屈原をたずねて(5)   山田 善仁

 「天問」の本文は,「旧約聖書」や「古事記」のように天地開闢(かいびゃく)の話から始まり,そして自分の身に及ぶまでを彼の宗教信仰上,神話伝説上,歴史記載上,人生道徳上の各種各様をあます所なく表現している。
 「天問」は「淮南子(えなんじ)」(漢の淮南王安の編纂した物)等とともに,中国古代の神話伝説を知る上での宝庫でも有り,又,我国の「古事記」を知る上での参考に通ずる所が有る。
 「天問」の最初を覗くとこうである。
(1)さても太古の初めの事は,誰が世々に言い伝えたか。天地のまだ分かれぬ時をどうして考える事ができたのか。
(2)昼も夜も分かれず小暗い時,誰がこれを見極めたのか。ただ気が満ちてもやもやしている時,どうしてその形を見分ける事ができたのか。(何を以て天地の形体を知る事ができよう)
(3)明(ひる)と闇(よ)とが分かれたのは,惟(これ)はいったい誰のしわざか。陰気と陽気が参(まじ)わって万物が生まれる時,何(いず)れがちちで何れがははなのか。
(4)天は円くて九重(ここのえ)の空というが,誰がそれを設計したのか。それはそもそも誰の功(しわざ)で誰が初めて作ったのか。(天は円形で九層に重なるという)
(5)天を回転させる北斗七星の柄と,柄につけた三星の維(つな)はどこに架(か)けられ,北極星を支える柱はどこに立てられ,天を支える八柱(やつのみね)(八方の高山)はどの方角にあるのか。また東南の方はなぜ欠けているのか。(八柱の一つ西北方の柱である不周山は,昔共工(きょうこう)が(せんぎょく)と帝位を争って敗れ,怒ってこの山に触れた為,天は西北に傾き,地は東南に陥没したという「淮南子」)
(6)ひんがしの湯谷(ようこく)より出で,西のかた蒙(もうし)にやどる。明(あした)より晦(ゆうべ)に及び,行く所幾里のみちぞ。(日は暘谷(ようこく)より出て咸池(かんち)に浴し,蒙谷(もうこく)に淪(しず)み,その行程は5億1万7309里あるという。また是を晨明と言ったり,虞渕(ぐえん)に迫るを黄昏といい,蒙谷に沈むを定昏という「淮南子」)
(7)夜光(つきよみ)は何かを得て,死して則(すなわ)ち又育(い)くる。その利はこれ何かありて,顧菟(ひきがえる)腹に在(す)みたる。(弓の名手の(げい)は,不死の薬を崑崙(こんろん)山の西王母に請うて得たのを妻の娥(こうが)が窃(ぬす)んで月に奔(はし)ったという「淮南子」)

寒いっ!! 風が びゅうびゅう風神さん?
               小林 泰代

 毎週日曜日は日曜市☆です。今日の天気は晴れたり,曇ったり・・・ 雨が降ったり・・・。今日もるんるんで出かけました。最初はあったかかったけれど,だんだん風が強くなり・・・寒くなって店を早仕舞い・・・・・寒さに耐えれなくなってました。しかも,薄着だったから・・・・。だけど,お客さんも結構きてくださったし。短い時間だけれど,まぁまぁ,売り上げもあったし,ありがたいことです
 寒くて寒くてガタガタ震えながらも楽しくて密な時間を過ごす事が出来ました。逢いたい人にも逢えたしなぁ・・・。久々に逢えた人もいたし。来週も早く行きたいなぁ・・・と思います♪
 さて・・・日曜市は寒くて12時頃に閉めて,日曜市の中ででているお店でお昼ご飯を食べました。こんな寒い日はやっぱり「うどん」でしょう! おうどんとおにぎりを食べてご馳走さまでした〜・・・それから,今日もたくさんいろんな方から色んなものを頂きました。ほんとに,サンキューです。また,どこかで還元していこう。・・・それから,そのあとは知り合いが徳島城博物館で作品展をしているので見に行きました。最終日だったので,いそいでいきましたよぉ〜。間に合ってよかった。それから,行ってよかった。
 自力整体の生徒さんでもある知り合いの方は着物を綺麗に解体してミニチュア着物を作っています。先生をされています。
 見に行くと,ご本人も着物をお召しでした。春色の着物でよく似合っていました。
 ミニチュア着物はとてもかわいくて着物の柄を見るのも楽しくて見ても見ても飽きがきません。お弟子さんで一着の着物から4着のミニチュア着物を作っている方もいました。素晴らしい作品の数々。
 見に来てよかった〜☆とほんとに思いました。・・・・博物館内で作品展をされてることも素晴らしいわ〜と思いました。

橿原市南浦町三社祈年祭奉仕
                 橘 豊咲

 小雨が降っている。午前十時前自宅出発。近鉄橿原線九条駅乗車八木乗換耳成(みみなし)駅下車,タクシーにて南浦町米虫(こめむし)区長宅に到着。十一時丁度,更衣昼食小雨の中天岩戸神社に着く。既に皆見祢宜(みなみねぎ)役員等神饌調理中,諸準備の後祈年祭奉仕十二時,祭典次第は恒例祭(こうれいさい)は同じである。先(まず)手水,修祓(しゅうばつ),献饌(けんせん),祝詞(のりと)奏上,鈴祓(すずはら)い,玉串奉奠(ほうてん),撤饌(てっせん),挨拶後片付けの後香具山頂上に向かう。草履(ぞうり)のカバー付を履いて宮司祢宜役員等黙々として杣道(そまみち)を登る。152米の海抜であるが,滑らないように踏んばって急坂を登るのである。胸突八丁らしきところもあって約20分で頂上に着く。亜熱帯の種々の樹木も風が無く小糠(こぬか)雨のためそよぎも無く穏やかである。
 「今日は」「今日はようお参り」藤原京跡,畝傍山を望見する場所で,中年の婦人のグループである。同時に挨拶を交わした。「どちらからですか」「岐阜です」「岐阜のどちらですか」「醒ヶ井(さめがい)から」「関ヶ原(せきがはら)の付近ですね」「今日は何のお祭り」「今年も作物が豊作になるように祈念するお祭り」「佳(よ)い日で良かった……」国常立(くにのとこたち)神社,タカオオカミ神社に一礼して,婦人等を見ると足は早く祝等(はふりら)が登った道を下りたようである。
 約20分で祭典が終わって神前の方を見ると,白猫が右側に供えてある鯛を狙っているので,役員の一人が二,三歩進んで怒鳴り付けると物陰に隠れたのである。
 川柳 「祈年祭 野良猫鯛を 狙いけり」香林
 取られなくて良かった。
 式典が済んで片付けが終わると,役員等は慣れた道を小走りに下って行った。約十分で出屋敷(でやしき)の天香具山(あまのかぐやま)神社に転ばずに着いた。この社は終戦の年,官幣社に昇格するため,内務省から内示(ないじ)があったことを宮司になった当初,地元の誰からか耳にしたのである。約30分後直会(なおらい)のため天香庵(てんこうあん)に入って約一時間半,御神酒(おみき)を戴きながら,地元の役員の会合を兼ねた雑談に耳を傾けたのである。
 「神々の鎮まりおはすとこしえに 天の香具山春を迎ふる」

無言の言葉     鶴岡 とみ子

昨年,短く枝を刈られてしまった窓の隣の木。
こんなに伸びてきました。
おひさまのひかりを浴びて気持ちよさそう。

昨秋,わたしが50日も
入院してた間,ほとんど水も与えられずにも
生きていた観葉植物。
今も生きてる。

そして,缶詰のチューリップを開けて11日目。
共に生きている。

植物は何も言わずして
ちっぽけな人間に

大切なこと
教えてくれている
ありがとう