星のきらめきに魅せられて     細川 真裕

 悩める者の刻苦する変転の人生には知られざる謎に包まれた秘蹟がある。充分に語り尽くせない不可思議光人生が……。こう語るのは僕自身のこと。でも多くの人がそうなのかも知れない。その人ならではの苦楽の歩みに,秘蹟の跡が……。
 いと小さき人生にも,意識の爆発『ビッグバン』が起こり,『人間と云う』生き物が飛躍のジャンプを遂げつつ,人生の階梯を幾段と登りつめ,意識の回転の自己史を豊麗に満ちたものとして自己を飾ると。それはそれで一つの人生の成果と言えるだろう。しかし社会の多くの苦悩を見るとき,自他の展開の記録の中で自己を高めやりたいと。確かなる道の中で,自他不二の飛翔こそ真の平和の義を創造するのだ。
 僕は星のきらめきに魅かれて,いのち輝き,僕の一事が一切事となって宇宙を呼吸した。時に,僕という核心の一点に大いなる意識の光の眼が,世界を従え,内的光芒のエネルギーが星界に反射しつつ,この自己を照らす。益々天界の幽光の錯乱から,一つ一つの煌めきの出来事が起こり,万象の連結は十全となる。一事が万事となって宇宙の舞を踊る,古代の神々のコズミックダンシングが,今甦る。真の眼による開くの義こそ,生命の華を咲かせるのだ。すべての人の大いなる道に万歳。

 はじめまして細川真裕という者です。中山昌男さんの紹介によって,この「阿波風」を知りました。どなたでも載せ出るということで,ここに投稿します。よろしくお願いします。

「人に安心を与える」          中田 光茂

 最近感じていることは,「人に安心を与える」と,いうことの必要性をひしひしと感じています。
 どうしても,自分の本能で考えてしまい,攻撃的になったり,自己主張が強すぎたりすると,相手が体調を崩したり,感情的になってしまって,話がまとまらなくなど,さんざんな目にあってきました。
 と,いうかそういうことを学ぶためにこの世に生まれているようにも考えたりしています。
 いくらすばらしい知識を入れても,人間関係でトラブってしまっては,なにをやっているのやら…。
 人に安心を与えるとか,元気になってもらうことは,人身開発の基本じゃないかなと思っています。

やっぱり阿波はいのくにだった
その3 倭国から日本へ  三村 隆範

 現在では,倭国を(わのくに)と読む習わしになっているようだが,倭は(い)であり,倭国は「いのくに」と読んでいたと思われる。なぜなら,中国は,日本に相当する地域を「東夷(とうい)」と呼ぶ,東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・南蛮(なんばん)・北狄(ほくてき),同様に「倭」の呼称も,元々は「小さい」という意味で辺境の蛮族に対する蔑称であるから,倭は(い)である。

 「楽浪海中に倭人あり,分かれて百余国となり,
  歳時を以て来たり,献見すという」

と紀元前1世紀の『漢書』地理志に倭人と書かれ,日本を「東夷(とうい)」と呼んでいるのであるから,倭人「いじん」と呼んでいたはずである。にもかかわらず,なぜ倭国や倭人を(わこく・わじん)と呼ぶようになったのであろうか? そのヒントに『旧唐書東夷伝』や『新唐書』日本伝がある。

 「倭国自らその名を雅(みやびやか)ならざる
  を悪(にく)み,改めて日本となす」
      (『旧唐書(くとうしょ)東夷伝』)

 「倭の名を悪み,更めて日本と号す」
            (『新唐書日本伝』)

 中国の正史を見ると,『後漢書』『三国志』以降『旧唐書』までは,「倭伝」「倭人伝」「倭国伝」などとするが,『旧唐書』(945年に成立)以降は全て「日本伝」「日本国伝」としており,『旧唐書』のみが「倭国伝」「日本伝」を併記している。
 「倭の名を悪み,更めて日本と号す」これらの記述から,倭国や倭人自身も「倭」を「い」と認識していたと考えられる。「委」から来る意味を国号としてふさわしくないとして同じ音の倭(い)の字も(わ)と読み始め,蔑称であった「倭」の字を使うのを忌み嫌い,みずから「日本」と称するようになった。よってそれ以降に,「やまと」や「大倭」,倭→和への置き換え,後に「大和」という表現へ置き換えた。
 これらのことから,壱国(いのくに)であった阿波も(あわ)と呼ぶようになったと考えられるのである。以上のことから,古事記や日本書紀に書かれる「伊予の二名島」は,イ洲(しゅう)と予洲(しゅう)があったことを示し,阿波がイ洲(しゅう)と呼ばれていたことがわかる。

物知り金吾さん               橋本 節子

 徳島店に来られているお客さん,小林金吾さんから神仏のお祀りの仕方について,たくさんお話しをお聞きする事が出来,勉強になりました。
 私の近所の氏神様は無人ですから,お正月のお飾りをどう焼納したら良いか分からず,困っていた所でした。
 金吾さん曰く,まず現在住んでいる所の氏神様に無事に暮らさせて,住まわさせていただいているお礼を述べて,いくばくかのお礼をする。
 そうした上で他の大きな神社へ行くのも良いと教えて下さったので,翌日,さっそく大麻比古神社へ行って「古札収納所」にお礼を述べお札とお飾りを入れてきました。本堂でお参りし,すっきりとした所でお札やダルマさんを買って最後におみくじを引いて帰って来ました。
 やはり神社には何か偉大な気というか,力が働いているようで,不思議とすがすがしい気分に成れました。一月半を過ぎてもたくさんの人達が引き寄せられるように,本堂でお参りしていました。