阿 波 の 風           木屋平村 三木 信夫

 古代の大族忌部は,古代祭祀を敬虔(けいけん)に守り続けて,時代の変化に対応した生き方が出来ず,だんだんと衰退しています。固陋(ころう)という言葉がそのまま当てはまる様な,古いなんらかの伝統に縛られて,時代に対応した発展・発想が出来なかったと思います。
 しかし,阿波の忌部はフロンティア精神を持って日本各地に進出して開拓し,その土地に土着し発展しています。
 時代が下ってもその精神を受け継いで育ってきた県人達は,優秀な人材が県外に流出して日本各地で活躍していますが,阿波徳島の人材は,だんだんと空洞化して来ております。
 徳島を世界に向けて発信出来る阿波徳島に育てる為に,身近な所から思っている事をきちんと述べて,前向きに小さな事を積み上げていく事が,新しい阿波の風をおこす事になるのです。これからも阿波から波立つ多くの人々が,人類の豊かな未来に向かってはばたかれん事を望みます。

神社に祭られた鏡               天羽 達郎

 昭和58年まで『全国師友協会』という会があった。主宰者は吉田茂を始め歴代宰相の師といわれた安岡正篤で,この方は昭和天皇の終戦詔書の草稿に朱を入れたことで知られている。その機関紙に神社の鏡について述べた一文があった。今はそれを散逸してしまったので記憶にたどるしかないが次の様であった。
 『神社に鏡を祭ってあるのは,自分の祖先に会いたければ鏡を見よという意味である。鏡の中には自分の顔が写っている。その顔には祖先の血が流れている。自分の顔を見ることは祖先を見ることと同じなのだ。幾多の苦難や絶望の淵を乗り越えて逞しく生き延び,そして素晴らしい国土と文化を今に残し,今日のお前をこの世に送り出した顔がある。もし自分が挫けそうになったり,絶望を感じたら鏡を見よ。思わぬ手立てや妙案が閃き乗り切ることができるだろう。鏡を祭るというのは日本人の深い知恵からきているのだ。』

「阿波風」創刊によせて  上一宮大粟神社 宮司 阿部 千二

 阿波の国は,不思議に包まれた国であります。阿波は粟,淡路の淡,千葉県の安房,全て同義語で,阿波は粟の国,淡の国であり,房総の安房の国も又,あ海ま人族である阿波忌部の天富命が一族を率いて関東に移り根付き,氏祖,天太玉命を祀る安房神社を建立し,後に安房国となったと伝えられています。
 阿は,すなわち,「あ」であり言葉の始まり,全て,根本,天の意を持ち,わ波は,文字通り,波であり広がる波及力,波動力,又,大地を表す意でもあります。淡は水を表し,水は風により波を生じ広がります。風は気の流れであり,気は時に渦となり,大きく成長すると大きなエネルギーを生じます。それを,大自然の神の力,生命力の象徴と信仰されて来たと言われます。鳴門の渦潮も同じく,生命の営みの投影を現す尊いものと,神代より特別なところと思われてきました。
 このように,阿波の国は,記・紀の神話で語られる始まり国,生命の根源の国を意味する名を持つ唯一特別のところと言えます。
 そこで私達徳島県民は,神代から伝わる日本国の成り立ちと阿波の国との係わりの,数々の謎について解き明かし,それを心の糧とすることにより,本当の意味での誇りを持つことを願うものであります。