古代史の神話     三木 信夫

 三村隆範さんに「古語拾遺」の勉強会をしませんかと言われてから,ほとんど毎月一回参加者と共に少しずつ原文を読み,口語訳をしてもう1年半以上が経ちます。
 私は前もって古語拾遺を口語訳するとき,必ず「日本書紀」とたまに「古事記」を対比して見ます。これらの古典は,伝承を神話解釈して記載されたもので,古事記の神々は「神」として,日本書紀の場合は「尊(みこと)」として記されています。古語拾遺の場合は「命」と「尊」を区別して記し,皇孫の神々を「尊」としています。
 伝承の神話は,文字としてあったものではなく,祭りの場など聖なる場所で語部(かたりべ)によって人々に話されたもので,語部に語り継がれてきたものが文字として記載されたのがこれらの古典になったのです。しかし文字になると記載する人に潤色される場合が多々あり,正しい伝承本来の意味でなくなる事があります。
 古代史を研究する場合は,どこが古い伝承で,どこが新しい伝承か古典を対比して検討する場合,その古典がどうゆう目的で編纂されたのかという資料の背景をきちんと見極めた上で使用する必要があります。書かれた時代が新しいから文中の伝承が新しいとは限らず,むしろ古い場合もあります。民俗学の世界では,伝承というものの長さというものは百年や二百年の差というものはなんでもないくらいに続いているので,新旧の基準にはならないと聞いています。
 古語拾遺は日本書紀に記載していない忌部氏独自の伝承を記しています。「記・紀」に組み込まれる前の大和政権以前の古代社会が忌部の伝承に含まれているように感じます。古語拾遺を忌部氏の構造と変遷を裏付ける資料と見た場合には,「記・紀」の足りないところを補完して理解することが出来るのです。

 ストーンヘンジ     天羽 達郎

 写真に見る奇妙な巨石群はストーンヘンジと呼ばれる遺跡で,イギリスの南部ロンドン西方のソールズベリー平原にある。神殿の廃墟だというが本当のところは良く分からない。この国が歴史に登場するのは,ジュリアス・シーザーが紀元前55年の夏遅くブリテン島の東南海岸を攻めた時である。彼は当時ガリア(今のフランス地方)総督であった。激戦のすえ陣地を確保し,その秋深く一旦引上げ翌年の夏に大軍を率いて再上陸している。シーザーがブリトン島にいたのは合わせて3ヵ月程しかないが,この遠征が英国史の知識にとっては事実上の出発点となった。この時の住民の大部分はケルト民族であると考えられ,そのうちのブリトン族は実に数が多く主として東南部に居住し,すでに鉄器を持っていた。ローマ軍はブリトン人の巧妙な戦車の操縦に驚嘆している。ブリトン人には多くの神々があった。非常に迷信深くおつげや前兆を信じ妖精を怖がり奇妙な儀式や礼式を行った。そしてドルイドと呼ばれる神職がいて大変な権威があり,あらゆる重要な問題が相談に持ち込まれた。彼らは長い詩を暗唱することによって風俗法律道徳宗教などすべてにわたって答えたという。このブリトン人が居た所にストーンヘンジはある。しかし彼らの作ではないらしい。それより以前,青銅器時代のものと推定されている。この神秘的な石の集団はなぜか阿波の青石を連想させ,見たいという衝動に駆られ突然行く話になった。ロンドンの地下鉄に行ったところ,その方面行きの列車はニューイヤーの期間中は運休ですとの表示があった。『え〜休み〜ッ』。しかたがないのでホテルに引っ返した。そのことを娘の菜美がベルマンに話したところ,ホテルと契約しているドライバーに今日は休みだが交渉してやるといって,商談がまとまった。
 車を走らせること3時間突然遠くの丘の上にストーンヘンジが現れた。小雨模様の寒い日だった。周囲は高い金網の柵で囲われていて,ニューイヤーの期間中はそのなかには入れないとのこと。あ〜あ,またニューイヤーだ。しかし石が大きいので外からでも良く見える。形はいびつだが断面がほぼ長方形の石柱群で高さ6.6m重さ45t,先端は少し細くなってる。ひょろ長いのやひらべったいずんぐりしたのやらで,完成時には石柱の上に横石が乗っていたらしいが,今はほとんどが壊れて無くなっている。残ったものは見る角度によって板状の石棺の蓋のようにもみえる。ベレー帽をかぶったようなものもある。石はというと少し青っぽい感じもするが,灰色だ。この石達はにょきっと立上がり空を眺めたりこちらを見たりしている様な気がした。
 後の世にアングル・サクソン族が西北ドイツから侵入してきてケルト系民族はウェールズ,スコットランドに押し込まれた。島の半分以上が彼らに占領されてイングランドとなった。無論ストーンヘンジのある所もだ。

 計るだけダイエット 6  芝山 靖二

 ダイエットに最も手軽で最も効果的なのがウォーキングです。そこで今回も最高のウォーキングコースをご紹介します。
 中林町にある「サンライズヒル中林」の大きな分譲地の南側道路が「阿南徳島サイクリング道路」になっています。そこをスタートして海の方へ1キロほど行きますと中林キヤンプ村があり,それを抜けると目の前に中林海岸が広がります。海には自然の神が造園士になって造ったような大小の岩が点在しまるで海の庭園である。これはチヌ釣りで全国的に有名な福村磯である。
 それを右に見ながら小さな坂を越えると淡島海岸に出ます。浜に出て長い長い砂浜を北へ進むと「王子製紙」の東の浜になります。その先は富岡港入り口の堤防が海に長く突き出しています。その先まで行って,1キロ四方人が誰も居ない状態になりますから,大声を出して折り返しです。折り返しコースなので脚力に自信のない方が一緒でも大丈夫です。大股速歩で1時間20分1万1000歩のコースです。
 春になるとこのコースは良いと思いますよ。

 生かされ生きて          小林 金吾

 春夏秋冬四季の移り変わりに咲く花や樹木,生い茂る緑の木の葉がなんと美しく初々しく思います。この清らかな草花や木立も太陽の熱と地球の養分の緑にふれてこの大地に育成されて居るのです。
 すべての物に生命があり,またそれなりの魂「タマシイ」があるものです。しかしその生命を絶って私達人間をはじめ動物や生育維持されてきてそれぞれが生かされて居るのです。
 人間や動物,植物それぞれこの宇宙の中に生きているのではなく生かされて居るのです。
 自らの力のみで生きてゆけるものではない,大いなる自然の恩恵(神仏のみ心)の下で生かされて居ることを意識せねばならないだろう。
 万物の霊長たる人間なるがゆえにお礼の感謝の行為をせねばならないだろう。その心が大切である。
 これが万物共存共栄の道理でありまた人の道である。私達人間が自然の恵みに感謝して動植物等生けるものの法則に対しての保護や先祖を敬い尊ぶ行為が敬神崇祖の念で,子孫繁栄種族保存の行いで現在に至って来たのであり,我々人間に宿る力は無限のものがある。いくらでも掘り起こしていけるパワーが備わっています。しかしそれに気付きその力を自らのパワーとして修業すると共に,心身を清浄に保ち修業修得して居る人は極く限られた少数の人です。仮に潜在的にその存在を認識したとしてもそれを自分のパワーとして駆使出来るすべを,ほとんどの人は知りません。いや,知ろうともしないのです。
 あるいは「神々の力や,み仏の力」は自分には縁がないものであると考えて居る人が多いのです。
 実は神仏のお力をいただき自分の力にパワーを付けることは誰にでも出来るのです。そんなに難しいものではないのですが,只ルールに従って心身共に修業すれば出来ます。しようとせずに諦めておるのです。それは祖先より伝わって来た,至福繁栄の道筋より離れ遠のいて行くのである。心せねばならないと思う。      合 掌

               結果子 勝 豊