旅の出会い     松林 幸二郎

 3人の娘が成人して,うち長女次女が独立し,家族で旅行することはもうないであろうと思っていたところ,この秋の私と,妻ハイディの“里帰り”に,チューリヒで看護婦をしている長女のターニャが加わって,親子3人での3週間の水入らずの旅をする幸いをえました。親しい日本の友人との邂逅,母や叔母,親戚との温泉旅行と今回も生涯忘れ得ぬ善き思い出にも恵まれたことを感謝しております。
 また,旅につきものの夢想だにしなかった出会いというのも,今回もいくつかありました。
 岐阜県恵那市で10月22日にスイス,ベルン在住40年の画家 横井照子さんのチャリティー俳画展が開催されました。そのオープニングパーティーに國松孝次前スイス大使夫妻が出席されるとのことで,丁度その日は私たちも恵那の友人宅にいるので,國松氏とは今回は東京でなく,恵那で会う約束をしていました。その俳画展は,かつてルパング島のジャングルで30年間残置謀者の任務を遂行していた,あの小野田寛郎元陸軍少尉で,ブラジルに移住後,牧場を開拓したのち青少年のために“自然塾”をたちあげ,83歳にして今も日本とブラジルで活躍する氏への支援のための個展でした。
 その小野田少尉をジャングルから出るように説得したのが,鈴木青年で私と同じ世界を放浪していた青年であったということで,当時3年半に渡る世界放浪の旅の終わりにさしかかっていた私はひどく感動したものでした。その“小野田少尉”が生きて目の前にいるとは俄に信じがたく,そのいきさつを本人に尋ねました。小野田少尉は指揮官(天皇)の命令に忠実にしたがって,一日も怠る事なく銃剣を磨き,実戦にそなえてきたことは記憶に間違いはなかったけれど,小野田少尉は上官の命令(それは天皇の命令)で潜伏し任務を遂行しておるが故,上官の命令がない限りジャングルからでないという通告をしたので,鈴木青年は日本に帰り,生存していた上官を探しだし,上官がじきじきフィリピンにわたり停戦命令をだして初めて銃を置き帰国したわけです。私の記憶は誤っていいたことを30年ぶりに知るにいたりました。
 また,國松孝次前スイス大使には,ホームズ恵子さん(阿波風にも書いた)の活動をお話したところ,大変興味を示され,もっと知りたいとのことで,丁度読了したばかりのホームズさんの著書“アガベ”を差し上げることができました。國松さんはホームズ恵子さんのことを,小野田さんにも是非お話したいといっておられましたから、主の意志であれば,小野田さんとホームズさんの会見が実現するかも…,と夢のような考えを抱いて私たちを待つ母がいる津に向かいました。


*写真は左が國松さん,中央が小野田さん。

働けど働けど           森 悦光

 ふと気がつくと早11月18日。
 アラアラ,「阿波の風」の原稿をまだ書いていないと,布団の中で思いたち,台所の食卓の上で書いております。只今,朝の3時30分。
 本当に一年の経つのは早いもので,時間に追われて生活をしているようで,時折,1ヶ月ほどゆったりとした時間を持ちたいと思います。
 陶芸家って,山に入り,したい仕事を楽しみながら生活をしているとお思いの方もおいでかも知れませんが,陶芸家にも色々ありまして,私などはあくせくと働いて働いて,しかしガバッと税金に取られて「男はつらいよ」の映画に出てくるたこ社長の心境でございます。
 もう仕事はやめて,ゆっくりと優雅に主婦業に専念しようかしらと想ってもみるのですが,人間が出来てないと言いましょうか,欲が深いと言いましょうか,まだまだ走り続けるバダム悦光でございます。

大岩を背負ったかわいい神社     大西 雅子

 昨日は朝9時過ぎから神社めぐりに出かけました。昨日は前日よりひとつ遠いインターチェンジまで行ってめざす神社をくるくる探しながら走りました。
 朝早く家を出てよかったです。最初に山の上にある神社を訪ねましたが,違う道に迷いこんだりしたので,意外と時間がかかりました。
 すんなりとめざす神社に行けたのは7社のうち2社だけです。細い道を行ったり来たりの一日です。
 蜂須神社を探していたときには道だと思って行くと人の家に入ってしまいました。一台の車が止まっていて,中に人が乗っています。
 よかった,道を聞けるわ。
 車を降りて地図を見せて訪ねると,近くにその神社はあるけれど,きっと道がわからないでしょう私が道案内をしてあげるからついて来なさいと連れて行って下さいました。
 細い道から路地のような道を入って少し行ったところに目指す神社がありました。こういう道を行くなんて,先導してもらわなかったらきっとわからないままだったでしょう。ツイていました。
 神社は大きな岩山の下にありました。蜂須神社です。八十神をお祀りしている神社です。八十神とは,稲羽の白ウサギの話で大国主神に袋を背負わせてお供に連れて行くいじわるな神です。
 それにしても,すごいところにある神社でした。大岩を背中に背負ったかわいい神社。どうですか,こんな神社を見ると楽しくなってきませんか?
 今日も一日にこにこにっこりありがとう(^^)にこにこです。

ヒマラヤでも徳島人が活躍     尾野 益大

 徳島県内在住の登山家3人が10月,ヒマラヤ中部のトゥクチェ・ピーク(6920m)へ挑戦し,16日に2人が西峰(6837m)に登頂した。このピークはダウラギリ1峰(8167m)の北東8.5kmの連なりにそびえる。あと1人も登頂を断念したもの6300mまで到達して引き返した。本峰は,西峰から続く尾根上に氷の割れ目が無数にあって危険なため進まなかったという。
 県内ではあまり知られていないが,難易度が比較的低いトレッキング登山を除いて,県内在住者の登山隊が本格的なヒマラヤ登山を成功させたのは,1990年に徳島大学隊がプモリ(7161m)遠征で断念して以来となり,トゥクチェの成功は徳島山岳界を震撼させる快挙だったといえるのではないか。
 トゥクチェへは,1969年にスイス隊3人が初登頂した後,70年に日本隊が第二登を果たしている。現在までに世界で14隊が登頂していて,マイナーなゆえか,登山隊は1年に1隊あるかないかという。このことからも,トゥクチェ登頂の値打ちが理解できる。
 そして,気軽な中高年登山が華やかな今,ヒマラヤ遠征を胸に秘める情熱的な登山家の心を動かしてくれたなら,と願っている。トゥクチェへ挑戦した3人は,はや次の夢を語り始めている。「ヒマラヤの未踏峰か」「8000mのジャイアントか」−。
 ヒマラヤでも,徳島人の活躍を期待したい。