出世した人を見たい!  新居 弘悠

 出世という言葉は仏教語です。出世間すなわち俗世間から離れることです。ところで,私ももうそろそろ,「今の若い者は」といわれる歳ではなくなってきました。坊主頭のせいか歳より若く見られますがうれしくはありません。私が子供の頃,60歳というと「おじいさん」「おばあさん」でしたが最近はそうでもありません。
 70,80,77歳で亡くなった人を「若い!」といわれ82歳で亡くなった人は「平均寿命より若い!」といわれています。今,生涯学習,生涯現役と言うような考え方が推奨されています。歳をとっても死ぬまで勉強,死ぬまで働く。
 ちょっと待って下さい! 長年にわたって積み重ねてきた経験を若者に還元するのが「年寄り」の勤めではないでしょうか? また,もう老い先短いことを自覚しているからこそ目先の利益にとらわれずに公の利益を考えて中立の立場で裁定ができるのでは? いつまでも若者のように輝いている「熟年」よりも,枯れて仙人のような「年寄り」が見たい! それがすなわち俗世間から離れて出世した人ではないでしょうか?
 そう私は思います。いかがでしょうか?

             近藤 隆二

 父は大正2年10月13日生まれで,近藤勇(イサミ)という名前で,新撰組の隊長と同姓同名であった。平成8年7月12日享年84才で他界しましたが,近藤家祖先の男性の中では父が一番長命でした。若い時から酒とタバコが大好きで,特にお酒は強く毎日一升(1.8リットル)飲んでも平気でした。しかし酒のために家庭が乱れることもありましたが,その姿を,見ているからお陰で私は酒もタバコものまなくてすんでいると思うようになりました。父が反面教師です。
 人様には人一倍気を使い,めんどうをよく見てあげていました。しかしカッとなりやすく短気な一面もありました。
 高血圧の為,降下剤をのみ続けていましたが,75才位から血圧が下がり薬は飲まなくてもよくなりました。血圧が正常になったのは70才過ぎからだんだんと心が穏やかになってきたことが,血圧にも良い影響を与えたものと思います。
 父は徳島市役所応神支所へ約40年間勤めて退職しました。応神村役場時代から戸籍係一筋でその当時は一枚一枚筆で本籍とか住所,家庭構成等を書いていました。仕事を終えて帰宅してからも夜遅くまで又日曜日も筆で字の練習をするという努力家でもありました。
 父が真面目に勤めてくれたお陰で,私が学生服の小売販売を妻と始めて,入学する児童生徒の家へ予約を頂きに訪問していく先々の家のおじいさんおばあさん方が「近藤さんは役場へ勤めよった勇さんの息子さんで……」と言って私を信用して予約をしてたくさんの方々に買ってもらいました。まさに親の七光りでした。
 晩年父は足が弱り一年半ほど寝たきりの状態で,自宅で妻と私と姉妹が交替して介護をさしてもらいましたが,父はいつも手を合わせて「すまんなぁ……ありがとう」と言って感謝していました。安らかな最期でした。

GW終わりの旅行から 大西 雅子

 昨日ここ徳島に帰り着きました。5月5日に鳥取県の米子に向けて車を走らせ,6日に法事をすませた後今度は,長門市の宿まで雨の中,車を走らせました。
 長門市のその宿はとてもすてきでした。客室は9部屋しかありませんが,まるでギャラリーに泊まっているようです。温泉に浸かり,食事は目の前の深川湾で捕れた海の幸です。
 次の日は濃い霧の立ち込める中を,数カ所,観光しながら下関へ向かいました。連休も終わるので,どこもよくすいていました。
 下関ではシーズン最後のフグのコースをいただきました。やはり,下関のフグはおいしいです。そしてお安い。4人でお酒も少しいただいて28000円くらいです。下関で一泊して帰ってきました。
 さて,私の祖父母のいたところが米子です。
 ずっと,なんで米子というのだろう?と思っていましたが,泊まったホテルの近くにある加茂神社にぶらりと行き参拝したとき,そこに米子の地名の由来を書いた看板をみつけました。
 もともとこのあたりは加茂の浦と呼ばれていたそうです。戦国時代の頃,野田翁次郎という人が老年になっても子供がなかったので,この加茂神社に祈願したところ88才で子供に恵まれました。このことが,稀代の霊験だという評判になり八十八才にちなんで,地名が米子に改められたと伝えられているそうです。めでたくて,嬉しくなるような地名の由来です。

Oma Warnecke(オマーバルネケ)   橋本 節子
訳(バルネケのおばあちゃん)

 私の大好きなオマーは,ドクターエンドー徳島店の近所にある動物病院,バルネケのおばあちゃん。あんな風に明るくさわやかに,そしてハイカラにお年がとれたらいいな〜あと逢うたびに想うのです。
 毎日,ご自宅周辺の昭和公園を,足腰が大事とオマーパワーを全開にしてトコトコトコ……と歩いてます。その間,逢う人ごとに会話するのも好きらしく,私みたいなものにも
「あらあんた,明るい洋服が似合っているわ。これからの季節ちょうどいいわね。」とさりげなく話しかけながら肩をなでてくれたり……。
 私って単純ですから,朝から誉められるとついつい調子に乗って
「ホントに?」なんて聞き返したりしてしまいます。私も絶対あんなおばあちゃんに成って見せるとあこがれたり……。
 どう見ても70歳位にはなるのかなと思っていたら,なんと87歳というから驚き!
 そしてハイカラなはずです。50数年余り,自宅で洋裁教室を開いて,ものすごくいっぱいの人達に教えて来たので,身に付けているお洋服は全部手作りオリジナル作品ばかり……。うらやましい限り……。
 こんな素晴らしい人がご近所にお手本にいて下さるので,私,きっとなれますよね。
 素敵なオマーに……。