼と繁る杉木立の下に立てば、はるか空海の時代にタイムスリップした気分に浸れる。そして、那智大社への階段に疲れた両足を南紀勝浦温泉に伸ばせば、まさに曼荼羅、極楽極楽。(H18作) |
| 2006.8 | 滴りの山をそびらにコンサート |
|---|---|
| 自句自解 | 越後湯沢に加山キャプテンコーストというスキー場がある。オーナーは加山雄三。このスキー場で毎年7月、加山雄三のコンサートが行われている。ゲストには、南こうせつ、さだまさし、イルカなどが常連である。観客はほとんどおばさん、おじさん達で、年の頃60ってところでしょうか。前座でアマチュアのおじさんバンドがグループサウンド時代の曲を披露するが、うまいへたはともかくなかなか楽しめる。 GSブームというのは、昭和42〜43年のたった2年間であったと言われている。高校生であった私もGSに夢中になった。今でもかなりの曲の歌詞をそらで歌えるが、これがたった2年間のことだったとは信じられない。 加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズというバンドがある。GSブームの前から活動し、ブームに火を点けたバンドの一つだ。ヒット曲はそう多くないが、代表曲の「想い出の渚」が不滅のヒット曲なので忘れ去られることはないだろう。このバンドが今元気だ。2年前に聞いたときは、すっかりコミックバンドになちゃってと思ったが、今回のコンサートを聞いて驚いた。確実にうまくなっているのだ(今風に言うと、進化している)。力の衰えを技でカバーなんて言わず、パワーもアップしている。テレビの懐メロに即席で再結成したバンドとは違う。平均年齢60歳にしてこのパワーだ。植田芳暁の迫力あるドラムを聴きながら、俺もまだ若いぞ!がんばるぞ!と自分に言い聞かせていた。 |
| 2006.6 | 女からあがる昼どき田草取り |
|---|---|
| 自句自解 | 私の実家では昔、果樹をメインとしながらも米を少し作っていた。父にどっちが楽か聞いたことがあったが、手のかかり方では米の方が楽だと言っていた。しかし、昔の米作りはすべて手作業で、春の耕しから田植え、草取り、稲刈り、脱穀と今から見るとずいぶん手が掛かっていたと思う。果樹は摘果やら消毒やら時期を逸すると、てき面に品質が落ちるので、神経を使うという意味でそれ以上に大変だったのかも知れない。田の草取りは、名前は忘れたが畝の間をガラガラ引っ掻き回す手押しの道具を使うか、「田水沸く」という季語のとおりの熱い水に手を入れ、直接むしるかであった。昼どきになると、母が昼飯の用意のため、一足先に田をあがる。家に帰ってくるとまず、汗で重くなった麦藁帽子を取り、びしょ濡れのシャツを脱ぎ捨て、水で体を拭いて家に入った。午後には、またそのシャツを着て田んぼに出るのである。今の私では一日で寝込んでしまうかもしれない。(H17作) |
| 2006.5 | 薫風や両手放しにすべり台 |
| 自句自解 | 山梨県の南アルプス市に御勅使川(みだいがわ)という川がある。釜無川(富士川)に合流するまで18Kmくらいの距離を流れている。洪水が多かったので、水出川(みでえがわ)と呼んでいたが、江戸時代に洪水を治めるために、勅使がたったのでこの字を当てるようになったそうだ。 10年以上も前のことになるが、この川のそばに、御勅使公園という遊び場があり、帰省の折に子供を連れて長いすべり台やターザン遊びによく行った。五月の晴れた空の下、すべり台に慣れた子供が得意になって、見てくれとばかりに両手放しで滑り降りていた。 気持ちよい五月の風、その風になびく子供の髪、そしてそんな孫をうれしそうに見上げていた母の顔を思い出す。 |
| 2006.3 | 生涯を徒手空拳に初桜 |
| 自句自解 | 木村先輩が逝かれてひと月になる。先輩と初めて会ったのは鈴鹿学園の審査会だった。当時34歳で眼光鋭く、袖を短く切った胴着から出た丸太のような太い腕を見て、畏怖の念を抱いたことを覚えている。卒業後、鈴鹿OBの東京会から、中央学園OB会へと最後までお付き合いをさせて貰った。 先輩は、NTT退職後日野市の電話機会社に5年間勤務した。稽古の連絡などで電話やFAXを送ったが、結構周りへ気を使っているように感じた。空手一筋で固い性格だったので、おばさん達が多い職場では苦労したかも知れない。60歳で現役を退き、趣味を空手と登山として、自適の生活に入った。前立腺肥大の手術を受けたのもこの時期だったろうか。術後半年はアルコールを控えるように医者から言われていると、ピッタリ6ヶ月酒を断った。意思が固くまじめな性格の一端だ。こんな人が平衡感覚に異常をきたしていながら、なぜ、医者に行かなかったのだろう。自分の健康に自信を持っていたからだろうが、こればっかりは頑固さが裏目に出た。 先輩が倒れる2日前私は先輩のマンションを訪ねていた。当時先輩は、OB会名簿をワープロからパソコンのワードに変える作業をしていて、私は新しいパソコンの設定や使い方の指導で月に3回程鷺沼を訪ねた。夜九時頃二人で遅い食事をしながら色々話した。田舎のことが多かったと記憶している。さすがにその頃は階段の上り下りが辛いほどだったので、桂浜合宿から帰ったら、必ず病院に行くと約束してくれた。これが、この時ではなく、せめてもう一回前であったらと悔やまれ、また申し訳ない思いで一杯だ。 先輩の一生は、自分一人で実直に、まさに徒手空拳で生きた一生であった。空手道五条訓のとおり、人格完成に努め、礼儀を重んじ、誠の道を守った木村先輩。中央学園に桜の季節が訪れました。 |
| 2006.2 | 天神に押し合いへしあい受験絵馬 |
| 自句自解 | 暦の上で春となった。いよいよ受験シーズン真っ盛りだ。学問の神様菅原道真が奉られている各地の天神様は、合格祈願の受験親子で賑っている。参詣客がごった返すのと同様に受験絵馬を吊るす場所も混み合っていて、合格祈願の他人の絵馬の上に、自分の絵馬を重ねて吊るすしかない。それは生徒がテストで一点を争っているのと同じように、絵馬も押し合いへし合いしているように見えた。好むと好まざるとに関わらず競争社会に放り込まれた子供たちよ、ガンバレ!負けるなよと声を掛けたい。 (H16作) |
| 2006.1 | 陽光を海に広げて描初め |
| 自句自解 | 書初めは新年になって初めて書を書くことをいうが、絵を描くことを、描初め(えがきぞめ)と分かりやすく言った。正月の太陽を海いっぱいに広げて描いた、めでたしめでたしと、極めて平明な句である。今年の本部新年句会にはこの句を出した。新年句会には全国から人も句もたくさん集まるので、おとなしい句より、驚きのあるというか、目立つ句の方が有利だが、今年は特に落ち着いた一年にしたいという思いから、この句を選んだ。仕事的には、セカンドステージ2年目なので、現役時代のように先を急がず、地に足をつけて着実ないい仕事をしたいし、家族とも平凡で当たり前な時間をいっぱい過ごしたい。(H18作 |
| 2005.9 | 徐けさの林の如し甲斐しぐれ |
| 自句自解 | 再来年のNHK大河ドラマが「風林火山」に決まった。わが故郷の甲斐・武田の物語であることと、主人公が山本勘助なので(縁もゆかりもない同姓だが)、今から楽しみにしている。掲句は風林火山の、「徐かなること林の如く」を下敷きにしている。孫子では風林火山の後さらに、知りがたきこと陰のごとく、動くこと雷の震うがごとく・・・と続く。カラオケのなかった昔の宴会では、この風林火山が挿入された武田節をよく唄った。山梨には民謡らしい民謡はないが、縁故節という島原の子守唄によく似た民謡があった。「ありゃせーこりゃせー縁で添うとも柳沢はいやだよ」と我が故郷らしく(?)、やけに暗い唄だった。 (H16作) |
| 2005.9 | 八月尽雲の育たぬ水平線 |
| 自句自解 | 今年の夏合宿は会員のお子さんとの夏休みを邪魔しないことと遠方から参加の先輩の交通費負担軽減のため、初めて9月に行った。台風が来るんじゃあないか、浜は涼しすぎやしないかと心配したが杞憂であった。昼も夜も適度の気温で快適な環境だった。幹事としての読み違いは、涼しくなるので、ビールも減るかなと期待したが、人数が少ないにも関らず、去年並みの115本も飲まれた。 照木先生が高齢を理由に、今回の合宿を最後に空手OB会の催しに参加できないとの宣言があった。全員で「否決」したが、84歳では致し方なし、88歳の絵画の個展はみんなで見に行こう。 稽古最終日、水平線に小さな入道雲があった。それ以上育つこともなく、海は夏の終わりを告げていた。それぞれがそれぞれの思いでこの雲を見ていたことだろう。(H17作) |
2005.7 |
進むほかなし夕立へ駆け出して |
| 自句自解 | このところ暑い日が続いて、夕立でも欲しいところだが、なかなか降らない。子供の頃はもっと夕立が多かった気がする(故郷の地形のせいだろうか)。むせ返るような暑さの中、急に雲が出てぽつぽつと来たかと思うと一気に土砂降りになる。降り始めの雨の勢いで土埃が立ち、その匂いがするとあたりが涼しさに覆われる。家の中で昼寝やら手仕事やら、それぞれ過ごしていた大人や子供が縁側に集ってきて、皆で庭の雨を見ていたことを思い出す。多分全員の頭の中は空っぽで、ただボーと呆けたように雨を眺め続けていた。まだ、家族と言えるものがあったいい時代のことだ。 ところで、掲句だが帰宅時、駅に降り立ったとたんポツリポツリと来た。雨宿りでやり過ごすか、走って帰るか迷ったが、後者を選択した。しかし、それは無謀な決断で、やはり途中から雨脚が強くなってきた。しかし、今更引き返す訳にもいかず、前進あるのみと開き直って走った。人間、一つのことを為すに、成果やら条件やら体調やら、できない理由を探して足踏みをしていることがあるが、一度自分自身をその環境に放り込んで、もう逃げられない、やるっきゃないと開き直らせることも必要だ。人間そんなに弱くないから、大概どうにかなるものです。(H14作) |
| 2005.5.28 | 囀りのシャワーを浴びて草に寝て |
| 自句自解 | 伊豆大島の三原山の中腹にあさひ牧場という牧場があった。その牧場では、レストラン(焼肉料理)も経営していて、特に屋外で海を見ながら食べられるため、結構人気があった。若葉の頃だった。大島の妻の実家に帰った折、幼かった子供に牛を見せて、昼食に焼肉を食べた。焼肉といえば何と言っても生ビール、適度に酔い、心地よさに草原に寝っ転がった。ゆるい勾配の下は海、遠く水平線をゆっくりと貨物船が横切っている。見上げると木々の若葉が空を覆っている。その木々からさえずりがまるでシャワーのように降って来ていた。降り注ぐ太陽、頬を撫ぜる心地よい風、草の上に横たえた全身で囀りのシャワーを浴びた。 |
| 2005.5 | 勇退といふ散り方も水中花 |
| 自句自解 | 36年勤めた会社を退職した。3月31日退社で、4月1日が斡旋された会社への入社だったので、まるで転勤気分で退職の実感はなかった。前の会社では、もう最後だということですべての本や資料を惜しげもなく捨ててきたが、この連休で家に残っていた資料の整理をした。技術資料、マネージメントスキルの向上、考課のための自己申告、先輩からのアドバイス等々よくもまあこんなものまでと思うほど大事に取ってあった。それらをすべて捨てた。そして、捨てながら思った、本当にもういらなくなっちゃったんだろうか。特に、部下の育成に関する資料を手にした時そう思った。もう終わりにしていいのだろうか、新たな会社では今まで充電してきた僅かばかりの蓄えを放電してくだけでいいのだろうか。 我々、年功序列で永年就職世代は、散ることのない水中花のようなものかも知れない。色褪せて醜くなってもそれでも咲いている水中花。会社で辞職願を書かされた時は、辞めさせられるのに何でお願いかと思ったが、新たな環境に変わって一ヶ月、早めに散ることも、それはそれでいいかなと思うようになった。(H17年作) |
| 2005.2 | 校庭に春塵風の又三郎 (H16作) |
| 自句自解 | 春先になり、畑や校庭の乾いた土が強風に舞い上がり人を悩ませる、それが「春塵」。家の掃除・洗濯を担当する奥様には憂鬱な春塵だが、春を感じるために平気で窓を開けてひんしゅくを買っている。ある日曜日、無人の校庭に砂埃が立ち上がりサッカーゴールの間を行ったり来たりしている。まるで、風が遊んでいるように感じた。宮沢賢治の世界ならば、きっとこの風に乗って又三郎が現れるだろうと思った。 |
| 2004.12 | 生誕のめでたきをもて年納む (H16作) |
| 自句自解 | 地震、台風、連続真夏日の異常気象同様、私自身にとっても激動の一年でした。長女の就職、次女の大学入学、そして母親の死、自宅買い替え、喜びと悲しみ、迷いと悩みがないまぜの一年でした。そんな一年のしめくくりとして姪っこが男児を出産し、激動の一年をめでたさで締めくくってくれた。終わり良ければすべて良し、このめでたさが来年につながり、平成17年が佳き年であるよう祈っている。 |
| 2004.9 | 御岳へ馬柵より続く蕎麦の花 (H14作) |
| 自句自解 | 秋です、天高く馬肥ゆる秋。暑さで失せていた食欲がやっと戻る季節。といっても最近は冷房があるので、夏に食欲がなくなることもなく、夏痩せならぬ夏太りが増えているのだそうです。長野県の開田村は木曽駒の原種を保存していることで有名です。高く抜けるような空の下で草を食む木曽駒、馬柵(ませ)の近くに蕎麦の花、そして遠くに御岳山と、役者が揃い過ぎましたが一昨年旅した時の嘱目吟です。 |
| 2004.8 | 厨より女駆け来る魂迎え |
| j自句自解 | 盆の8月13日の夕方、精霊を迎えるために迎え火を焚く。門火といわれるように、門前で焚くのが一般的であるが、私の実家では、迎え火を近くの小川まで出て焚いていた。つまり、精霊を川から迎えるのである。苧殻ではなく麦藁を燃やし、燃え尽きそうになった頃川に流す。その時精霊をお迎えする詞を唱える。これは父の役目で、「ご先祖さんこの火の明りでおいでなって」と言っていた。子供の頃、火は下流に流されて行ってしまうので、ご先祖は家が分からないんじゃあないかと真剣に考えた。迎え火は暗くなった頃焚くので、母親はちょうど夕食の仕度の真っ最中で、後から濡れた手をエプロンで拭きながら、駆けて来るのが常であった。 今年の盆はその母を初めて迎える。 |
| 2004.6 | 野に生きることより知らず花茄子 |
| 自句自解 | 母の喜寿の祝いに色紙に書いた一句だ。もう13年も前のことになる。 母はこの句を暗誦していて、よく、野良に出て働くことの喜びを話してくれた。 裕福な農家のお嬢さんが見合いで嫁ぎ、地主の嫁としてのんびり暮らすはずが、農地改革で土地を失い貧乏暮らしに急転落、以来食うのがやっとの生活が長く続いた。作者としては、夏の田の草取りで汗びっしょりの姿、父の押す鋤を牛や馬並に引っ張っていた母への記憶から、百姓しか知らなくて可哀想だなあ、という気持ちも少し混じっての句であった。しかし、本人は良い方にしかとらず、野に生きることしか知らないことを誇りにしていた。 もうすぐ四十九日、交通事故という残念な死に方であったが、どうか成仏して欲しい。 採る暇なく逝き母の蕗茂る 吉人 |
| 2004.4 | 江ノ電の運転席の扇風機 |
| 自句自解 | ここ何年かは、ゴルデンウィーク前半のイベントは、永坂家にお世話になっての春合宿であった。子供が小さい頃以来訪れることもなかった江ノ島も毎年見れたし、家族も参加させて貰ったしで良い何年間
ではあった。合宿ついでに俳句もいくつか作った。 ・江ノ島の緑ふくらむ五月かな ・戦艦の主砲沖向く走り梅雨 ・戦艦にペンキの匂ひ夏兆す ・鼻大きペリー似顔絵麦の秋 そして、去年は掲出の句が出来た。今年のゴールデンウィークも湘南ではないが、海を見に行く予定だ。これまで 同じように晴天であることを祈っている(H15作)。 |
| 2004.2 | 熟年と呼ばるる齢冬ざくら |
| 自句自解 | 二月に入ると河津桜が咲き始める。緋寒桜と大島桜の混合種で紅が濃いきれいな桜だ。河津には夫婦連れが多く、まだ風の冷たい川べりをよくそぞろ歩きしている。永年連れ添った夫婦なればこそ、会話などはあまりせず、片方が一言発すれば、一方が一言返すという風に桜を見上げることに専念している。ふと、自分たちもその中にいて、熟年と呼ばれるに何の遜色もないことに気が付いた。(H14作) |
| 2004.1 | 三猿の技を身につけ炬燵猫 |
| 自句自解 | 新年あけましておめでとうございます。今年の干支は猿です。サラーリーマン生活35年の真面目人間も、時々見ざる、言わざる、聞かざるを決め込み、何が起きても寝たふり、知らんぷりをしていたいと思う今日この頃であります。とは言っても、炬燵猫になるにはまだ早いので、今年は土日をぼけっと過ごさないように、空手と俳句に目標を立てて頑張り、一年後の成果を楽しみにしたいと思っている。(H15作) |
| 2003.9-2 | 教室に駄菓子屋横丁文化祭 |
| 自句自解 | 私の高校時代の文化祭は、あまり準備に時間をかけた記憶がないが、今は体育祭と並ぶビッグイベントとして、生徒自らが自分の時間を割いて準備にあたっている。劇などの出し物、食べ物屋の出店、ライブ演奏そして当日には他のクラスに対抗して客寄せまでしている。我々が会社人間になって生活を掛けてやっていることを、事前に体験していて頼もしいかぎりだ。この調子でエネルギッシュでやる気十分な社会人になって欲しい(H15作) |
| 2003.9 | 渚ゆく馬の速足涼新た |
自句自解 |
八月も末になると九十九里浜の朝は落ちつきを取り戻します。思い思いに散歩をする人や、浅蜊取りの漁師が波に見え隠れしたりして、 静かな時が流れるようになります。波際を走る馬の速足は新涼の趣き十分です。(H5作)
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| 2003.7 | 階段を跳んで明日から夏休み |
| 自句自解 |
私の好きな俳句ベスト3に入る句です。子供が小学生の頃、一学期の終業式の日にいつもは一段づつ降りている階段を跳び降りているのを見かけました。ちょうど明日からの夏休みを喜んでいるようで、とっさに口をついて出た句です(S62作)
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| 2003.6 | 分け入りし闇にまだ闇螢狩 |
| 自句自解 |
私の蛍の記憶は、菖蒲の葉の匂いとともにあります。蛍狩りに行った記憶はぼんやりとしたものですが、蛍籠に入った菖蒲の葉の匂いだけはなぜか鮮明に覚えています。捕らえられた蛍は菖蒲の葉の入った蛍籠で一晩光り続け、そして、次の朝、その蛍籠には動かなくなった蛍とまだ青々とした菖蒲の葉が残されていました。この菖蒲の葉の匂いの記憶は、子供心にも短い蛍の寿命をさらに縮めてしまった罪の意識を感じて残ったものなのかもしれません。(H15作)
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| 2003.4 | 満員の渡舟を押して青嵐 |
| 自句自解 | 歌でおなじみ、矢切の渡しの景です。帝釈天から寅さん記念館を見て土手へ出ると寅さん映画そのままの江戸川が現れます。河川敷では草野球の試合が白熱しており、土手の草に腰掛けて見ている人、寝っころがっている人と長閑なものです。渡舟(わたし)は、対岸までゆっくりのんびり渡ります(でも混んでいる時はエンジンをかけて業務効率を上げるのがなんとも・・・)。 川面を渡る青葉風に吹かれると、長い列を並んだことも、明日の仕事もみ〜んな忘れて 来てよかったな〜と思います。(H14作) |
| 2003.2 | 湯の宿は和室が良けれ水仙花 |
| 自句自解 | 水仙で有名な近場の観光地といえば、伊豆の爪木崎と鋸南の保田が挙げられます。爪木崎には海の、保田には山の水仙の良さがありどちらも好きです。そして、水仙見物はいくら近くといっても温泉にでも一泊してゆっくり行きたいものです。(H14作) |
| 2003.1 | 山国の山に始まる初茜 |
| 自句自解 | 私の故郷山梨は、四囲を山に囲まれているので、初日の出は山から上がります。まだ中天に青暗い闇を残しながら東の山の端が茜差す様は圧巻です。今年も様々な難問、障壁は正拳突きで突破します。押忍!(H14作) |
| 2002.11 | 故郷に母在りて色変へぬ松 |
| 自句自解 | 一年を通して緑を失わない松を、昔から「松の操」と言い、主従関係の例えをはじめ、人と人との心のありように使われてきました。私の母は「親思ふ心に勝る親心・・・」という吉田松陰の和歌をよく口にし、親子の愛の、特に親が子を思う心は深いのだよと言っています。母の住む故郷の庭には、明治の始めに植えられたという松が今も色を変える事なく威容を正しています。(H13作) |
| 2002.9 | 房 選 び し て 遅 れ と る 葡 萄 狩 |
| 自句自解 | 時間が限られている観光農園でのぶどう狩では、見た目の良いものなんか選んでいないでどんどん食べないと人に遅れをとっちゃうよ、という句です。人生にも似たことは沢山ありますよね。金儲けとか、結婚とか、出世とか(H9作) |
| 2002.7 | 九時にしてすでに炎天原爆忌 |
| 自句自解 | 仕事で8月の広島に行った時の句です。どうしても原爆ドームが見たくて、朝、眠い目をこすりながらバスに乗りました。五・七・五のリズムに乗せるため九時にしましたが、朝飯前だったので、現実には7時頃だったと思います。日向はもう頭がクラクラする程の暑さでした。俳句では、季語を二つ使うと焦点がぼけるので、季重なりといってきらいます(例外はいっぱいありますが・・)。しかし、実景を見てしまった私は炎天と原爆忌がどうしても削れず、どこにも発表することもないまま引き出しにしまっておいた作品です。(H6作) |
| 2002.6 | 戦艦の主砲沖向く走り梅雨 |
| 自句自解 | 去年の春合宿の帰りに寄った横須賀での一句です。日本海海戦で「皇国の興廃この一戦にあり・・」と東郷元帥が打電した旗艦三笠が記念艦として係留されています。思ったより小さく感じましたが、しばらく司馬遼太郎の「坂の上の雲」の世界に浸りました。ところで、横付けされているのに主砲が沖を向くはずがない、などとおっしゃらないように。事実と詩は異なるものなのです(^_^)v(H13作) |
| 2002.5 | 江の島の緑ふくらむ五月かな |
| 自句自解 | 春合宿に初めて参加した時の即吟です。鵠沼海岸側から見る江の島は浜と海と一体感があり、逆側から見るよそよそしさに比べて家族的な安心感があります。ところで、湘南といえばサザンですが、私は「勝手に・・・」のころからズーとはまっています。遊びの曲と照れるほどマジな曲が混交していて多彩、特にバラードの甘さ切なさは否が応でも遠い青春時代に引き戻されます。(H12作) |
| 2002.3 | 屋根付きの少し値の張る花見席 |
| 自句自解 | 3月の練習風景でわかるように今年の桜の開花の早さには驚かされます。桜と云えば東京では上野公園ですが、ここで何回か花見をしました。その年は幹事さんが気を使って、雨が降ってもいいようにビニールの幌付きの夜桜席を取ってくれました。勿論、その筋の資金源でもある訳ですから、しっかりお金は取られましたが・・・(H12作) |