豊穣の秋 |
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記録:平成15年10月11日 | ||||||||||
掲載:平成16年 1月 5日 | ||||||||||
志波姫町の農家 菅原 | ||||||||||
反当たり収量5.5俵。今年の収量である。昨年は8俵収穫できた。それに比較して2.5割りの減収である。減収したとは言っても、今年の冷夏にあっては平均的な収量である。しかし、イモチにかからず、不稔も少なかった俺の田んぼでにあって、このように減収した原因は、意外にも稲の分けつ数と一株あたりの着粒数が少なかったためである。なぜ分けつ数と着粒数が少なかったか?これは今後の大きな検討課題となる。収量が減じた理由として真っ先に頭に浮かぶのは肥料切れである。今年はできるだけ減肥料により稲作を行った。そしてほ場毎に異なる肥料を与えた。無肥料のほ場もあったが、コメヌカ、クズダイズを施肥したほ場もあった。しかし、いずれもの水田も収量はそれほど違いはない。そのため、収量が思わしくなかった原因を簡単に肥料切れに結びつけるのは早計である。 次に考えられるのが、稲が草に負けた可能性。これについても、草が勢い良く繁殖していた部分、ほとんど草がなかった部分、見た感じではあるが、いずれも稲も着粒数に違いがあるようには感じなかった。冷夏との関連も考えられが、これはも因果関係がはっきりしない。いずれにしても、少ない数とはいえ、出穂した籾は、一つ々確実に登熟してくれた。まさに粒ぞろいの米である。 収量は決して多くなかったが、無農薬を貫徹し、
さて、豊穣の秋である。冬期湛水水田を始めてから、俄に騒がしくなった俺の田んぼであるが、この騒がしさは稲刈りまで継続している。始めに電話してきたのは西宮さんである。「無農薬の稲は自然に優しい天日で乾燥させるべきではないか?一部でもいい、手伝いに行く。」環境保護関係の役所に努める西宮さんは自然に対するこだわりが大きい。 せっかくの西宮さんの提案ではあったが、俺は乗り気でなかった。 天日干しを行うためには畦に棒を立てかけ、それに刈り取った稲
さらに付け加えると、冬期湛水水田では田んぼに残留する稲藁が施肥効果を生む。しかし天日干しの場合、稲は根本から刈り取られ田んぼから運び去られるので、田んぼに稲藁が残らなくなる。だいいち、天日干し用に稲を刈り取るとなるとバインダーが必要である。 幸か不幸か俺はバインダーを持っていなかったので、これをいいことに俺は天日干しの提案を断ろうとしていた。そう思っていると隣り町で「ナマズの学校」なる団体を主催している三塚さんから「俺がバインダーを貸してやる。」そう告げられた。皆さん親切である・・・。
10月11日、田植えをも手伝ってくれた西宮さんと愛鳥家の呉地さん、そして三塚さん率いる「ナマズの学校」が俺の田んぼにやってきた。 俺は、手刈り用にとコメヌカ水田の一部に稲を刈らずに残しておいた。これを西宮さんと愛鳥家の呉地さん、そして「ナマズの学校」の子供軍団が手刈りした。人手が多いからあっという間の作業である。しかしこの勢いが悲劇を生んだ。 ナマズ軍団は喚声を上げ、コメヌカ水田で稲刈りしていた。俺は隣りの田んぼをコンバインで稲刈りしていた。コンバインは田んぼの四辺をグルグル周りながら稲刈りする。そのため、コンバインに乗っていると、隣りの田んぼで稲刈りしているナマズ軍団の姿が見えたり、見えなくなったりする。 ナマズ軍団がコメヌカ水田の稲刈りを終える頃、俺のコンバインはターンし、ナマズ軍団が見えなくなっていた。 再びターンすると、今度はナマズ軍団がクズダイズ水田に移動し、刈り残されたガマの穂の前に立っていた姿が見えた。良く晴れた秋の空の下、子供が田んぼでたわむれる。実に平和な風景である。このガマは勝手に田んぼに生えてきたやつだが、景観用に一ヶ所だけ残して置いた。稲も少し混ざっていたと思う。冬になったら、刈り残したガマの近くで白鳥が稲穂をついばむ。我ながらいい絵になるなと、白鳥が来る日を待ちわびていた。
「やっちまったか・・・」 勢い余ったナマズ軍団は、景観用のガマまで刈り取ってしまった。ナマズ軍団は高奥君が指揮している。彼は何事もテキパキこなすので、いろいろお世話になっているが、テキパキするのも善し悪しだと思った。でも子供達は楽しそうにしている。稲刈り作業に楽しさを見いだしたようだ。もっとも、刈ったのはガマだったが。「まあいいか・・・」あきらめることにした。
三塚さんが運転するバインダーは、無肥料水田の一部を稲刈りした。刈り取った稲は天日で干し用に三塚さんの田んぼに運び出し、棒がけするとのことだ。 空には雁の編隊が飛翔している。近くの川には鮭も登ってきた。そのうち白鳥だってくるだろう。田んぼには笑いが溢れていた。冷たかった夏の後の豊穣の秋の稲刈りであった。 |
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