阿波の鳴門(八) 野口 一夫
私達,鳴門阿波古事記研究会では日本最古の文学書であり歴史書である古事記に基づき,地名,神社名,伝承等を研究し特に阿波の鳴門が古事記に書かれている時代はどの様であったかを研究しています。
この度,7月3日(日)PM1:30より日本地名研究所所長の谷川健一先生に阿南夢ホールにお越しを頂き,講演をして頂ける事は,私達にとって大変心強く,大変な力を頂けるものと期待しております。
谷川先生著書の「日本の神々」に
竺紫の日向の橘の小門はイザナキが禊ぎをしたという伝承が生まれるのにふさわしく思われる場所であると具体的に阿南とイザナキの関係を掲載されました。
この一文から私達の研究は始まっていると言っても過言ではありません。イザナキが禊ぎ払いした時にアマテラス,スサノウ,ツキヨミの三貴子が生まれて,アマテラスは神山町へ,天孫降臨のニニギノミコトは国府町へ下り,神武天皇東征の折りには鳴門の高島からハヤスイノナト,曲浦を通り東征へと続きます。
古事記の上巻は文字のない時代に口伝によって伝承してきたことが書かれています。その為,憶えやすい様に比喩を使い簡潔でオーバーな表現が見受けられます。
地名等は例えば,大毛島はオオゲツヒメに由来,お瓶はカメ(亀)に由来していると思われる様に言霊を重視しています。また,阿波という限られた地域,小さな型で物語を顕したと思われます。何か大きな物を造る場合,設計図とか模型を造ります。まず小さい型を作りそれを拡大し(阿波忌部が農業・漁業・織物等の技術を全国に伝え開拓した。),大きな物を造ります。それと同じように壮大な古事記物語を阿波を中心とした舞台で顕し,日本の型,世界の型としたと思われます。そして,ここに読む人の誤解が生まれてきたと思われます。古事記を素直に読めば比定地に当たる地名,神社名が阿波には揃っています。これだけ揃っているのは他に類を見ないと思います。
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娘の授業参観(強く,正しく,明るく) 相原 雄二
我が母校である森山小学校へ行く機会ができ,久しぶりに教室に入った。孫のような二年生の娘(詩恩)の参観日,いつも学校のことは妻に任せておりましたが,丁度私の代役で県外へ行っており,この私が行く羽目となりました。
私が通学していた時代のものがほとんど見当たらないほど,様変わりしているなか,懐かしいものを見つけました。それは黒板の上の方にある額に入った「誠実」という大きな横書きの文字とそのすぐ下に縦に3文字「強く,正しく,明るく」という一つの額に入った文字です。
校舎や風景までもすっかり変わってどこか昔の面影がないかなぁ〜と娘の授業を見ているふりで,私の目は過ぎ去った過去を取り戻すかのようにその額に目が留まる。その瞬間,小学校の頃にタイムスリップ。心地よい感覚を味わうことができました。
ところで首相靖国参拝の件,マスコミによく取り上げられ,つい最近では,何を勘違いしたのか,遺族会が「近隣諸国に配慮し,理解してもらうことが必要だ。」という新聞記事を見た。
この「誠実」「強く,正しく,明るく」という言葉を日本人として味わっていただきたい。真に英霊が静かに休まるよう真心をこめて祈るのである。勇気ある言動,行動を望むのは,この私だけでしょうか。決して外交を軽んずるわけではないが,迎合してよいことではない。日本人は強く批判されると「はい,そうですね。」とかしこ畏まる民です。良く言えば謙虚さでしょうが,この件については「強く,正しく,明るく」魂のこもったご参拝を願う。
娘のうしろ姿を見ながら……。
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ウォーキングコース紹介 芝山 靖二
今回は山歩きを兼ねた休日用の少しハードなウォーキングコースをご紹介します。
長生町大原に石門公園があります。そこに,ひょうたんの形をした「ひょうたん池」があり,その池の奥に「鍛冶ヶ峰山」の山道入り口があります(少し分かりにくいので土地に人に聞いてください)。山道は土地の老人会が整備して案内板も立っています。その山道を上がりきると,四国電力の鉄塔があります。
そこからは山の峰をほぼ水平(多少のアップダウンあり)鉄塔の一スパンを縦走すると,鍛冶ヶ峰神社があります。鍛冶ヶ峰さんに参拝して,東の方へ今度は鉄塔二スパンを縦走します。道はほぼ水平で落ち葉を敷き詰めた,「うまめがし」(木の種類)のトンネルを歩きます。
この峰ばかりの水平歩行は本当に気持ちが良いです。鉄塔三つ目を過ぎると下り道になり,見能林町の阿南中学校のところに降ります。そこから国道に少しの間でてすぐ津の峰スカイライン入り口を西に入り,三谷地区の一番奥に,津の峰山々道入り口があり,鳥居が立っています。そこから途中にある「家具の岩屋」を見て広い駐車場に出て津の峰神社にお参りして,そこからは私達には懐かしい小学生時代,遠足でよく登った長生からの津の峰山々道を石門公園まで下ります。
阿南の二大霊峰を一度にお参りするこのコース石門公園には田舎ですので車を置けるスペースはあります。全長約14キロ約4時間30分。休日に是非お試しください。
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宗教を選び取る“目”を 魁生 順一
「信仰は人から勧められてはやりたくないと思います」此のように考えている人も多いのではないだろうか。其のように言う人は「自ら」信仰を選び取って行く姿勢は素晴らしいと思います。しかし,大切な事は,信仰を選び取って行くにしても,“勧められたのか”“自らの探求で選び取ったのか”と言う「過程」よりも,選び取った宗教がどれだけ素晴らしいものなのか,其の「結果」の筈です。宗教を考える上で,大事な事は,果たして「正しい」信仰に出会う事が出来るかどうかです。宗教には善悪があります。何となく自分の感覚に“合う,合わない”“好き,嫌い”で信仰を判断する,と言う姿勢では当然,危険過ぎます。宗教は,信仰する人の人生を多く左右するものだからです。宗教を正しく選び取る「基準」(宗教の五綱)を持ってこそ,真の意味で人生を豊かにして行く事が出来るのです。其の意味で21世紀の現代で宗教を選び取る基準とは,人間の生命の奥底から“生き抜く力”を湧き立たせて,どんな悩み,苦しみにも微動だにしない強い自身を築いていく「人間のための宗教」なのかどうか,と言う事ではないだろうか。其の「基準」に照らしてみれば,日連大聖人の仏法こそが,人間そのものの内面に「根本の善」を開き顕して,万人の幸福を実現して行く宗教であると理解出来ると思います。此のように,私達が対話をしている事は,人々の中に,どんな信仰が人間を高める為の宗教なのか,其の「基準」を社会に広く確立し,精神の自由・自立を実現する“精神闘争”でもあるのです。
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