発想の変換        小林 金吾

 他を見てあれをやりたいとか,あの様な家庭を持ちたいとか目的を持つことがあるが,やり掛けても,思う様にならないのは自分の努力不足を考えず,世間か時代が悪いとか他に転化する風潮が今の世相かも。
 情報の把握や巷においては関連的の良書たる書籍などが多々氾濫して自己研修にはこと欠かさないが,書籍による理論的に心に納得しても行動を起こさなければ何等効果は表れないものである。
 心を閉ざす若者が多く,また人間関係を築けない人々が増えて居るのはなぜだろうか。
 若年者の犯罪が増えて居るのはなぜか。表題の自己発想の変換せねばと思われる,日常において何か心に感じた事柄などは直に真行(マコトにオコナウ)することであり尚継続することで自分が掲げた目的に近づき達成するものである。時代や世相に転化せず家庭的教育の親の責任の重大さを思う。

             結 果 子 勝 豊

古事記古々道 観光マップ製作への道

 波のうねりが始まったのは,昨年(2005)1月15日に徳島プリンスホテルであった徳島青年会議所の新年互礼会で,徳島県観光協会の飛田昌利理事長(写真右)と出会ってからのことです。
 飛田理事長は,以前から古事記物語は,徳島が舞台だったという話を聞いていて,これを観光資源として生かしたいと考えておられました。そして数日後にアスティー徳島で再びお会いしました。その席にアスティー徳島の岩井敏久館長(写真左)がおられました。館長とは,以前にお会いしたことがありました。その話は非常に関心があったが,あの場では騒がしく,ゆっくり話が聞けなかったとよく話を聞いていただきました。
 それからはトントン拍子に話が進み,徳島バスの方を紹介していただき,サンデーツアーを徳島観光バスが企画していただき,奈良の天香具山に観光バス3台(参加者120名)を連ねて7月31日に出かけました。その後9月18日に徳島県内を一泊(月が谷温泉)で「黄泉の国ツアー」に出かけました。
 そのほか,「徳島経済」にも「阿波と古事記」が紹介され,今年の2月末には,古事記古々道の観光マップが発行されることとなりました。
 飛田昌利理事長,岩井敏久館長には,色々と御尽力していただいたことを感謝しています。

【三村隆範】

 古事記観光マップが,今後,どのような広がりを見せ発展していくか,まだ誰も知るよしもありません・・・。

おどる阿呆に見る阿呆      三村 隆範

 明治の末に藤村操という弱冠19歳の哲学青年学生が,「人生不可解なり」と叫んで華厳の滝に飛び込み自殺をとげた。
 人生は,判らない。それはだれしも同じことだ。
 阿波には,
 躍る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら
            躍らなそんそん
 と阿波踊りの囃しことばがある。
 一見,面白がって囃し立てて謡っているように聞こえるが,よく聞いてみると,すごい事を謡っている。
 人間には,判っていることと,判らないことがある。つまり人間は,相対的世界で生きている。損得・好き嫌い・美醜・大小・高低・寒暖・等々,簡単には,絶対の世界・真理の世界には到達できない。迷いに迷う人生である。
 養老孟司氏の著書に,
 首吊り自殺をしようとしたらヒモが切れて高いところから落ちた。「もう死ぬかと思った」といって助けを求めたとか・・・。
 飛び降り自殺をしようとしている人の背中を押そうとすると,
 「危ないじゃないか!」と叫んだ。
 という話が書かれている。人間は迷いの世界で生きている。
 つまり,判っている事と判らないことがあるわけだ。そこで迷ったときにはどうするか。
 躍る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら
            躍らなそんそん
 わかったと言っても判っていない。
 わからないのは判らない。どちらも同じ。
 だったら「わからない」なんて思ってないで「わかろう」と思うことだ。「わかろう」と思って,目を大きく開けて見ていやぁ〜おぼろげに見えて来るものだよ。
 弱くったっていい。何も知らなくてもいい。
 できなくてもいい。力がなくてもいい。
 「やろう! やろう!」と思っているだけで,少しずつ 少しずつ力がついてくるのだよ。
 春に凍てつく大地から新しい芽が出るように。