「ソラ」の地に捧げる
三木家コンサート(その3) 三木 信夫
コンサート当日の四月十六日は,早朝より空模様を見,野外の舞台となる地盤が雨で軟らかくないか,大太鼓を置く場所等野外周辺を点検して,教育委員会の宮田さんにコンサートが出来る旨を連絡,頼まれていた野点用の赤い日傘を立てるための日傘の柄が入る短い青竹を庭に打ち込こむ等の準備もしました。
家の雨戸を開け,「かまど」や「囲炉裏」に火を燃やすと今まで眠っていた家が生き生きと感じられ,重文民家の活用が云われている昨今,やはり民家は住むことが最高の活用だなと思いました。
次々と関係者の車が到着し,主役の森見美子アミンダ代表も大勢の出演者を連れて到着,琴の準備や出演者の練習など間際まで余念がありませんでした。前日雨のなか森見さん自身が琴九面を運び込み,調弦をしていたのですがそれでも当日は時間的な余裕がありませんでした。市教育委員会も宮田さんを筆頭に到着し,自動車の交通整理と野外コンサートの為に当日短時間で設置しなければならないテント張り,スピーカー類の設置等,事前に準備はしていても天気相手は大変でした。
私が準備不足で齟齬をきたしたのは,前日までの雨で離れ座敷を整理できず,野点の社中の方々に着物を着替える部屋を準備出来なかったので,当日社中の方々が,入り口の土間や見学座敷で着替えをする羽目となり,予定していた練習前の演奏関係者に三木家を案内・解説する事が出来なかった事です。
野点のほうは,茶の湯の釜では間に合わないので,かまどの湯を使用するよう手配しておりましたのでスムーズに御手前をしていました。菓子付で一回二百円でしたが好評のようでした。
十一時半頃より資料館で阿波忌部歴史説明会を行う予定でしたが,まだ見学者も少なく全体にざわついておりましたので,地名の話と中世の話を少しして10分程で切り上げました。その後美馬市の牧田市長もお見えになり囲炉裏で時間まで過ごされました。
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先生,先生! 天羽 達郎
先生と呼ばれて思わず振り向けば
言葉の主は客引きの黒人
昔なら社長社長と呼ばれしが
いつのまにやら先生先生
この短歌とも狂歌ともおぼつかない2首は東京新宿歌舞伎町でのできごとです。7月13日木曜日,午后からは休診なので昼の飛行機で東京に飛び消化器外科学会に参加して翌朝一番機で徳島に帰るというハードスケジュール。会が終わり行きつけの寿司屋に向かっていると,後から『先生! 先生!』と誰かが呼ぶ。振り返ると声の主は黒人の客引きだった。僕は昭和42年の27歳から53年の38歳までの11年間は東京女子医大消化器病センターに居た。帰りは遅くいつも新宿河田町からバスに乗って区役所前で降り,西武新宿駅で電車に乗った。区役所の裏手を通り『こま劇場』の横をすりぬけ歓楽街の歌舞伎町のど真ん中を突っ切って駅に行く。途中いろんな客引きがいて,当時は悪名高きキャッチバーの全盛時代で,無理やり客を引っ張り込んで目茶苦茶に『ぼる』んです。しかし僕は一度もその被害に遭ったことはないし,客引きからもほとんど声をかけられなかった。それは路地を慣れた足取りで駅に向かうので東京なれしているなというのと,それにどうも金は無さそうだということで声がかけられなかったのでしょう。当時の客引き,いわゆるポン引きは全員日本人で,客の見分けができたのだと思う。その時の客への呼び掛けはすべて『社長,社長』であった。
今回は『先生』と呼ばれたので女子医大関係の誰かかなっと思って振り向いたのだが,黒人だった。この頃の客引きはイラン人だとか黒人だとかの得体のしれないアルバイトがやっている。彼ら外国人には客の見分けがつかないのであろう。誰彼ともなくひつこくまとわりついて来る。そして『先生! 先生!』と呼ぶ。そのことを寿司屋で話したら,従来なら先生といえば学校の先生か医者を指すが,最近は政治家のことを意味するのだそうだ。なるほどそうだったのかと合点が行った。
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神の国 神の子 小林 金吾
神国ニッポンの言葉がある国に生まれて,生活して居る。男と女が結婚をする場合は色々とあるが一般に家族より祝福されての結婚式は「ほとんど」が神前結婚でなかろうか……。
妊娠して着帯の祝いに出産に初宮(産土神)参り七五三祝いなど氏神さんのお祭と神に対する縁にしは多々ありて。結果はお陰の生活をして居る私達であるが,ご自分の家に神棚で祭祀することは神との縁結びであり招き迎えたのであろう。
日本には元の国幣や宮幣社などの神々があり,県には一の宮として郷に村や小字に氏神さんや鎮守さんがありて,私達は神々の縁にしなくて日常の生活は出来ないだろうが。
だが宗教にも色々ありて,日本国神の伊勢神宮や他の神々に氏神も「みとめ」ない宗教団体もあるが……。先祖代々がお世話になってきた菩提寺さんを離れて自分勝手の信仰宗教は邪教と悟るべきでなかろうか。
例えば,ご自宅前で朝早く知人に出会えばお早うと挨拶をするだろうし,また夕方に近所の人に逢えばそのときの天候とか行動の話をするだろう。夜間に出会えば色々話してはお休みなさいとの言葉を交わすだろうがと言えば……。当たり前の常識で馬鹿馬鹿しいと一蹴するだろうが……。
敬神崇祖の言葉は既に聞き飽きておられても行動がともなわねば……絵に描いた?とか前述の他者に対する当たり前の常識より以上に朝のお給仕に家族そろってご挨拶ができておられるだろうか……。我が家に招き迎え入れた当たり前の好意を守って居られるか……。以心伝心で護られる道筋に入れるものであるが。他者の話を聞きて有難いからと買求めて家に持ち帰ることはよく考えて,ご自分が充分に好意を尽くすことができればともかく招き迎えて不敬になる場合もありますから,これは神ごとでも仏ごとでも同じであるが自宅仏壇には自家宗旨以外のお札などはよくご判断してからにして下さい。
神社や仏閣の参拝とき手洗水の場所に於いて備え付けの柄杓で水の口飲みはするものではない。先達と言われるご仁が口飲みをして居るのを見掛けるが。もっての外である。
「ささい」なことであろうとも敬神崇祖の聞き飽きた言葉であるが,それに反する行為ならば取りやめる勇気とよい行いと自己判断できる行いの些細なことでも積み重ねの継続がのちに結果となるものである。
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神は心のよりどころに付いて(2)
天香具山神社宮司 橘 豊咲
そもそも人格神に付いては,男神,女神,父神,母神,祖先神,英雄神,天皇,教祖,聖人等の神格化したものがあります。歴代天皇や軍神等もこれにあたります。
次に所謂生活神とも言うべき神々で,現代の生活の中にも深く関わっている神々は,先ず農業神,狩猟神,漁労神,商業の神,工業の神,航海の神,婚姻の神,出産の神,疫病の神,薬の神,はては死神から運命の神等で,人の世は実生活に直接関わりのある神々であり,また最も身近なものであります。
神の始めは原始共同体的な生活の中から生まれ,原始的な宗教,呪術の祭の場として使われたところから発生したもので,生活の手段として重要な,豊作,凶作の占いをしていたと考えられます。つまり農耕生活と深く密着していた所以です。
原始時代の祭場は,社殿らしきものは無く,最古の形と思われるものは,泉,岩,樹木,丘陵等などが聖地と見なされて,各季節に神々が来訪すると考えられていたので,この場所は普段使ってはならない禁足地として定められ,その村の集団的な祭の場としてのみ使われてきて,それは集会,だんらんの広場であった訳です。
後世になって神社の形態を現したものが氏神で,地域社会の守り神,すなわち氏神で産土(うぶすな)の神であります。産土は人の生まれた土地の神であり,郷土社会を守る神であるだけで無く,他の土地に移住しても,その人の一生を守護してくれる神として崇められた訳です。子供が生まれての初宮詣はこの神社に対して行われるものです。
鎮守の神は,もともと一定の地域を守護する神で,今日でも行われている地鎮祭は,この信仰がもとになっていると思われます。その地域の戸数が増えて,境内の整備が進むに従って社殿も立派になり,全国的に有名な神社の祭神の分霊を遷して祀るようになって,社名も,八幡,熊野,稲荷,白山,秋葉,春日,三輪等の神々を崇拝するようになって,人生の儀礼の式とか,正月,春,夏,秋の祭礼,例祭に参拝,行事に参加する事も増えてきたと言えると思います。
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