【2005キックオフ】 木野 真志
『うちの子,テスト前やのに勉強せんとプレステでサッカーゲームばっかりして困るわ。』 |
友 魁生 順一
昭和57年2月,予て受験していたアマチュア四級無線の資格に合格して通信機財一式を車に取り付け,夜勤務先から帰宅の道であった。その時は無線の従事者の資格は出来たが,無線機の運用の資格はなかった。無線機の電波を出す事が出来ず,聴取する事だけであった。偶然あるチャンネルから賑やかな交信が飛び込んできた。一人のリーダーの元,十数名の人が楽しそうに語り合っていた。交信の中で,『錆び』についての話だった。錆を落とす方法での討論だった。私は電波を出すのはいけないのだが,私の知り得る事を短時間で教えて差し上げた。それ以後は一切電波は出さなかった。聞く処の交信の中で「今の人,もっと詳しく教えて下さい」と言う。が私は我慢して沈黙に徹した。リーダーが言うには石橋渉君。数か月後,私に無線局免許が来て電波を出す事ができるようになった。電波仲間の中には,勤務先の顧客の方も数名居た。昔の同僚も居た。石橋君は寝たきりの身体障害者であった。彼が高校時代猪名川の上流に有る,岩場で水泳中崖の上から飛び込んで不運にも浅瀬に頭から激突して「脊髄損傷」の病に倒れられたのだった。其の後家から一歩も出る事もなく悶々として居たそうだ。彼が気分の良い日,私が車に乗せ「大阪デンデンタウン」「岐阜」「愛知」「有馬温泉」「京都」「出石」「岡山」「淡路」等等と連れて行って差し上げた。その後,縁有って同じ「身体障害者一級」の女性と結婚の御世話をして差し上げた。双方が,車椅子の生活であったが,私は週に2度の石橋君の入浴のお世話をして差し上げた。風呂上がりに飲むビールの味は格別だったのだろう。その時の彼の笑顔が今でも思い出される。彼の彼女は特別仕様の「身体障害者用に改造された」セドリックワゴンだった。その石橋君も彼女も平成八年相前後して「感染症」で他界した。彼のコールサインは「JE3FZG」通称ヂーチャンと親しみを込めて呼んでいた。彼のコールサインは和歌山・淡路・徳島・香川・岡山にも親交を深めていた。私は,彼の最初の私へのメッセージ「事情が有って電波を出せないのだ! 其の内にきっと出てくるよ。今の人良かったら,私の家に電話をして下さい」との暖かい言が忘れられない。 |
「雪山賛(惨?)歌」 相原 史朗
さて,先日ですが友人に誘われて大山(島根県)へスキーへ行くことになりました。冬の雪山はこれで2回目・・・初めての雪山は2003年の大晦日,岐阜県のめいほうスキー場へ行きました。その時はスキー初挑戦,友人の薦めでショートスキー(スキーを短くしたような感じのもの)をしてみたのですが,転倒ばかりで曲がれない,挙げ句の果てにはスキーの片方が知らぬ間に外れて無くしてしまい,途方に暮れてたところを友人が見つけレスキュー隊を呼んで助けてもらった・・・なんて経験があり,まさに「雪山惨歌」状態でした。 |
すべての思いを家族に 5 田上 豊
「大自然の働きは人智の遠く及ばない」と先月書きましたが,インドネシア・スマトラ沖地震,表現のしようがない惨状です。被災された世界中の人々に,哀悼の意を表したいと思います。 |