山登り          本多 幸代

 ゴールデンウイークに生まれて初めての山登りに挑戦しました。朝早く家を出てまず大麻はんにお参りし,いざ大麻山へ。
 登り始めて間もなく(少し登った所で)息切れはするし,汗は流れ落ちるし,あきらめてやめようと思いました。でもせっかく来たのだからがんばろうと思い直して再び歩き始めました。すると慣れてきたのか少し楽になって来ました。うぐいすの鳴く声,緑の山々,さわやかな風。今迄の苦しさがうそのように消えていきました。
 廻り道をして山の湧き水を飲み,奥の院にたどり着きました。
 お弁当を食べて一息つくと,途中でくじけていたら,このすがすがしい空気を味わえなかったと思いました。
 「がんばってよかった」「また来たい」と思いながら,さわやかな気持ちで山を後にしました。
 平さんの「再び剣山」を読み,私も登ってみたくなりました。機会があったら剣山へも挑戦してみたいです。

コロとカメ        平 澄子

 我が家には,金魚7匹とカメ1匹が狭い小さな池で仲良く暮らしています。
 ところが雨が降るとカメが池からいなくなります。黒い色をしているのでなかなか見つかりません。そんな時,愛犬のコロちゃんに頼みます。
 ある日2日ぐらい全然見つからなくて,ずっと植木鉢の間とか捜したけど見つからず困って,「コロちゃん,カメちゃんおらんよ。どこ行ったん」と聞くと,必ず得意の鼻で見つけてくれます。しっぽを振ってコロが私の方を見ています。その場所に行くと,カメちゃんが石の間でもがいていました。まるでナカちゃんみたいです。
 私が「ありがとう,コロちゃん。カメちゃん見つかって良かったね」と言いながらコロの頭を撫でていると……。
 「大きな声で言われん。恥ずかしいけん」と娘の大きな声が聞こえる。
 「そっちの方がもっと恥ずかしいわ」とつぶやく。
 とにかく,カメちゃんが脱走しても,コロちゃんが必ず見つけてくれるから安心です。

「古事記古々道」巡り    新居バイオ 新居 洋子

 5月の連休に家族(夫婦,子供3人)で「古事記古々道」を巡り神山と佐那河内,徳島市の多家良町へ行きました。
 みんな,びっくりしていました。

ゼロからの脱出         三村 隆範

 あなたは,すでにこの世にいてゼロではない。
 つまりこの世に生きているのです。人として人間として生きて,自分がやっていることを納得して生きているのでしょうか?
 生物には命があり,特に動物には感覚はある。しかし,それは,ただ外敵から襲われる時などに警戒心を持ち生きているだけで,自分が自分を納得して生きるなどということは考えもしていない。ただ快・不快により行動しているようです。
 しかし,人間は違っていて悩み苦しみがある。なぜ,人間に悩みや苦しみがあるのだろうか?
 それは人が,完全,つまり100点を目指して行動するからではないだろうか。行動しても完成に到達しない。しないどころか完璧にできない。できないから しない。つまり,ゼロのままで生きている。確かに何もしないと失敗はしない。しないから,自分の恥は人に見せることはない。人に恥を見せないが進歩しているかといえば,何もしないのだから進歩がないのは,当然である。
 「 ヤロー 」と思ってはみたものの,完全にできない。100点取れない。いい格好できない。だから,しない。と立ち止まってしまう。それでは100点取るどころか0点である。100点でなければと思うから,できなくなってしまうのだ。確かに,この世では満点至上主義で100点でなければ値打ちがない。それで100点を取ることが目標となっている。しかし,100点取ることが100点ではない。でないことを知っていたい。
 ゼロ(何もしない)から脱出した時が100点を取ったときです。失敗つまりマイナス点でも,それは100点を取ったと変わりないのです。ゼロはゼロですが,この世に生まれ出た人間に取っては,有るということは価値あることです。
 失敗から学ぶことはたくさんあります。失敗を怖れない。何もしない失敗は,繰り返さない。
 何億年もかかって人間は,ここにたどり着いたのです。それは,たとえ失敗しても,やった者だけが成し遂げた事なのです。
  天岩戸が開くとき 人は神に帰る
しなくて失敗しないより,やって進歩しましょう。