阿 波 の 風 木屋平村 三木 信夫
古代の大族忌部は,古代祭祀を敬虔(けいけん)に守り続けて,時代の変化に対応した生き方が出来ず,だんだんと衰退しています。固陋(ころう)という言葉がそのまま当てはまる様な,古いなんらかの伝統に縛られて,時代に対応した発展・発想が出来なかったと思います。 |
神社に祭られた鏡 天羽 達郎
昭和58年まで『全国師友協会』という会があった。主宰者は吉田茂を始め歴代宰相の師といわれた安岡正篤で,この方は昭和天皇の終戦詔書の草稿に朱を入れたことで知られている。その機関紙に神社の鏡について述べた一文があった。今はそれを散逸してしまったので記憶にたどるしかないが次の様であった。 |
「阿波風」創刊によせて 上一宮大粟神社 宮司 阿部 千二
阿波の国は,不思議に包まれた国であります。阿波は粟,淡路の淡,千葉県の安房,全て同義語で,阿波は粟の国,淡の国であり,房総の安房の国も又,あ海ま人族である阿波忌部の天富命が一族を率いて関東に移り根付き,氏祖,天太玉命を祀る安房神社を建立し,後に安房国となったと伝えられています。 |