「ソラ」の地に捧げる
三木家コンサート(その1) 三木 信夫

 久々に郷里宅で冬を過ごして,村の方達と話をして見ますと,なんとなく活気の無い侘しさを感じました。町村合併で山村が市になったとはいえ,高齢化と過疎スパイラルには歯止めがかかりません。
 何か国重要文化財の三木家を利用して,地域の文化向上の活動によって,多少なりとも地域の皆さんが元気になればと考えていました。たまたま昨年阿波忌部の「阿波と安房の交流会」に出席したオカリナグループ「アミンダ」代表 森見美子さんから,この4月16日(日)の桜が満開の頃オカリナ100人と琴10面で演奏したいので三木家コンサートを開催させて下さいと依頼があり快諾しました。
 この三木家周辺の地は,現在は字「貢(みつぎ)」ですが,その前は旧名「空地(そらのち)」でした。吉野川周辺の平野部からは「ソラ」と呼ばれていました。
 この地を森見さんが下見に来られて大変気に入られ,その後森見さんは参加グループの募集に大変努力されたそうです。
 早速,文化財の担当でもあります美馬市教育委員会生涯学習課を訪ねて,三木家コンサートを行いたい旨説明しますと,美馬市の3月号広報に掲載して頂くことになりました。


 主催は三木家とアミンダで市教育委員会は共催となり,当日雨天の場合は木屋平中学校体育館を使用することで了解を得ました。
 掲載の主なタイトルと内容は
 「ソラ」の地に捧げるコンサート
 −阿波忌部「あらたえの里」・国重文「三木家」周辺から−
 ・とき  平成18年4月16日(日) 午後1時〜午後2時30分
 ・ところ 三木家周辺(美馬市木屋平字貢) 当日雨天の場合は木屋平中学校体育館
 ・演奏  オカリナグループ「アミンダ」 (森見美子代表,100人)
 ・主催  三木信夫,アミンダ
 ・共催  市教育委員会
 ・問い合わせ先 市教育委員会生涯学習課

(次号に続く)

ノルウェー王国と捕鯨   天羽 達郎

 皆さんは御存じないと思いますが徳島にノルウェー王国友好協会というのがあります。平成13年4月22日(日)徳島市でその発会式がノルウェー駐日大使オッド・フォッスアイドブローテン氏ご臨席のもとに執り行われました。私はその前日の土曜日にたまたまボーイスカウトの会合で東京にて,帰りはその大使と同じ飛行機になりました。そこで協会の幹部から「お前大使を案内してこい」言われ,東京の大使館へ連絡を入れてくれました。約1時間飛行機の中で拙い英語でお話しして2つのことが分かりました。
 1つ目はノルウェーと日本には政治的対立がないこと。2つ目は捕鯨に関して考え方が似ているということでした。鯨は商業捕鯨をして適当に間引いてやらないと数が増え過ぎ,オキアミなど鯨の餌になるものを食い尽くし,食べ物がなくなって鯨自身が絶滅しまうらしいのです。日本は鯨の種類や数の調査をしたうえでこう主張しているのですが捕鯨協会は一切認めようとはしません。それでノルウェーは世界捕鯨協会には入っていないとのことです。勝手に商業捕鯨をやっています。一方日本では,グリーンピースなどのプロ市民がきれいごとをいい大手企業から寄付を取り,それを日本叩きの資金にしています。日本はスケープ・ゴートにされながら捕鯨協会から脱退もせず,まじめに対応して負担金も出しています。なんという愚かな国でしょう。欧米の鯨を食べない国々が構成している捕鯨協会はそんな日本を面白がっていじめています。そんななかでノルウェーは唯一の味方と言えます。徳島ノルウェー王国友好協会を大事にしたいですね。


【写真:オッド・フォッスアイドブローテン氏と】

神霊把握への努力の道筋に
               小林 金吾

 日本国の皇位継承の象徴として受け継がれて居る三種の神器の首位に八咫(やた)の鏡がある。
 神社とかご家庭に於いても神前に鏡がよく見受けられるが,一般的に御神鏡と謂われる。
 その御神鏡に対する意義は色々と諸説もあるが,考えて下さい。神鏡は進鏡に通ずる。
 御神鏡の前に於いて自分が行動を起こせばその通り見える。当たり前で当然であるが,要するに「やまびこ」現象である。
 自分が感謝の心にて行為,行動をすれば眼には見えないが,感謝の心,態度で日常業務に励めば,相手方もそれに応じてくれるものである。
 以心伝心で反響があると同時に神の眷属さんやお使いさんが当然応じて戴けるものと悟るべきである。
 敬神崇祖の言葉があるが,自己家庭に祭祀する神棚に居住地の氏神様並に自家のご先祖さんがお世話になって居られる菩提寺さんやに対する心掛けであることで一般家庭に於いての信仰の根源が真行「マコトニオコナウ」心である。
 鏡に映るものは同じであると一般的には思われて居るが,よく考えて見て下さい。
 やまびこ現象は発した言葉通り反響があるが,鏡には被写体の人が右手を挙げれば映った人は左手である。X(エックス)現象が生じる。当然である。馬鹿馬鹿しいと一蹴するが,そこを悟るべきであるとは思い過ごしであろうか。
 Xの接点が心であるゆえに心に心せねばならない……素直な心で信じる心。素直な心でお礼の言える心。素直な心で詫びる心。素直な心でおすがりしていく心が持てる自分にならなければ,姿勢,態度と,またの折りに。

結 果 子 勝 豊

ちょっと自分史   北島 健司

 今回表紙にしてもらえるという事なので,ちょっと自分の過去を振り返ってみました。
 「青少年期」
 思い出すのはとにかく死ぬ,自分の思いがなくなるという事が恐ろしかった事で,何かを探して世界を歩くとか(してませんが),とにかく生きてるうちになんとかしなくちゃ,と焦ってました。
 「引きこもり期」
 何かで自分がメジャーになって,そこで愛と平和を発信したら世の中が少しはよくなって自分も生まれてきた価値があるのでは…と,今思えばアホな考えにとりつかれてたのですが,中途半端に仕事したりしているうちに引きこもりの草分けみたいになってしまいました。(まだそんな言葉もなかった)。
 「社会復帰」
 突如元気を取り戻し,何でもOKだぜみたいな状態の所にちょうど就職の話になり,とりあえず行ってみりゃいいかで入ったのが今も続いています。よかったね。
 「師との出会い」
 普通に日々を暮らしていればそれなりに楽しく,そのうち死ぬどうしようとかあまり考えないもんですね。ところが不思議なもんで,何かを探し求めるとかなくなってからひょっこり五井昌久という人の本に出会い,青少年期に求めていた答えが得られたのでした。
 「現在」
 戦争,災害や異常な事件などが多すぎますが,これらはすべて人類のネガティブな想い(カルマ)の蓄積が膿となって出ている姿なのだと五井先生は説きます。地球の進化が加速している今,膿も出方によっては人類滅亡などという事にもなりかねないので,痛み少なく進化できるよう,幼い娘の未来のためにも,個人人類同時成道の道(自分の幸せのために祈る事がそのまま人類の為にもなる)である世界平和の祈りを一人でも多くの人が祈ってくれればと切望しています。
 「総括」
 派手な出来事はなかったですが,ちょっと変わりもんかな,という気はします。
   世界人類が平和でありますように
   May Peace Prevail on Earth