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■飯豊連峰縦走 2001年8月15・16・17・18日快晴・霧・雨 【温見平登山口より石転び雪渓、大日岳、飯豊本山を経て川入へ】 |
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仙台にいるとき「一度は必ず飯豊連峰に行かなくちゃ」と思っていたが、今年の4月から横浜に引っ越してしまった。盆休みを利用して心残りの山行予定を実施することにした。 山登りを相撲の番付に例えると、東北の場合横綱は縦走なら「飯豊連峰」日帰りなら「鳥海山」というところか。大関は縦走なら「朝日連峰」、日帰りなら「岩手山」。関脇以下は数多諸々というところ(私見)。 よし今回は単独で横綱に胸を借りに行って来よう。 |
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1日目というより移動日です。朝8時に横浜を出発し13時29分に米坂線小国駅に着。14時40分飯豊山荘行きのバスに乗る予定だ。 |
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朝食はおにぎりにしてもらい5時15分出発。 温見平分岐(左)には30分ほどで着く。ここから右に入り梅花皮沿いを登っていく。 直ぐに堰が現れる。 そのまま進むと「うまい水」というそのままのネーミングの水場に着く。 【写真】 梶川出合 更に沢沿いを進むと梶川出合に着く。 今回はココで初めて雪渓と出会う。 結構氷みたいに堅い。 だからアイゼンとかピッケルも必要となるのかと納得する。 雪の多いときは石転びからココまでずっと雪渓が続いているらしい。 【写真】 石転び沢出合 7時40分石転びの出合いに到着。 本日は大快晴。 ガスを心配していたがホッとする。 まっすぐ進むと門内沢にそのまま入っていってしまうので注意が必要だ。水流の音を聞きながら沢の上の雪渓を渡るときはヒヤヒヤした。 先に歩いていた人の後を辿り対岸に着く。 今日は自分より先に二人の方が登って行くのが見えた。 雪渓から吹き下ろす涼しい風を感じながらおにぎりを食べ、軽アイゼン(6本)を付けて登り始める。 稜線の上まで見渡せる。 途中からは梅花皮小屋も見えた。 梅花皮小屋から降りてくる人たちともすれ違う。 アイゼンを付けていない人もいる。 上の様子を聞くと黒滝より上は雪が無いらしい。 途中で一度ザックをおろし休憩する。 「失敗・・・・」 スプーンカットの上の土は粘土のようにザックにこびり付く。 「同じ失敗は繰り返さないようにしよう」(教訓教訓と心の中でつぶやく) 【写真】 本石転び沢 9時本石転び沢の出合いに着く。 ガスの時に左に沿って登り続け入り込まないように注意が必要だ。 本石転び沢と反対側の水場。 どこかに書いてあった注意を守り、上方から降りる。 水は美味しかった。 このあたりから少し急となる。さらに進むと北股沢の出合いとなる。 【写真】 北股沢 ガスの時右に沿って登ると北股沢に入り込む危険がある。 だから天候が悪いときには石転び雪渓は難しいのであろう。 もうしばらく行くと雪渓の終わりに黒滝があった。 【写真】 黒滝 気持ちが良さそうな水が流れている。 後から追いついてきた新潟から来た男性3人組はココで水浴びをしていた。 やはりどこかで見た”黒滝は落石が集中するところ”との注意に従い少し名残惜しいが黒滝を後にする。 今回は黒滝より上は雪渓が切れていたが、この先はかなり角度が急となる。雪渓が残っている場合には滑ると巨大な滑り台と化してしまうそうだ。 【写真】 梅花皮小屋 11時15分に梅花皮小屋に到着する。 食事無しの小屋だがビールは800円で売っていた。 早すぎるので御西小屋まで行くか迷うが、早く行っても下山が早まるだけなのでゆっくりすることにした。 寝床を確保し荷物を置いて北股岳に登る。 【写真】 北股岳 今のところ宿泊客はほとんど居ないが今宵はどうなるのであろうか。 山頂では今日梅花皮小屋に泊まる方達や、縦走の途中の人たちとのんびり山話をしながら過ごす。 マツムシソウが満開であった。 北股岳から見下ろした石転び雪渓はこんな感じでした。 夕方には梅花皮小屋の2階はこんな感じでした。 やはり人気がありますね。 適度に間を空けて綺麗に寝袋が並ぶ程度でした。 京都から来たご夫婦や山形の人と談笑して時を過ごしました。皆さん東北の山が好きでした。 食事は床の上でそのまま準備できます。 夜の7時には皆さん就寝しておりました。 <耳より情報> 梅花皮小屋近くの水場は水量も豊富ですばらしかったです。 山形の男性はビールを水場で冷やしていました。 (後で少し頂きました。ごちそうさまでした。) |
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三日目 | ||
今日の天候は昨日とは一転し朝から深いガスが立ちこめている。 【写真】 御西小屋 5時15分に小屋を出発し御西小屋を目指す。 烏帽子岳6時、御手洗の池7時、天狗の庭7時半とガスの中を進み8時20分に御西小屋着。 途中一瞬ガスが薄くなったときに丸い虹の中に自分の陰が写るブロッケン現象を見ることが出来た。 (写真ではちょっと分かりづらいです。) 展望はほとんど無かったが、様々な花が咲き乱れていた。 (飯豊の花は別途UPします。) 御西小屋に荷物を預けサブザックで大日岳を目指した。 【写真】 大日岳 このころから少しずつ遠望が利く。 荷物が軽くなったので足取りは軽く9時45分に大日岳山頂到着。山頂の印は木が一本建っているだけのあっさりとしたものだった。飯豊連峰の中で2000mを超える山として直ぐ先に西大日岳があるのでそちらを目指す。 道は徐々に笹に覆われ判別できなくなってきた。直ぐ先に西大日岳が見えるのだがもし途中で再度ガスって帰りが分からなくなると不安だったので、結局誰も人が来ないお花畑の中で1時間ほど昼寝を楽しむ。 再び山頂に戻ると昨晩一緒だった山形の人とご夫婦に出会う。 御西小屋に戻ったのは12時20分だった。 御西小屋はこじんまりとした小屋で、小屋の人も気さくで感じのよい所でしたよ。 ここからは飯豊山を目指す。高低差も少なく山上のプロムナードである。道の両側には花が咲き乱れていた。 (天候は相変わらず良くなかったが、飯豊連峰の中でココが一番楽しめるスポットなのでは無いだろうか。) 【写真】 飯豊山山頂 飯豊山への最後の登りはきつかった。 13:40分飯豊山山頂に到着。 残念ながら展望は無し。 ここから20分ほど下ったところに飯豊神社と本山小屋がある。 本山小屋は鉄板で覆われた大変立派な小屋であった。 ここでの宿代の支払方法はちょっと変わっていた。 宿泊を頼むときにはお金は払わない。 宿泊者が自炊で夕飯を食べ終わった頃に、小屋の人がやってきて一人一人に「どこから来たか。明日はどこへ行くのか。その場合のアドバイス。」との具合で確認しながら宿代を受け取っていく。 ありがたいことなのであるが結構手間がかかりますよね。確か梅花皮小屋は山形県、本山小屋は福島県。管理システムの違い? 「(私)明日は川入に下ります。」「(小屋の人)雨で寝れていたら剣ケ峰のスリップに注意して下さい。」宿泊代金2000円てな具合でした。 混み具合は空いてもなくぎゅうぎゅうでもなく適当というところでした。 小屋より少し下がったところにテン場と水場があります。ココは水量が少なく水場は行列。1L汲むのに30分ほどかかってしまった。 今晩も昨夜から一緒だった山形の人と京都のご夫婦とともに夕食を楽しむ。 皆明日は下山なので、お互いのおかずを交換しちょっと豪勢な酒盛りもできました。でも19時には全員就寝です。 <夕方は晴れてきました。小屋周辺からの景色は素晴らしかったです。> 【写真】 飯豊山 雪田と大日岳 パノラマ |
四日目 |
今日は雨。合羽を着込み5時半本山小屋を後にする。 最終日は川入まで下るのみ。 前もって調べたところ、会津若松行きの山都電車は11:39分と18:04分の二本だけ。切合小屋からならば11時台の電車に間に合わせることも出来るかもしれないが、本山小屋からでは難しい。雨の中ゆっくり下ろう。 切合小屋には6時50分に着いた。途中登り返しもある。御秘所は特別難しいところではない。 三国小屋には7:55着。体が冷えていたので休憩させてもらいホットココアを飲む。確か30分以上の休憩は300円位払うようになっていた。ココも感じがよい小屋でしたよ。その後出発し横峰小屋跡で京都のご夫婦とまた再会。ご主人は各山行毎にビデオカメラを持参しているとのこと。自分でコメントを入れながら撮っていた。三国小屋から降りているときには下から続々と上がってくる登山者とすれ違う。やはりこのコースは飯豊山へのメインコースなのであろう。 横峰小屋跡で合羽を脱ぐことにした。 目の前で親子4人が休憩していた。どうやら小学校4年生ぐらいの上のお姉ちゃんは調子が悪いようだ。 お父さん「よしわかった。今年はココまでだ。山は逃げないぞ。来年またみんなで来よう。」娘さんは泣き出してしまった。お母さん「・・・・(涙ぐむ)」 この親子に幸あれ。来年は全員で登れますように。 御沢小屋跡には11:25着。京都のご夫婦とまた会い飯豊鉱泉まで林道をともにする。ずっと同じコースを歩んできたので話がはずむ。 飯豊鉱泉には12:30着。 鉱泉ではあるがココで風呂に入ることにした(500円)。 電車の具合を聞くと13:36発の夏期臨時電車があるらしい。 タクシーを呼んでもらい乗り合いで山都まで行くことにした。 タクシーを待つ間、座敷でご夫婦と一緒にビールを飲む(大瓶一本600円)。 つまみのサービスでキュウリが出てきた。さすが登山者の心をよく分かってらっしゃる。ご夫婦は小銭を持っていなかったので私がおごらせもらう。 逆にタクシー代は持ってもらってしまった。 結局お名前も住所も取り交わさぬまま別れてしまったがまた今度どこかの山で会えたらいいですね。 帰りの電車の乗り継ぎで郡山駅でタバコを吸っているとき、山帰り風の若者と「お互いどちらから」という話になった。たまたま仙台の青年で近くの山話も続く。彼はテント泊で立山、剱に行き一度下山した後再度後立山連峰を歩いてきたという。 「単独は色々な出合いがあっていいですね。」と言う彼の言葉は、素直に自分の胸に響いていた。 (このときの記憶が一年後の後立山連峰縦走につながる。) 以上 |
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