ほんとうの思いやりの心  近藤 隆二

 日本皇室の祖先神天照大神様は神話や古事記に出て参りますが,天の岩戸へこもられました原因は弟の須佐能命が悪事の数々をしてお姉様の天照大神様を困らせます。しかし弟を怒ったり,叱ったりせずに天照大神様は弟の悪事を全て許して,弟の罪を自分が背負って,弟の悪事を見るということは自分に罪があるからだと相手を責めることなく,心で許して深く自己に反省なされて「天の岩戸」へこもられました。尊い事跡です。相手の悪事を見れば普通は腹を立てて怒ったり注意をしたりします。しかしよく考えて見ると,腹を立てれば,唾液は止まり,ホルモンは止まり,心臓の鼓動は早くなり血圧は上昇して,体調を崩して病気になります。正義感の強い人や善人と言われる人が案外病気になったり不幸に陥るのはその為だと言われています。天照大神様が須佐能命を許したように深い思いやりの心,言い換えれば慈悲の心を持つようになれば自分をはじめ相手も第三者も共によくなって幸せになってゆきます。ご皇室は祖先神天照大神様の「慈悲寛大自己反省」の精神をご歴代の天皇様が継承されてご祖先を大切に祀り,国民の幸福を常にお祈りになられ世界の平和を希求される尊いお心が今上陛下にも皇太子殿下様にも伝わっておられます。第二次世界大戦で日本が敗戦した時にも連合軍司令長官マッカーサー元帥と会見された昭和天皇様は,自分の命はかえりみず「今回の戦争責任は私にある。どんな罰でも受けます。国民に罪はありません。今国民は食べ物に困っているので貴殿のお力で是非食糧を送って頂きたい。皇室財産を全部使ってほしい」と自分の命を捨てて国民を助けようとされました。マッカーサー元帥は陛下を「世界最高の紳士」「生き神様」と大感激をされたと聞いています。

今こそ,決断の時!
    救う会徳島 事務局長 陶久 敏郎

 北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんのお母さん,横田早紀江さんは,会うたびに年老いている。私は,そのことがとても哀しいし,そんなにまで一人の母親の人生を追い詰めているこの国の有り様がそれ以上に情けない。
 人間の一生の中で決断すべき場面というものが幾度となく訪れるし,人生は決断の連続で成り立っている。我々は,決断すべき時に決断しなければ,この社会で生きていけない。たとえ,その決断が後から考えて最良の選択でなくても,或いは,その決断によってもたらされるリスクを予見できていたとしても,我々はその場面々で最良と考える決断をしなければこの社会で生きていけないのである。
 それは,国家においても同じである。現実として,北朝鮮による核開発問題,朝鮮半島有事と安全保障問題等,わが国が考慮すべき問題は少なくない。国内においても,北朝鮮と心も体も利権も結ばれている人たちだっているだろう。わが国の歴史を顧みれば,当たり前の話である。
 しかしながら,今こそわが国は北朝鮮に対して断固たる国家意思を示さねばならない。決断すべき時に決断から逃げてどうする。日本よ,自国民の生命・財産,基本的人権を守りきれない国家など,国家の名に値しないではないか。
 決断すべき時に決断しなければ,国家も人間も精神が必ず溶解していく。そして,やがては国際社会の中で破滅の道をたどるのだと,私は憂えている。

ものの見方,考え方を変えると
人生がかわる
          森 直哉

 暑さが厳しくなってきましたが,私たちはみんな元気でしょうか。元気があれば何でもできますし,商売繁盛も確実です。
 しかし,「胃の調子が悪くて元気が出なくて」とか,「いろいろ個人的な心配事があってなかなか元気が出ないよ」などという人が増えているようですが、どうでしょうか。
 私たちは体の調子が悪かったり,心に何か問題があると元気が出なくなると思いがちですが,ある医者によると,元気と体・心とは無関係で,元気の出る,出ないは考え方の違いだといいます。
 病気で体が弱っていても,また,さまざまな悩みを抱えていても元気いっぱいの人がいる一方,体のどこにも異常がなくても元気がない人もいるのです。
 人間は元来,誰もが元気な存在なのです。問題はそれを引き出すかどうかで,それを引き出すのが考え方なのです。
 「暑くて元気が出ない」と考えるか,「暑いから,いっそう元気が出る」と考えるか,です。元気が出ないと考えると元気は出なくなります。「いつも元気だ!」を口グセにして仕事に取り組みたいものです。
 以前勤めていた会社に「ものの見方,考え方を変えると人生がかわる」という言葉がありました。「今日は暑くて元気がでない」ではなくて「暑いからいっそう元気がでる」という考え方になると,その言葉通り「人生が変わる」と思います。
 今まで,人生が変わるような考え方ができていなくて損していますね。

 如實知自心(にょじつちじしん)       坂本 眞人

 仏法でいう悟りとは一体なんでしょうか?という問いに,それは「実のごとく自分自身の心を知ることですよ。」と答えている一章があります。自分の心を実際のごとく,ありのままに果たして知れるでしょうか。たいていは,自己中心的に,主観的に,おヒレをつけて自分を考えてしまい,自分を離れて,客観的に,あるがままに自分を考えることができない状態ではないでしょうか。
 古来,「眼横鼻直(がんのうびちょく)」「花は紅(くれない),柳は緑」「行雲流水」「無為自然(むいじねん)」「如実知見(にょじつちけん)」とか申しまして,この世を自然に,あるがままに,観ることの大切さを説いています。
 「今日も又,生かされて生きている」と毎日を感動の中で生きていく幸せ。「多くの援助と支えで今まで生きてきた,そして生きている,又生きていく」「周囲の自然,動・植物,そして人々の恩恵を受けて生きている」野の花,鳥の声,風の音,月の光と,まわりの環境の美しさ,清々しさ,爽やかさ,等にとりまかれ,自然の中で今を生きていくことこそ,あるがままの自分を受け入れて,大きな大きな大宇宙に自分を渉入させて,素直に,謙虚に,自分自身の心をありのままに,知っていくことではないでしょうか。
 歳をとったせいか,「生と死」のことが気になり出し,「一日一生」の気持ちで朝日と夕日を拝んでいます。