八千代市文化財「正覚院釈迦堂」「木造釈迦如来立像」「宝篋印塔」 |
正覚院釈迦堂:「木造釈迦如来立像」が安置されているお堂で、三間堂(間口、奥行きとも三間)といわれた。正面には一間の向拝が付き、周囲には切目縁を廻してあります。内部は2つにわかれ、奥を内陣といい板張りで仏像を安置し、手前は外陣といい畳を敷き仏像を拝む所です。
柱はすべて円柱で、その上の組み物は出組(一手先)といい二重の組み木によって屋根を支え、組物と組物の間には表からは板蛙股(蛙が股を広げた形)。内からは軒と間斗束(柱状)で同じく屋根を支えています。屋根は寄棟造りで当初は芽茸きでした。《八千代市の文化財:第2版(市教育委員会)、写真は2002年2月23日撮影》 |
木造釈迦如来立像:像の高さは166cm、頭髪は渦を巻く縄状で、目は玉眼といい水晶をはめてあります。衣は首元まで覆い、胸から足元まで細かい波紋のように刻まれている衣のひだは、異国風(インド風)の仏像を思わせます。
この像は京都嵯峨お清涼寺の像を模刻したもので、清涼寺式とか三国伝来の釈迦と呼ばれ、鎌倉時代に流行しました。現在、全国に100体あまりあるといわれていますが、県内では他に茂原市永興寺にあるのみです。
カヤ材の寄木造りで頭部・体幹部とも前後ニ材ではぎ、首は差し込み、袖・手・足とも別材で内刺がしてあります。頭部には木造舎利塔をはじめ、天文15年(1546)延宝2年(1674)の修理銘礼、結脈(僧の系図)などが治められています。
建像時期は鎌倉時代後期(約700年前)と思われ,写実的なこまやかさで、美しく丁寧な作りです。江戸時代の修理の時、衣全体に?金模様がこまかく施されました。光背は舟形で高さ224cmもあり、中心部(頭光・身光・光脚部)は建像時のものです。
この像は秘仏のため、ふだんは拝されませんが、毎年4月8日の花まつりの日は厨子を開きますので、拝することが出来ます。
《八千代市の文化財:第2版(市教育委員会)、写真は八千代市の文化財:第8版(市教育委員会)より縮小転用》 |
宝篋印塔:「宝篋印塔」は釈迦堂のわきから上った墓地にあります。小松石で高さ(現在物)は75cmあります。
基礎部分の刻銘により、応永18年(1411)妙呻という女性の教養等とわかります。今では塔身と相輪部分が欠けていますが、市内最古の宝篋印塔です。
室町時代の代表的な信仰遺産で正覚院館杜との関連も考えられます。
《八千代市の文化財:第2版(市教育委員会)、写真は2004年2月12日撮影) |