徳島のトイレとJR            村上 哲史

 「レッツ無限」という障害者サークルの会合で,障害者が地域で生活していく上での知恵や情報を交換し合った。買い物しやすいお店や車いすでも入れる飲食店等,それぞれが生活体験を発表し意見を出し合う。その中で一番白熱した議論になったのが,外出中のトイレの問題と,移動手段としてのJRの利用についてである。
 まずはトイレ。普通,車の運転中にもよおしてくるとコンビニとかガソリンスタンドを探す。が,車いすでは利用できない。そこで,駅とか役場等の公共施設を探したりもするが昼間しか開いていない所が殆どである。
 「だから私は警察のトイレを借りるんよ。24時間開いているし安全だから」という意見に
 「最近は警察だって危ないかも」と切り返しが入り,みんなで爆笑する場面もあった。
 JRについても厳しい意見のオンパレードだった。阿南駅のホームの連絡橋は狭い上に手すりもなく怖くて通れないとか,見能林駅は列車とホームが20センチ以上離れている上ホームが傾いているとか。その点では徳島駅は使い勝手はいいが,トイレが臭いとか。極め付けは,車椅子は予約しないと乗車できないらしい。そんな馬鹿なと思うが,実際に乗車拒否にあった者がいたのである。
 この会合の前日,別の団体で高松に行ってきた。コトデンは予約なしで乗ったにも関わらずきちんと対応してくれたし,東京へ行った時もあの長い上野駅の階段を数人の駅員さんが世間話をしながら担ぎ上げてくれた。
 「やっぱり徳島はダメだなぁ」そうぼやきたがるのも分からないではないが,徳島の街を闊歩する障害者が少ないことが原因の一つであるのもまた事実。逆に言えば,障害者やお年寄りがもっと街を蠢き出すと,徳島は今より暮らしやすい元気な街になるはずだ。
 そういうボクもJRはあまり使わない。しかし今度,生まれて何度目かの汽車に乗る予定になっている。

阿波を考える その1 波は始まる       三村 隆範

 あるく歩く阿州・阿の地,四国遍路の老若男女。最近目にすることが多くなった,歩く人々…。
 「阿波は発心の地。四国遍路は阿波から始まる。」
と言われる阿波は,粟国から表記が変わったとも言われ,阿波の語源は,アイヌ語から?などと言う人もいるが,阿波の文字は1800年以上使われてきたので,その事実に基づいて,なぜ阿波の文字を使用するようになったかを考えてみようと思う。
 古事記等には粟国と書かれているが,仮に粟がたくさん採れたから粟国と言い,それが阿波に変わったとしたとしても,粟を阿波の文字に当てた人々は,何らかの意味づけをして阿波という文字を当てたのである。人の名でさえ意味なく文字を使うことは無い。ましてや,国名を付けるときに意味無く付けることは考えられない。
 にもかかわらず,現在に至るまで,なぜ阿波の文字になったのかといういわれは,聞いたことがない。阿波に住んでいて阿波の意味を知らない。何とも不思議なことではある。
 「阿」という文字を見て,まず最初に思い浮かぶことは「阿吽(あうん)の阿」,「阿弥陀仏の阿」,「阿字観」の「阿」である。
 「阿吽(あうん)の阿」
 神社,仏閣の狛犬(こまいぬ)や仁王像は,右が口を開けた阿形像(あぎょうぞう),左が口を結んだ吽形像(うんぎょうぞう)である。阿吽(あうん)の「阿」は口を開くとき最初に出てくる音で,始まりを表わし,「吽(うん)」は口を閉じた最後の音で終わりを表わす。この二字ですべての事柄の成り立ちを集約する考え方である。つまり,阿(あ)は,「あいうえお」の最初の文字であり,英語でも,ABC・・・と,最初がAであるように始まりの文字である。
 このように「阿」は,始まりをしているので,阿波の文字が表す意味の一つは「波は始まる」という意味となる。四国遍路が,阿波から始まるのは,当然の事である。単純に,粟に文字を当てて,阿波としたとは考えられない。
 阿波から,何んらかの波が始まったから,阿波という文字を当てたのではないか?という疑問が次にわいてくる。