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■巻機山 2000年8月15日晴れ時々曇り
【清水登山口より井戸尾根往復】

 昨日まで越後三山を縦走してきた疲れは、民宿の料理と酒と風呂と布団ですっかりとれた。

 今日はゆっくりと巻機山を楽しむことにしようと思っていたのだが・・・

 登山口には5時15分に着いた。注意書きがあり行こうとしていたヌクビ沢方面は雪渓の崩壊が激しく通行禁止となっていた。予定通り行くか井戸尾根に変更するかどうするのであろう。準備が遅れた上に登山届けを出していたときに仲間とはぐれてしまう。アレレもう先に行ってしまったのかなと思い、登山道の分岐をヌクビ沢方面に歩き出すが、10分ほど歩いていっても先には誰もいない。登山道は最近は通行禁止で人が歩かないせいか、かなり草で覆われていた。大きな声を出して呼べども返事は無し。これはおかしいと思い、このまま1人で行って遭難でもしたら馬鹿らしいので、単独で井戸尾根を登ることに決めた。

 元来た道を引き返し、分岐に戻ると柴やんが待っていた。井戸尾根方面に登り始めたが、私が後から来ないのに気づき引き返してきたらしい。
(ベテラン達に比べ準備にもたつくことが多かったが、これはルール違反でしょ)
ぶりぶり怒りながら登り始める。

 途中何回か休憩を取るものの、一定ペースで一気にニセ巻機山まで登る。
汗を流しつつここまで来ると、先ほどの怒りも忘れてしまった。
ニセ巻機山からは、避難小屋や水場を挟んで巻機本峰が一望できる。
ゆったりとした山容は、とてもやさしいイメージであった。

 私と柴やんは水場で休憩することとし、徳さんは1人で先に山頂を目指す。
避難小屋に寄ってみると、中は乱雑であまり綺麗ではなかった。
水場は小屋から100mほど離れた沢に降りたとても綺麗な場所であった。
近くでテントを張ったらとても気持ちが良さそうだ。好きな本を持っ来て1日のんびり過ごしたいなあと思った。

 巻機山への最後の登り階段を歩いていると、越後三山より同じコースを歩いてきた九州元気組の駕籠婆さん(越後三山を参照)が追いついてきた。今日は1人だ。仲間は先に行っているらしい。巻機山だとどのグループも適当になるのかな。ザックをおろして休憩しながら話しもう一度ザックを背負う時、変な行動に気がついた。ザックと背中の間に何かスッと挟み見込んでいる。何を入れたのか聞くと、スーパーや八百屋で商品を入れている駕籠を風呂敷で包んだ物という。自分の背中とちょうど大きさが合った長方形の駕籠(高さは3p位)をザックと背中の間に挟み込むことで接触面積を減らし、汗が背中にべっとりと張り付くのを防ぐ道具らしい。本人には大層具合が良いらしく山行の時には必ず使っているらしい。俄然、駕籠婆さんに興味がわき色々と話していたのだが、九州の太宰府に住んでいて宝満山をホームグランドにしているとのこと。山に行けないときには10キロ以上のザックを背負いマンションの階段を上り下りして鍛錬しているとのこと。通りで足も速かったわけだ。百名山には現在八十数座登っている。来週もまた平ヶ岳に登るためにはるばるやって来るらしい。大した行動力だ。あれから2年経ちそろそろ達成している頃かもしれない。

 割引岳まで往復し、牛ヶ岳で徳さんと合流する。徳さんはあちらで九州グループのマッスルと話していたらしい。マッスルは登山靴のラバーが剥がれガムテープで固定していたが、そんなことは一向に気にしていない様子であった。

 巻機山の山頂は、なだらかで長くどこが頂上なのかわかりにくい。山頂の表示があるところはどうも最高点では無い気もする。ま、一通り歩いたのでどこかで山頂を踏んでいるのであろう。

 民宿で用意してもらった昼飯を食べた後、一気に下山した。
民宿に14時頃お金を払いに行く。ココは下山後お金を払う仕組みになっている。
早朝の精算を避ける必然性も有るのであろうが、全てにおいて良心的な民宿でした。お弁当にも「気を付けて」とメッセージまで付いてましたよ。今度来る機会が有ればまた泊まりたいよね。名前は「山田屋?」だったであろうか。うろ覚えだ。
これで今年の盆休み山行は無事終止符を打った。
 
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