2008年01月27日

『肝機能が回復し、数値が正常に ―
酒をやめていなければ、今生きてはいない』
  ピーター内田

「クリスチャンになり酒をやめられたことは、なんと幸いな良い事か!」

家具製造業から、刀剣店に

 1958年、19歳の時に、銀行が数多くの土地を所有してはならないという法律が制定されました。そのころ10人くらいの職人を雇って、父とわたしとで家具の製造業を営んでいましたが、委託されている不動産会社に「銀行から借りていた土地を買わなければ他者に売却する」と言われました。銀行に相談に行くと、「土地を買う資金は出しましょう。その代わり会社を設立してください」と言われ、有限会社を設立しました。父が社長でわたしが専務となり、その銀行と取引を開始。父とわたしの給料の中から半分ずつ支払い続け、全額払い終えて土地は父とわたしの名義になりました。
  1964年、25歳の時に、趣味が高じてさらに勉強したくなり、刀剣のプロになりました。(すでに高校3年の時から日本刀に魅せられ、研師の所で鑑定を学んでいました。)
  そして株式会社「丸内内田刀剣店」を開業。月に2度は必ず東京に行き、師匠について鑑定を学び、商売をしていました。

「お酒を飲みすぎると早死にするよ」

  わたしは20代のころ、よく献血をしていました。そのころ、病院で何かのついでに健康診断をしてもらった時に、「肝臓があまり良くないので、お酒を飲みすぎると早死にするよ」と言われたことがありました。しかし医者に薬はもらわず、漢方薬を調合して半年くらい飲んだ記憶があります。その後、別に気にすることなくワインとかブランデーを時々飲んでいたことがありましたが、今までに肝臓の薬は一度も飲んでいないです。
  1971年ころ、オイルショックになり、刀剣の相場も崩れるように下がりました。その後75年ころ、居酒屋を始めました。翌年、たばこは完全にやめましたが、このころは、営業のためにお酒は相当飲みました。この前後だと思いますが献血に行って、結果がB型肝炎と診断されてしまいました。(この辺りから血液の検査の精度が上がりました。)

数値が高いのは中性脂肪と血糖値だけ

  その後、定期的に血液検査はしております。資料がなく確かなことは分かりませんが、AST(GOT)・ALT(GPT)は100以上あったのではないかと思います。
  北海道の特定疾患(難治性肝炎)の受給者証を持っていましたが、2005年に外されました。(そのころはGPT80前後に下がっていました。)最近の血液検査の検査報告書によると、07年11月末にAST(GOT)31・ALT(GPT)38、γ―GT(γ―GTP)47は全部正常範囲です。そして今高いのは中性脂肪と血糖値だけです。
  1986年、当時のテレビ伝道で救いを受け入れアルコールをすべてやめ、87年、48歳の時に、受洗して現在に至ります。

酒をやめていなければ、今生きてはいない

 昨年12月、室蘭カリスマ聖会の帰り、千歳で飲酒一斉取り締まりがあり、車を止められ、警察官に「息を吐いてください」と言われました。思い切りハーと息をかけたら、「今、酩酊運転者が増えていますので、気を付けて札幌までお帰りください」と言われ、「ご苦労さま」と言って帰ってきました。
 クリスチャンになり酒をやめられたことは、なんと幸いな良い事か!と主に感謝しております。もしクリスチャンにならないで、酒をやめていなければ、(肝臓の病気で)今生きてはいないでしょう。
 祈りはクリスチャンの特権であり、神との交わりです。毎日、病気と、そのほかのためにも祈っております。祈る課題が山ほどあるので感謝です。聖書には「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」(マタイの福音書7章7節)とあります。これは根気よく、熱心に求め祈り続けなさいと言っているのです。
 今は、主の御用のために、十字架を負って、主によって生かされています。今わたしは信仰年齢で40歳です。ホテルなどで年齢を書く時「40歳」と書くと、一瞬、顔を見られますが、これがわたしの信仰の年齢です。何年たっても40歳です。年を取らないという事は、若いという事です。ハレルヤ!

2008・1・27

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