冬、水、田んぼな人間達

記録:平成16年 1月12日
掲載:平成16年 1月29日
冬期湛水水田に集まる人間 高奥 
 
 平成16年1月10日土曜日、私のアパートの水道が凍結した。凍結したとはいっても、私の部屋の水道には異常がなかった。問題が生じたのは私の下の部屋である。アパートの配水管は部屋の床下に設置されているが、この配水管が凍結で破裂したらしく、下の部屋の天井から水漏れしてるらしい。これを聞きつけたアパートの管理人から電話がきた。「あんたの部屋の水道を止める。明日、配水管を修理する。申し訳ないが今日と明日、部屋を空けてくれ、泊まるところがなければホテル代を出す。」そう告げられた。水道が凍結する、1月10日、宮城県北地方は冬真っ盛りである。
 休日の日、突然、私はアパートを追い出された。仕方がないので、とりあえず車に乗り込み、今日一日、何をして過ごそうか考えた。久しぶりに各地の冬期湛水水田を訪問してみるか、そう思った。

(1月10日、菅原水田状況)
 初めに訪れたのは志波姫町の菅原水田、ここには週1回以上以訪れている。その日、訪れてみると11羽の白鳥が畦に頭を突っ込んで何かを食べていた。今年の菅原水田の日常的風景である。白
白鳥は畦畔に頭を突っ込んで餌をついば
むことが多い。
鳥は雁に比べて人を警戒しない。そのため、写真の撮影も雁より容易である。また、白鳥は人間よりも車のほうを警戒しない。ゆえに写真は車の中から撮影する。車でゆっくりと白鳥に近づき、白鳥が警戒の姿勢を取り始めたら、そこで車を止め写真を撮影する。
 白鳥の湖、などと言うと、水に浮く白鳥の優雅な姿を思い浮かべる。しかし、田んぼにいる白鳥は餌をついばむのに忙しく、決して優雅なイメージを感じさせない。田んぼの中に頭を突っ込む彼らの姿、そして短い足でヨチヨチ歩く彼らの姿は、どことなくユーモラスであり、愛嬌を感じさせる。

(1月10日、白鳥水田状況)
 次に、築館町の白鳥(しらとり)水田に向かった。白鳥さんは冬期湛水水田の熟練者で、私たちも冬期湛水水田について、いろいろ教えてもらった。白鳥さんは10年以上前から冬期湛水水田に取り組んでいる。冬期湛水水田の他にも稲の並木植え(数株毎に稲の間隔を広げ
白鳥の行列が仲良く畦畔を歩く。
、風通しを良くし、稲が病気に罹りにくくする。)とか、カキガラを使って用水の水質浄化等も試みるなど、いろいろこだわりの稲作を行っている。昨年も4月に田植えをしているが、この時期の田植えは稲の登熟期にもろに冷夏の影響を受けることになったのにもかかわらず、白鳥さんの田んぼでは、ほとんどイモチが出なかった。もちろん無農薬である。物事にこだわりを持つということが、どれだけ大切なことか、改めて実感させられる白鳥農法である。
 白鳥水田を訪れると、ここにも3羽の白鳥(はくちょう)が畦を歩いていた。白鳥(しらとり)さんの田んぼは白鳥(はくちょう)のねぐらのある内沼にほど近い場所にあるとはいえ、沢が台地を削り形成されたたような狭い水田地形にある。今まで、私はこういった場所にあまり白鳥は飛んでこないとのイメージがあった。しかし、実際には問題なく白鳥が訪れており、自分の持つメージというのが如何にいい加減なものか実感させられる。そして自分の目で現場を確認することの大切さを実感させられた。

(1月10日、三塚水田状況)
 こんどは、同じ築館町の三塚水田を訪れた。三塚さんは「豊穣の秋」にも登場した「なまずのがっこう」の関係者である。三塚さんはブルドーザーのような性格で、何事もエネルギッシュに物事に取り組み、少々・・・いや大いに強引なところもあるが、それだけ地元農家に対する信頼も厚く、頼れる存在でもある。私たちも三塚さんとケンカすることも多いが、それでもいろいろお世話になっている。これからもケンカしながら、お世話になっていくことだろう。
排水路側に白鳥が多く群れている。

 三塚さんは今年から冬期湛水水田を始めた。訪れると、13羽ほど、白鳥が訪れていた。三塚水田の特徴は、田んぼより排水路に多く白鳥が集まることである。三塚さんの田んぼの排水路には水田魚道が設置されている。休日に私や、その他の若手が呼びだされ、三塚さん監督のもと設置した魚道である。
 夏季は盛んにドジョウが魚道を通じて田んぼに遡上していた。田んぼの落水後、ドジョウ達は再び排水路に戻っていた。冬になったらドジョウ達は白鳥の餌になってるのだうか、そんなことを考え、三塚水田を後にした。

(1月10日、及川水田状況)
 次に向かったのは、迫町の及川水田である。一つの水田を二つに分割し、一方を慣行農法で、一方を冬期湛水で稲作を行った。ほぼ同じ条件の田んぼで慣行農法と冬期湛水の比較をしたわけであるから、このデータは冬期湛水水田を改善していくうえで大きな参考となるだろう。この水田にも三塚水田と同様に水田魚道が設置されている。
 昨年、この田んぼには子供達が集まり、田植えを体験し、生き物を調査し、そして稲刈りを体験した。目を閉じれば子供達の歓声が聞こ
白鳥が田んぼでたわむれるその上空を、
雁編隊が飛行する。
えてくる、いまは静かな田んぼだが・・・と思ったら、冬でも及川水田は賑やかである。なんといっても及川水田は伊豆沼のすぐ隣りにあり、そこは渡り鳥の宝庫である。人がいなくなれば、今度は渡り鳥達が田んぼにやってくる。左の写真を見てもわかるとおり、白鳥がたわむれる田んぼの上空に雁の大編隊がある。これが、1月10日、及川水田の状況である。

(1月10日、遠藤水田状況)
 菅原水田、白鳥水田、三塚水田、及川水田、これらの田んぼは渡り鳥の一大飛来地である伊豆沼・内沼にほど近い。そのため、これらの冬期湛水水田に飛来する白鳥たちの大部分は、伊豆沼、内沼をねぐらにしていると思われる。しかし、次に向かった河南町の遠藤水田は、これら湖沼群から直線で25kmほど離れた場所にある。この距離は渡り鳥の生活半径を超えた距離である。
 ゆえに、理屈上、伊豆沼、内沼をねぐらにしている渡り鳥は、遠藤水田まで飛んでこない。遠藤水田に渡り鳥が飛来するとすれば、北上川や迫川、江合川をねぐらとする渡り鳥達である。
 及川水田から車で一時間ほどかけて、ようやく遠藤水田に到着した。いました、いました白鳥さん。交通量の多い国道脇の田んぼにあっても、車の騒音にめげず、白鳥達は田んぼ脇の耕作道にたむろ
耕作道脇に集まる白鳥、井戸端会議をし
ているようでもある。
っている。ちなみに、田んぼからはポンプのエンジン音が聞こえてくる。遠藤水田の冬期湛水は今年も快調に進んでいるようである。
 遠藤さんは、高校の先生で、昨年から稲作に挑戦した。初めは菅原さんからいろいろ稲について教えてもらっていた。しかし8月を過ぎると菅原さんより遠藤さんの稲のほうが調子が良くなってきた。それを見た菅原さん曰く、「遠藤さん、俺に遠藤さんの稲作技術を伝授してくれ。」。冬期湛水に師匠はいない、皆が師匠であり、皆が弟子である。

(1月12日、浦山水田状況)
 1月10日は河南町の遠藤水田まで出かけた。ついでに色麻町の浦山水田まで行こうと思ったが、既に日が暮れかけていたので、浦山水田には1月12日に訪れることにした。
 宮城県では、一般に東北高速自動車道を境にして西側を豪雪地帯としている。いままで紹介してきた菅原水田〜遠藤水田は全て自動車道の東側に位置していたが、色麻町の浦山水田は西側に位置している。
そのため、浦山水田は他の冬期湛水水田とは異なった風景を見せてくれるだろう、そう思っていた。
冬期結氷水田
 で、訪れてみたら、冬期湛水というより冬期結氷水田の様相を呈していた。もっとも、訪れる前日に積雪があったので、たまたまこの日だけ結氷水田になっていたのかもしれない。
 浦山さんは、特に誰のアドバイスを受けたわけでもなく、農業雑誌に書かれていた記事を見て、冬期湛水水田に取り組んでいる。面積もそれぞれ条件の異なった水田、合計2ha以上で取り組んだため、私達もいろいろ教えてもらうことも多かった。


 遠藤水田の項でも述べたが、冬期湛水に師匠はいない、皆が師匠であり、皆が弟子である。この気持がある限り、冬期湛水水田は未来に向かって進んでいくことができる。そのことを「冬・水・田んぼな人間達」から教えてもらった。
 冬の田んぼに水をかける。それ以外は自由に、それぞれのやり方で冬期湛水水田に取り組むことができる。これが冬期湛水水田のすばらしいところである。
もしかしたら、氷の下で新しい命の営みが
始まっているのかもしれない。

 ちなみに、田んぼを冬から湛水する農法を、いままで「冬期湛水水田」と読んでいた。しかし、この6文字熟語は舌を噛んでしまいそうな読み方でもあり、もっと親しみのある名前に換えたほうがよいのでは、との声があった。そのため、最近では「冬期湛水水田」を、より親しみを込めて「冬・水・田んぼ」と呼ぶことが多い。
 昨年は冬期湛水水田に取り組む農家の方々や、冬期湛水水田に興味を持つ方々が集まって、何度か情報交換する機会があった。そして「冬期湛水水田」を「冬・水・田んぼ」に換えることで、もっと多くの人達と、自然を大切にしながら、稲作りの情熱を分かち合っていきたい、そう思った。
 

 

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