冬水田んぼの歴史(第1回)
「会津農書」の田冬水


記録:平成16年 1月14日
掲載:平成16年 1月19日
大学の先生 秡川 信弘

 今から300年以上前に書かれた『会津農書』の中には冬水田んぼを推奨する記述があります(下記参照)。
 この冬水田んぼの取り組みは、国を挙げた乾田化の流れの中で冬期湛水が半ば強制的に廃止させられた明治中期まで、農民の技術として200年以上にわたって続けられたと推測されます。その間、冬、田んぼに水をかける技術(に対する考え方)はどのように継承され、進展していったのでしょうか。また、明治期以降、日本の稲作はどのように変化してきたのでしょうか。このHP上で少しずつ紹介していきたいと考えています。


『会津農書 会津農書附録』(pp.54-55)

田冬水
<原文>
 山里田共に惣而田へハ冬水掛けてよし。何れの川も何れの江堀にも、川ごミ有もの也。取わけ町尻、村尻、其外汚を水の掛処ハ冬水懸てよし。其上路辺より雨降に惣水流れ入てよし。水口三ヶ一程の所へハ、江を立て、尻土へ計懸へし。水口の所ハ田植て懸る故に冬ハ除てよし。卑泥ハ春水掛ても不苦、陸田ハ春水を干べし。遅くほしてハ鮮田に成りて悪し。
 
<現代語訳>田へ冬水をかけること
 山田、里田ともにどの田へも冬に水をかけてよい。どんな川にも水路にも、川泥がまじっているからである。とりわけ町や村の排水、そのほか、くぼ地にたまった水をかけるとよい。水口から三分の一ほどのところまで水路を掘り、水尻のほうへだけ流しこむ。水口のところは田植えをしてからかけるので、冬はかけなくてよい。卑泥田は、春になっても水をかけておいてよい。乾田は春になったら水を干す。あまり遅く干したのでは、塊返しした土が乾かず、生田になってよくない。

【文献1】『日本農書全集第十九巻 会津農書 会津農書附録』原著者:佐瀬与次右衛門(1684年)、校注・執筆:庄子吉之助、長谷川吉次、佐々木長生、小山卓、農山漁村文化協会、1982年8月25日発行

『会津歌農書 幕内農業記』(pp.109-110)

(八五)田冬水 附春水
<原文>
冬水をかけよ岡田へごみたまり 土もくさりて能事そかし
冬のうち居村の堀のかゝる田ハ 汚水ましハり猶によろしき
あら田にも冬水かけよ土はやく くさり本田の性と成へき
元よりもひとろむきにハ冬水を かけ流しけりごみためるとて
春の水かけしその田の稲草ハ そたちきをへと実入かひなし

【文献2】『日本農書全集第二十巻 会津歌農書 幕内農業記』原著者:佐瀬与次右衛門、佐瀬林右衛門(1700年?)、校注・執筆:長谷川吉次、小山卓、農山漁村文化協会、1982年4月25日発行


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