正倉院展を見学して 三木 信夫
大和路の秋を彩る正倉院展が開催されていましたので,久々に奈良市内を訪れました。
(あしぎぬ)といえば,阿波忌部の氏名が具体的資料として最初に出てくるのも,この正倉院御物の絹織物断片に書かれた墨書名からでした。 【完】 |
萬世ノ為二太平ヲ開カムト欲ス
天羽 達郎 この文の表題は昭和天皇の終戦詔書(しょうしょ)の一部である。内閣でこの詔書を検討した際,『萬世(ばんせい)ニ亙(わた)ッテ』なら分かるが『萬世ノ為二』では,何だかよくわからないという意見が出た。けれども安岡正篤(まさひろ)がここは『絶対に変えてはならん』と力説したのでそのままにしたという。彼らはそこの所を『永遠に平和を実現します』という意味に解釈し,現実にはそんなことは不可能だと思ったらしい。老師はそれを昭和32年8月15日の記念講演でご自身解説しておられる。 |
照于一隅(しょうういちぐう)(一隅を照らす)
坂本 眞人 中国の昔,春秋時代という戦国の世がありました。その頃,魏国(ぎこく)という大国の王と,斉国(せいこく)という小国の王が,相まみえました。大国の王が小国の王に自慢げに,「私の国には,大きな宝の玉が沢山あって,光り輝いている。君の国には誇るべき宝はあるか」と問うた。小国の王は,「私の国の宝はあなたの国の宝と少し違います。私の国には宝の玉はありませんが,全国津々浦々に,自分の持ち場をしっかり守って働いている若者,即ち,“一隅を照らす”ことができる若者が沢山います」と答えた。大国の王は,黙して去った。というお話しがあります。この話から,「一隅を照らす,これすなわち国宝なり」という言葉が出てきたのです。
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言 霊 ことだま 小林 金吾
我が国か神代時(みよじ)において,発する言葉には霊威があり,その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられている。 結果子 勝豊(けっかし かつとよ) |