「青春」という詩について 三木 信夫
私がここで紹介するサミュエル・ウルマン(米1840〜1924)原作の「青春」の詩を知ったのは今から20年程前でした。この詩は,私が年を取れば取るほど自分を鼓舞し元気付けるものとなりました。特にこれからの高齢化社会において「青春」を語るとき肉体と精神は違うのだと。常に心に情熱と太陽を持てと響きます。 青春 サミュエル・ウルマン(米1840〜1924)原作 青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。 |
今回の中国の反日暴動は
陳勝・呉広の乱となるか? 天羽 達郎 中国の戦国時代に終止符をうった秦王政(せい)は自らを皇帝と称し『死後に生前の行いによって諡(おくりな)をするは子が父を議し臣が君を議することであり,まったくけしからん。諡をやめ朕を始皇帝とし,今よりのちは数をもって呼び二世・三世から万世にまで至らしめん。』といった。政が始皇帝と呼ばれる所以である。その始皇帝が死に秦二世元年七月,陳勝(ちんしょう)が自ら王と称し旗あげをする。それは陳勝が河南から徴用された農民900名とともに北辺の長城警備に行く途中,大沢郷(だいたくきょう)で大雨に遭い動けなくなったからである。雨のためといえども,期日に間に合わなければ全員死刑となる。が,徴兵官たちは終日悠々と酒を飲んでいる。かれらには罪を逃れるすべがあったのだ。同じ死ぬならばと,陳勝は同僚の呉広(ごこう)と謀り『王侯将相なんぞ種(しゅ)あらんや』(だれもみな同じ人間ではないか,特別な人種なんかいない)と叫んで徴兵官を殺し挙兵した。これは初めての農民蜂起で陳勝・呉広の乱という。この反乱軍は一時非常な勢いがあったがわずか6ヶ月で秦軍に鎮圧される。だがこれが引き金となり全国に蜂起が拡大,農民同士の略奪殺戮が始まり大量の流民が発生,文字どおり天下大乱となる。そして項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)という二大英雄が現れ秦朝を滅ぼし大乱が収束に向かう。その後は両雄並び立たずで,劉邦が項羽を倒し漢王朝が成立する。(以上十八史略より) |
寒峰登山 大西 雅子
昨日の寒峰の登山はきつかった。目当ての福寿草の咲いているところまではじゅくじゅくのどろどろの登り坂です。滑るので注意して登りました。
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佐渡のアスパラガス 松林 幸二郎
春の近きことの知らせのように,3月になるとメキシコ,米国加州,はてはペルーから空輸されたグリーンアスパラガスが,スイスのスーパーにも市場にも山のように積まれます。それを見ると,89年に家族で3か月過ごした佐渡ケ島の春を思いだします。お世話になった家庭の畑には様々な野菜果物が育ち,アスパラガスも取れ立ての最高に美味しいのを毎日いただきました。先ずガスに水をかけてから,隣の竹林でタケノコを掘り出しに,アスパラをもぎにいくのです。
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