手芸部夜間部に通っているRさんが帰りぎわに
「コウさんの教室に通うようになって、
ちょっとしたことなんだけど、すごい違う。
教わるとぜんぜん違うなあって」って言ってました。
Rさんは、手芸部に来る前にも服をちょっと縫ったことがある。
小物なんかはわりと縫っているみたいで、
ミシンを動かす手つきも
布を切る手つきもそんなに初心者って感じじゃない
(でも方向音痴だけど)。
服飾系専門学校出身の妹さんに
「服は教室に通わないと作れないよ」と助言されて、
ソーイング教室を検索し、私のところを見つけたって言ってました。
私は教え方がかなり上手だし、
Rさんみたいに言ってくれる人はわりと多いんだけど、
「ちょっとしたことなんだけど、ぜんぜん違う」のが、
私に教わっているからだって、Rさん、わかっているだろうか。
とは言っても、
ソーイングをやる人もやらない人も
一般的なソーイングとワタナベ・コウ流のソーイングの違いは
あんまりわかってないと思う。
めんどくさいんで、
コウ流ソーイングの特徴は
「印つけなし、しつけなし」で縫うことだと説明しちゃったりするけど、
本当はそれ以外のもっと細かい部分の違いであり、
もっと大きな部分の違いだったりする。
最大の違いは私が「洋裁の先生」じゃないことかもしれない。
教室や手芸部をやることになって私が心がけたのは、
一般的なソーイングじゃなくて
ワタナベ・コウ流のソーイングを教えようということだ。
でも、と同時に、教えててずうっと不安なのもそこ。
教わる側はコウ流ソーイングを教わりたくて
(というかコウ流ソーイングであることを理解して)
来ているのかどうか。
昨年、ある編集プロダクションのAさんという編集者が
ソーイングの基礎本を作るという企画を持ちかけてくれた。
私は「ワタナベ・コウ流のソーイングでいいなら」と言い、
Aさんもそのほうが競合本と差別化できていいと言っていたのだが、
発行元の出版社の編集者Bさんが
「一般的なソーイングで」と言い、その話は流れた。
実用本なわけだから、Bさんの判断は永遠に正しい。
何年も私の教室に通っていたとしても、
一般的なソーイングとコウ流ソーイングの違いが
わかっているかどうかはあやしい。
たぶんわかっていない人のほうが多い。
教室に通って、だんだん縫えるようになってくる。
縫えなかったころは、
ソーイングの本の作り方を見てもまるでわからないと言っていた人が
ソーイングの本を見るようになる。
既製服を自分にも作れる服として観察するようになる。
そうすると決まって言い出すのが
「〜の本にはこう書いてあった。
コウさんのと違うけど、どうなんですか?」。
「既製服を見たらこういう形のが多い。
コウさんのと違うけど、どうなんですか?」。
どういう意図で質問しているのか私にはわからない。
でも、たぶん「どっちが正しいのか」と聞きたいんだと思う。
ソーイングに限らず、
どっちが正しいのかを気にする人は多数派かつ正しい人なわけで、
別にとりたてて言うことじゃないんだけど、
ああ、やっぱり、コウ流ソーイングだってことが
理解できていなかったんだなあとちょっぴりガッカリする。
私がコウさんの教室に通っていたとして
ちょっと縫えるようになったとして、
本のやり方とコウさんのやり方が違うのを発見したら
「わっ、間違った方法を教えられた」とか思わないで、
自分の頭で考えて
「ああ、こういうやり方もあるんだ」と理解しますね。
というか、実際、自分で服を作るようになって、
いろんな本とか既製服を見るたびに
「本には一種類の作り方しか書いてなかったけど、
なあんだこういう作り方でもいいんだ」と、
むしろ楽しい気持ちになったもの。
そういう洋服の自由さが私は好きなんですよね。