「洋裁教室に通いたいのだけれど、自分とセンスのかけはなれた60代の先生に教わって、耐え続けられるかどうか……」
ドゥファミリーとかが好きそうな小柄な彼女はそう言った。
「自分も着たいと思うような格好をしている先生から教わりたいんです」
私も、自分が着たいと思うような格好をしている洋裁の先生に会ったことはない。しかし、洋裁の先生の服装センスが悪いのは60代だからじゃない。たぶん、もともと服装のセンスが悪いのである。「センスのかけはなれた60代の先生」じゃなくて「センスのかけはなれた先生」でいいのにと思った。じゃないと、私が(彼女にとって)「センスのいい洋裁の先生」なのは40代だからだってことになる。
彼女みたいに、洋裁の先生のことをダサくて耐えられないと感じている人はとても多いと思うけれど、洋裁の先生のほうが、生徒のセンスが自分とすごくかけはなれていてツライ、というケースは少ないのだろうか。
洋裁の先生がガンコなように、センスの悪い人ほど自分のセンスに自信を持っている。自信満々にこの型紙の幅をもっと広げてくれとか、ショート丈をお尻が隠れる丈にしろとか、七分袖を長い袖にしてくれとか、これじゃあ肩パッドを入れないとかっこ悪いわとか注文をつける。自分の服なんだからそっちのほうが正しいとも言えるが、美を追求しているつもりの先生ならちょっと耐えられない。「もうぜんぜん私のデザインとかけはなれた服じゃん」と思うくらい補正させられても「素敵ですねえ」と言わなくてはいけないのもツライ。
もしかして「センスの悪い洋裁の先生」とは、生徒の言うがままに型紙を補正してあげる先生で、その生徒が○○先生の教室で作った服よと言ってデザインがめちゃくちゃになったその服を自慢げに人に見せたりすることによって生まれた評価なのかもしれない。
