台風が残したもの     松林 幸二郎

 今年の日本を襲った災害は,台風のない私たちの住むスイスでも大きく報道されました。被害に会われた同胞の方々の苦難は想像を絶し,心を痛めております。
 私の故郷 津にも21号が襲来し,母の住まい兼店舗も床上浸水で被害を被りましたが,母は幸い叔母のところに避難していて無事でした。78歳の母は店を閉めて,長くためらっていた叔母と同居を決意した直後の被害であったことは,幸いであったといえるかもしれません。

  “私たちの全てを知っていてくださる主。主が私たち
  全ての人間を造られ,愛し,目を留め護っていて
  くださる.詩篇 139:1−6”

 友人が浸水の始まる一時間前に迎えにいって下さらねば,母は畳や冷蔵庫とタンスと一緒に水に浮いていたかも知れません。主の護りに感謝せずにいられません。文字通り全てを失ったと知ったとき,流石の母も呆然としたに違い有りません。それでも,大正生まれの母はきっぱり物に対する執着を捨てて,つまり“古き”をすてて,新しい生活を始めることにした訳です。
 しかし,こういった非常時に,すぐに助けにいけない所にいることの辛さが身にしみましたが

  “神を愛する人々,すなわち,神のご計画に従って
  召された人々のためには,神が全てのことを働かせて
  益としてくださることを,私たちは知っています。
        ローマ人への手紙 8−28”

 新潟震災で被災された方々が一日でも早く家に帰れるよう,そして助け合いの手が十分に差し伸べられることを祈らずにはいられません。スイスでも,日本人会などの民間の団体が,苦しむ同胞に義援金を送る運動が始められたことは,嬉しいニュースでした。この運動を通じて,国内と国外の日本人との心の絆が強まるであろうことを願ってやみません。 スイス アッペンツェルにて


 【写真】初雪をみたアルプシュタイン連峰
 我が家の居間からの眺め

ネイティブアメリカンと私
                    蜂谷 やす子

 小学生の頃,よく家族と土曜の夜,映画を見に行ったが,もっと幼い時からの記憶がある。シートに足をはさんで泣きわめいてたり,席と席の間をチョコマカ走り回ってじっとしていなかった。時々立ち止まっては大きいスクリーンを眺めている。それに飽きると又前後左右走り回り,大人の「シッ!シッ!」というのが面白くて,逃げまわった。
 いつの頃からストーリーが分かるようになり主に洋画を見るようになった。父が新聞社に勤めていたので,券が手に入ったのだろう。予告をよく覚えていて,お気に入りのは連れて行く迄せがんだ。親がどうしても用がある時など,電車に乗り映画館の前に送らせた程……。
 その映画は西部劇で,騎兵隊やバッファローの走りが見たいのではなく,インディアンが追い詰められて,テントを巻いて馬にズルズル運ばせ逃げていく,父や兄を殺され力のない老人や赤ん坊を背負った女が続き,子供も手を引かれ雪の積もった山道をトボトボと荷物を持って登っていく。子供心に大変切なく同情した。インディアンは悪く描かれ,狂暴な人種とも…。何をしたというのか。
 小学高学年からはさすがに親とは別行動になり,映画館にも足が遠のき,TVが我が家に来た。「ララミー牧場」が始まりかじり付いて見た。その頃は,インディアンに少し同情的なストーリーが何度もあった。「ローハイド」といってカウボーイが牛を追って西部へ行くTVもあった。後はビデオが出ていて本も買った。やはりインディアンものを選んでいる。大人になっては「大草原の小さな家」。
 あの頃の私は何だったのか。アメリカ社会の中で先住民の子孫達が自分達の出身に劣等感を抱き,子供達に何も伝えなくなり,先祖が創った文明を忘れる。黒人の公民権運動の後,自分に流れるインディアンの血に気付き,誇りを見出した若者達が,知恵の文明の息を吹き返した。
 バブルが破れた後,彼らの考え,生き方,霊的なものの本が世界中で沢山出た。日本の若者も彼らを訪ねてアメリカへ行った。ヒーラーと言われる人々も沢山訪れた。
 私は今更何やねんと,振り向きもしなかった。興味があったのに……。ところが息子ヒロのアリゾナ行きで,又火が付いてしまった。今度は古代史との関連からも色々調べてみている。
 次は縄文人とドングリ,ドングリとネイティブアメリカンです。お楽しみに。

徳島県人気質って何?
  日本経済新聞 徳島支局長 鈴木 康浩

 教えてください。徳島県人気質って何ですか?
 徳島に住んで2年近くになりますが,いまだによくわかりません。
 「四国はひとつ」とよく言われますが,4県の県人気質はばらばらですよね。大阪など関西人とも違う。
 私のような,よそから来た人間がみると,良い意味では「奥ゆかしい」「控えめ」「ゆったり堂々としている」と映りますが,悪い意味では「自己PRがへた」「外の目を気にしない」ともみえます。たとえば,観光。多くの徳島県人は「徳島にはみるものがない」と嘆きますが,そんなことは全くありません。確かに徳島は国宝がない全国でもまれな県ですが,徳島にはそのような「肩書」に頼らなくとも,国宝級,重文級の観光資源がふんだんにあります。ただ,あまりにも身近にありすぎて,多くの人が自分たちの観光素材に気付いていないのが実態ではないでしょうか。
 祖谷ではかずら橋周辺の整備が進んでいますが,全国どこにでもあるピンポイントの施設整備で,温泉に数日滞在する人向けの周遊型観光ルートの発想が完全に欠落しています。高速道路の整備で,本州の人たちは四国で泊まりがけの観光は足摺ぐらいで,あとは日帰りで可能とみています。高知でくじらを見て,祖谷で1泊,香川でこんぴら参りで,本州に帰る広域型観光がせいぜいではないでしょうか? 祖谷ではラフティングがありますが、これは若者向けで,老若男女が楽しめるスポーツではありません。かずら橋を渡り,小便小僧を見て,終わり。ジャズコンサートが息長く続いていますが,これも知っている人がでかけるインナーサークル的な取り組みで広がりがありません。祖谷の奥深さを誰も知ることがなく,帰ってゆきます。
 そこで私が提案しているのは古道の復活です。かつて祖谷には村々をつなぐ道がありました。
 車道の発達で,今はほとんどの人が歩かなくなりましたが,これは設定次第で1〜6時間コースをそれぞれ開発できます。
 「歩くだけじゃつまらんだろう」と地元の人は言いますが,都会の人にとっては,山に入ることが実に新鮮な体験なのです。車道から山の斜面にへばりつく民家を眺めて「祖谷は素晴らしい」と表面的に感動していた観光客はもっと深く祖谷の素晴らしさを知ることになります。
 徳島に来たよそ者として,徳島の素晴らしさを日々「痛感」し,「どうしてもっとPRしないのだろう」とじれったく感じています。自己PRしなくとも生きていけるのは,生活に余裕があり,自分自身に自信を持っている証拠ですが,厳しく激しい地域間競争のさなかにこんなことで本当にいいのだろうかと疑問を持っています。
 人口80万人の小県なれども,全国や世界にアピールできるものはたくさんあります。

フットサル 2時間集中  木野 真志

 私は週に2回フットサル(5人対5人で行う,ミニサッカー)をしています。
 運動量が多くかなりハードですが,全てを忘れ走り回っています。普段の仕事より真剣にしているかも知れません。
 小学校のときに,グラウンドで暗くなるまでボールを追いかけていた頃を思い出します。メンバーは年齢も職業もバラバラですが,とても楽しい仲間です。
 雨が降っても練習は中止になりません。必死にゴールを目指します。
 スポーツに限らず,音楽・芸術でも集中出来る時間をもてることは大切だと思います。