ホームページへの民家写真登録

               三木 信夫

 現在デスクトップのパソコンで「全国重文民家の集い」(=全国に330軒ほどある国指定重用文化財民家の所有者有志が,情報と連携を目的とした全国組織の会)のホームページを登録管理して6年程になります。
(URL=http//www.jminka.gr.jp/
 内容は、都道府県単位に重文民家一覧等を掲載していますが,之に写真を登録して,個別に説明文を付記する事を目標に労をかけています。
 思いつくと撮影していない全国の重文民家を目的に気ままな旅に出ます。重文民家は,交通の便利なところは少なく,ほとんど自家用車かレンタカーを使用します。
 目的のある旅は,目的地までの過程を自由に選択できて充実した楽しい旅をする事が出来ます。
 何となく旅をするというのはあまり充実感のあるものではありませんし,長続きするものではありません。目的地に着いて,その土地土地の風土や環境を肌で感じ,長い年月住まいとして育て上げられてきた,その地域の生活史そのものの重文民家を訪問して,当主等が居ればその家やその土地の話しを聞き,又次の目的地へ出かける旅はまた格別です。
 帰宅してから,デジカメと広角で撮影したそれぞれの民家を選別・分類し、パソコンで画像処理してホームページに登録するのも楽しみです。
 写真は一民家一枚しか登録できませんが,サムネイル化と大きな画像とを登録します。説明文は登録用を文化庁に依頼しています。しかし全国の重文民家写真を全部登録するまでには,まだまだ時間がかかりそうです。
 悩みは,ホームページにメールアドレスを記載しておりますが,最近特に外国(英語圏・中国語圏)からのヴィルス混入メールと,国内からの不要なメールが多く,一括削除もままならず,格闘しています。

【写真,徳島県木屋平村 三木家】

 義命ノ存スル所

               天羽 達郎

 前回の稿で安岡正篤(まさひろ)の名前が出たので,引き続きこの老師にまつわる話を2,3ご披露したい。私は全国師友協会の会員であった。これから述べることはその機関誌『師と友』から得たものとご承知願いたい。
 『義命ノ存スル所』とは,昭和天皇の終戦詔書(しょうしょ)の一節に入るはずだった語句である。しかし途中で抹殺されてしまった運命の言葉である。原案では『爾(なんじ)臣民(しんみん)ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善(ちんよ)ク之ヲ知ル然(し)カレトモ朕ハ堪(た)ヘ難(がた)キヲ堪(た)ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ永遠ノ平和ヲ確保セムコトヲ期ス』であった。これについて意見を求められた安岡正篤は『朕ハ』の次に『義命ノ存スル所』を入れ,最後の『永遠ノ平和ヲ確保セムコトヲ期ス』を『萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス』に変えた。そこで修正案は『爾(なんじ)臣民(しんみん)ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善ク之ヲ知ル然カレトモ朕ハ義命ノ存スル所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス』となった。それを内閣に持ち帰り検討した際,『義命』という言葉が辞書を調べてもなかったので,『義命ノ存スル所』を『時運(じうん)ノ趨(おもむ)ク所』に変えてしまった。玉音(ぎょくおん)放送を聞いた安岡正篤は怒りに震えたという。しかし一旦陛下が述べられたお言葉に異議を差し挟む不敬は慎んだと聞く。
 『義命』の言葉は『春秋左氏伝』の『成公八年』の条に『信以て義を行い,義以て命を成す』からきているという。即ち国の運命は義によって作っていかなければならぬということで,『義命』とは道義の至上命令を意味し,『義命ノ存スル所』をこの文に挿入すると『今戦争を止めることは道義上正しいことなのだ,道義の至上命令のしめすところによって終戦の道を選ぶのだ』ということになる。つまり日本は堂々と潔(いさぎよ)く敗戦を受け入れると宣言したのだ。それが『時運ノ趨ク所』にすると『成り行き任せ』の意味になってしまう。その後の日本は本当に行き当たりばったりの『成り行き任せ』の国になってしまった。

「またの心」

               小林 金吾

 亦の心。異性に心をときめかすことは,老若に関係なく感動につながる。それは脳細胞になお尚ヤルキホルモンに活気を与えるもので,恋心を持つことは健康増進につながるものである。性とはSEXだけをいうのでなく,慈しむ言葉を交わし合い,手をつないで散歩をする,相手を見つめ合うなどである。人間の性の在り方であり,伴侶や異性の友人に対しても密やかなときめきを感じるのが健康を保つ秘策である。
 だがその反面,悲惨な殺戮(さつりく)に及んだり,事件になることもありますが,人性五欲の一つであり人間生存している以上切り離すことは出来ないものであろう。
 求めたものだけを手に入れるというのが生存法則であり,老いたからと何にも求めない,欲しがらない,異性に対しても何も感じないときは,向岸(むかいきし)に近づきつつあることと気付くべきだろう。
 「医学的に痴呆症のお年寄りが,素敵な異性を感じ恋心を抱くと,途端に症状が改善されたというケースもある」と聞く。
 「恋は脳のやる気を引き出す特効薬だ」と,ある医者の書いた文献を読んだことがある。
 「50,49も549から649となれば末は極楽往生。」
 「つらい(辛い)も一引けば,しあわせ(幸)」
 トンチで考えてください。

             日賀瀬儀太郎(ひかせぎたろう)

“悪人正機(あくにんしょうき)(謙虚な心)

               坂本 眞人

 親鸞(しんらん)さまのお弟子唯円(ゆいえん)さまが,師の語ったことばを書きしるした『歎異抄(たんにしょう)』の中に
「善人なほもて往生(おうじょう)をとぐ,いはんや悪人をや。」という言葉があります。
「善人ですから,阿弥陀佛西方浄土に往(い)って生まれることができるのだから,ましていわんや悪人が極楽浄土に往生できるのはいうまでもない。」と解釈できると思います。これは有名な「悪人正機(しょうき)・悪人成佛(じょうぶつ)」の思想です。この「……いはんや悪人をや。」を見て「おや?」と疑問を抱いたのです。悪人が極楽浄土に往(い)けるのは当然のように書いていると思ったのです。そこで「悪人」とは一体どのような人なのか,と考えてみますと「欲や怒りやおろかさを持つ弱い凡夫(ぼんぷ)ではないのか」という結論に至りました。そこでもう一度「悪人正機」とは一体どういうことなのかを考え直しました。「正機」とは,佛の教えを正しく受け取ることができる人間の機根(素質・能力)であり,この機根はすべての人に生まれながらに平等にそなわっています。人間は弱い弱い葦(あし)のようなものであることを自覚し,自分の弱さをさらけ出し「欲・いかり・まよい」のかたまりである凡夫の自覚を持ち,謙虚に神佛・自然・人間・自分に対することができるはずです。
 「人間はたい太こ古(大昔)四本足から二足歩行に移行したとき,まわりの外敵に自分達の一番弱い腹をみせなければならなかった。自分の一番の弱(よわみ)をさらけ出すことによって,両手が使用できるようになった。道具が使用でき,武器をつくることができた。自分の弱点をさらけ出すことができる謙虚な心こそ「悪人正機」ではないでしょうか。