星のきらめきに魅せられて 細川 真裕
悩める者の刻苦する変転の人生には知られざる謎に包まれた秘蹟がある。充分に語り尽くせない不可思議光人生が……。こう語るのは僕自身のこと。でも多くの人がそうなのかも知れない。その人ならではの苦楽の歩みに,秘蹟の跡が……。 はじめまして細川真裕という者です。中山昌男さんの紹介によって,この「阿波風」を知りました。どなたでも載せ出るということで,ここに投稿します。よろしくお願いします。 |
「人に安心を与える」 中田 光茂
最近感じていることは,「人に安心を与える」と,いうことの必要性をひしひしと感じています。 |
やっぱり阿波はいのくにだった
その3 倭国から日本へ 三村 隆範 現在では,倭国を(わのくに)と読む習わしになっているようだが,倭は(い)であり,倭国は「いのくに」と読んでいたと思われる。なぜなら,中国は,日本に相当する地域を「東夷(とうい)」と呼ぶ,東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・南蛮(なんばん)・北狄(ほくてき),同様に「倭」の呼称も,元々は「小さい」という意味で辺境の蛮族に対する蔑称であるから,倭は(い)である。 「楽浪海中に倭人あり,分かれて百余国となり, と紀元前1世紀の『漢書』地理志に倭人と書かれ,日本を「東夷(とうい)」と呼んでいるのであるから,倭人「いじん」と呼んでいたはずである。にもかかわらず,なぜ倭国や倭人を(わこく・わじん)と呼ぶようになったのであろうか? そのヒントに『旧唐書東夷伝』や『新唐書』日本伝がある。 「倭国自らその名を雅(みやびやか)ならざる 「倭の名を悪み,更めて日本と号す」 中国の正史を見ると,『後漢書』『三国志』以降『旧唐書』までは,「倭伝」「倭人伝」「倭国伝」などとするが,『旧唐書』(945年に成立)以降は全て「日本伝」「日本国伝」としており,『旧唐書』のみが「倭国伝」「日本伝」を併記している。 |
物知り金吾さん 橋本 節子
徳島店に来られているお客さん,小林金吾さんから神仏のお祀りの仕方について,たくさんお話しをお聞きする事が出来,勉強になりました。 |