「青春」という詩について       三木 信夫

 私がここで紹介するサミュエル・ウルマン(米1840〜1924)原作の「青春」の詩を知ったのは今から20年程前でした。この詩は,私が年を取れば取るほど自分を鼓舞し元気付けるものとなりました。特にこれからの高齢化社会において「青春」を語るとき肉体と精神は違うのだと。常に心に情熱と太陽を持てと響きます。
 この詩は,単純な老年賛歌でなく,人生を如何に実りあるもの悔いの無いものにすべきかを問い掛けています。この阿波風の創刊号で近藤隆二氏も青春とはで触れておられました。
 この詩は,長い間経営者の間でもてはやされたもので,松下幸之助氏は,常にこの詩を持っていて,時々取り出して読み自分を鼓舞していたとのことです。ある銀行では講堂の廊下に10m以上もの長さの大きさの扁額で青春とはの前文が掛けられていました。
 敗戦後日本に連合国軍最高司令官として進駐したマッカーサー元帥も,この詩に感銘を受けて,この詩を知った時以来座右の銘として執務室に掛け,すぐ目に入るようにしていたとのことです。当初日本で翻訳されたときは「読み人と知らず」ということでした。私は英文よりも日本語訳の詩がよく出来ていると思っています。
 サミュエル・ウルマンとは1840年4月13日ドイツでユダヤ人として生まれ,1851年両親とアメリカに移住。南北戦争に二度従軍。退役後,アラバマ州バーミンガム市で金物屋を開業。市の教育活動や教会活動,社会活動等に業績を残します。晩年に詩を物にしたもので,「青春」も78歳の作詩といわれ,1924年3月21日84歳で亡くなっています。

青春     サミュエル・ウルマン(米1840〜1924)原作

 青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
 逞(たくま)しき意志,優れた想像力,炎ゆる情熱,怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心,安易を振り捨てるる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。
 年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが,情熱を失う時に精神はしぼむ。
 苦悩や,狐疑(こぎ)や,不安,恐怖,失望,こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ,精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。
 年は七十であろうと,十六であろうと,その胸中に抱き得るものは何か。
 曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星辰(せいしん),その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう),事に處する剛毅な挑戦,小児の如く求めて止まぬ探究心,人生への歓喜と興味。
 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。
 大地より,神より,人より,美と喜悦,勇気と壮大,偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
 これらの霊感が絶え,悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし,皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば,この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他は無くなる。

今回の中国の反日暴動は
陳勝・呉広の乱となるか?

                                 天羽 達郎

 中国の戦国時代に終止符をうった秦王政(せい)は自らを皇帝と称し『死後に生前の行いによって諡(おくりな)をするは子が父を議し臣が君を議することであり,まったくけしからん。諡をやめ朕を始皇帝とし,今よりのちは数をもって呼び二世・三世から万世にまで至らしめん。』といった。政が始皇帝と呼ばれる所以である。その始皇帝が死に秦二世元年七月,陳勝(ちんしょう)が自ら王と称し旗あげをする。それは陳勝が河南から徴用された農民900名とともに北辺の長城警備に行く途中,大沢郷(だいたくきょう)で大雨に遭い動けなくなったからである。雨のためといえども,期日に間に合わなければ全員死刑となる。が,徴兵官たちは終日悠々と酒を飲んでいる。かれらには罪を逃れるすべがあったのだ。同じ死ぬならばと,陳勝は同僚の呉広(ごこう)と謀り『王侯将相なんぞ種(しゅ)あらんや』(だれもみな同じ人間ではないか,特別な人種なんかいない)と叫んで徴兵官を殺し挙兵した。これは初めての農民蜂起で陳勝・呉広の乱という。この反乱軍は一時非常な勢いがあったがわずか6ヶ月で秦軍に鎮圧される。だがこれが引き金となり全国に蜂起が拡大,農民同士の略奪殺戮が始まり大量の流民が発生,文字どおり天下大乱となる。そして項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)という二大英雄が現れ秦朝を滅ぼし大乱が収束に向かう。その後は両雄並び立たずで,劉邦が項羽を倒し漢王朝が成立する。(以上十八史略より)
 この陳勝・呉広の乱から始まる一連の動きはその後のシナ大陸における王朝の滅亡と新王朝の成立との特徴をいくつか備えている。この乱は秦朝の刑罰の厳しさに耐えかねて起こったのだが,多くの乱は人口の増え過ぎによる食料難,天変異変,飢饉,圧政,役人の腐敗などが折り重なって突発的におこり,それが天下大乱へと発展していく。この天下大乱は日本の戦国時代とは決定的に異なる。日本の場合は武士同士の勢力争いであって一般民衆が巻き込まれることはあまりない。が,シナ大陸では一般民衆が互いに略奪殺戮を繰り返し大量の死者と流民が発生することだ。乱が起こるとまず食料の略奪が始まる。奪われた者は集団で隣り村を襲う。それが次々に伝播し,流民が大量発生するのだ。文字どおり何も食べる物がなくなり,人々は口に入る物ならなんでも食べる。そこであんな草を食べたら下痢をした,こんな草を食べたら便秘をした,ということで漢方薬が開発されたという。いずれこの乱は収束されるが,それはまずメシにありつける所に人が集まることから始まる。反乱軍はかならず食料のある所を狙う。劉邦もそうだった。メシに釣られて集団が巨大になり,武カを持ち軍閥となり軍閥同志が互いに覇を争えば,最後の勝者すなわちみんなにメシを食わせられる者が王となり皇帝となる。毛沢東しかり。
 さて今回の反日暴動の遠因は現中国共産党の身勝手さから来ている。現政権が共産主義をかなぐり捨てて市場経済という資本主義に変身してしまった今,政権の正統性は抗日戦争で政権についたという事しかなくなった。そこで反日教育を徹底し,国内の物凄い経済格差や党幹部政府役人の腐敗に対する不満の矛先を反日運動に持って行った。政府が唆(そそのか)したのだ。ところが反日運動が大きくなり過ぎ,あわてて抑制し始めたがいう事を聞かない。党の権威が揺らいだ。日本には謝罪も賠償も拒否しておいて,その裏で北京の日本大使館は国営不動産会杜が,上海では市当局が総領事館の修理を申し出ている。しかしこの事は中国々内では一切報道されていない。国際エコノミストの長谷川慶太郎氏は今年のメーデーが危ないという。メーデーが突然何かのきっかけで陳勝・呉広の乱に変わりうる。共産中国の滅亡は近いという。

寒峰登山          大西 雅子

 昨日の寒峰の登山はきつかった。目当ての福寿草の咲いているところまではじゅくじゅくのどろどろの登り坂です。滑るので注意して登りました。
 雪が残っていて福寿草の花はまだ少ししかありません。よく知っている人は辺り一面福寿草のお花畑だそうです。ずっと上のほうまでいっぱい咲いてまるでレンゲ畑のようなのだそうです。
 あと2週間で見頃になるでしょうと言いました。少し写真に納めることが出来ました。<<...>> そこから頂上までは苦難の連続です。思ってもいなかった雪山登山になりました。5〜60センチは積もっています。油断するとツルリと滑ります。厳しい坂道なので危険です。
 靴のつま先で雪をつきながら一歩一歩進みました。頂上が見えてからがとても長く感じられました。頂上はとても冷えて風が強く,お弁当を食べたらすぐに下山です。
 厳しい坂道,積もった雪の中をいきました。みんな足に疲れが出て何度も滑ってころんで明日の新聞にハッピー登山同好会遭難の記事が出てもおかしくない状況です。
 あとで聞いたらみんなそう思ったそうです。天気が午後から雨が降る予報だったので,雨が降る前に頂上まで登って下山しようというので,ほとんど休みなしに,かなりのハイペースでしたので,体力を使い切った感じです。
 ようやく下山してマイクロバスが見えたときはほんとうに嬉しかったです。丁度マイクロバスに乗る頃にちいさい雨が降って来ました。
 帰る途中で「いやしの湯」で疲れを取り,吉野川オアシスでトイレ休憩をかねて少し買い物をして無事に帰り着くことが出来ました。
 今日もにこにこにっこりありがとう(^_^)ニコニコです。


佐渡のアスパラガス  松林 幸二郎

 春の近きことの知らせのように,3月になるとメキシコ,米国加州,はてはペルーから空輸されたグリーンアスパラガスが,スイスのスーパーにも市場にも山のように積まれます。それを見ると,89年に家族で3か月過ごした佐渡ケ島の春を思いだします。お世話になった家庭の畑には様々な野菜果物が育ち,アスパラガスも取れ立ての最高に美味しいのを毎日いただきました。先ずガスに水をかけてから,隣の竹林でタケノコを掘り出しに,アスパラをもぎにいくのです。
 あんな美味しいタケノコやアスパラをそれ以前にも以後にもいただいた事はありません。輸入されたアスパラは見かけは立派でも,大味であまりに不味いので,自分で栽培しようと根を購入し,畑を半メートル掘りさげ,肥料とともに埋め,初めて収穫可能となる3年を辛抱強く待ちました。そして,3年後,収穫したアスパラは,たしかに佐渡の味がして感激したものです。ただ,根は鼠の好物のようで,その後3年間収穫してぱったり姿を消してしまいました。
 スイスのアスパラが市場にでるのは4月の中頃で,そのころは消費者も食傷気味でスイス産の売れ行きは低迷し,農家は打撃をうけています。米国やメキシコから輸入されるアスパラは店頭に並ぶまでに1キロにたいして5リットルの原油がいるのです。(これは日本も同様でしょう。ちなみにスイス産は0・3リットル)スイスの農家を応援するためにも,環境破壊の歯止めに一役かうためにも,ことしはちょっと我慢して,スイスの近くでとれたものを味わいたいものです。佐渡のものまではいかなくても,固めに茹でて,ごま和えにでもすれば結構いけます。