天と地が開かれた後に降り始めた雨は,吉野川中流の岩津で堰き止められた。増水した雨水は,舞うがごとく濁流となり渦を巻き荒れ狂った。水のおさまった後に,土砂が積もりかさなりできた島は,オノコロ島と呼ばれた。これは今の徳島県穴吹町舞中島である。
この島で出会った海辺で生まれた,夫のイザナギと山育ちの妻のイザナミは,そこに住みつき,それまで山間で作っていた稲作りから新しく伝わった,低湿地で稲を育てる方法でオノコロ島から吉野川下流の湿地帯(蛭地)や下流の粟島(善入寺島)へと耕作地を広げていった。
しかし,年ごとに来る洪水で田畑は流され思うように作物ができなかった。
この後,阿波から淡路島・四国・隠伎(おき)の三子島・九州島・壱岐島・対馬島・佐渡島・畿内へと広がっていったと書かれていることから,「阿波は子の数に入らない」と古事記は伝えているのである。
吉野川周辺で国造りを始め多くの神を生んだ。その中には,山の神の大山津見(おおやまつみ)神や鹿屋野比売(かやのひめ)神・波邇夜須毘売(はにやすびめ)神・弥都波能売(みつはのめ)神などである。大山は徳島県上板町の大山で,そのすそ野神宅(かんやけ)には,鹿屋野比売(かやのひめ)神を祀る 式内社 かえ鹿江ひめ比売神がある。また,美馬市脇町拝原に式内社 弥都波能売(みつはのめ)神社(八大龍王神社)があり,美馬郡半田町には,波爾移麻比禰(はにやまびめ)神社(建権現神社)がある。
国造りの途中で妻のイザナミは亡くなり,吉野川の上流(伯伎ははぎ)と下流(出雲)との境目にある秀麗な山,高越山に葬られた。