「ソラ」の地に捧げる
三木家コンサート(その4) 三木 信夫

 プログラムは,十二時四十五分より森見美子アミンダ代表のオープニング演奏,主催者三木家・アミンダ挨拶,美馬市長祝辞の後,演目は二十五項目ありました。司会はアミンダが依頼した鳴門工業高校の林博章先生で,奥様も当日は受付を仕切っていたようです。見学入場者は,人数の把握とイベント保険を掛けていましたので,万一のトラブル防止のためすべて氏名と連絡先を記載して頂くようしていましたが,地元の方で未記入の人もあったようです。
 オカリナは16グループ150人が集まり,遠くは京都府亀岡市の「テレーノトノ」や県下からは,三好市東三好町の「アミンダみよし」・美馬市の「ビリーブ」・徳島市の「若草姉妹」・小松島市の「ハーモニー」・吉野川市山川町の「NPO元気やまかわネットワーク」・阿波市の「ハート&ハート」・吉野川市鴨島町の「かもの会」・県下一円の「グリーングラス」・那賀郡鷲敷町の「山うさぎ」・鳴門市の「アンティーズ」・徳島市&石井町の「パンプキン」・JAグループの「キャロッツ」・徳島市沖浜繊維団地の「ときめき」・勝浦郡上勝町旭の「やまぶき」・勝浦郡上勝町正木の「三匹の子ぶた」の面々で,琴は「アミンダ箏曲クラブ」,太鼓は「ドンツク和太鼓」,コーラスは「グリーングラス・ジュニア」の方達でその他ピアノ伴奏等多彩なものでした。地元参加は,木屋平中学校の生徒達による木屋平無形文化財の「傘踊」と「獅子舞」が行われ好評でした。
 今回は時間も少なく,大勢の地域の方達の演目を含める事は出来ませんでしたが,より地域と一体化で行う為にはどうすればよいか今後の検討課題です。
 13時過ぎ駐在さんとか美馬署交通課より見に来られ,五百人は来ていますと云われましたが,五百人程の人達が居るのにそんな感じは無く,駐車場さえあれば千人超して入場出来るのだと判りました。
 その後,衆議院議員の後藤田正純先生がお見えになり秘書と一緒に座敷に上がって頂きましたが,妹達が一緒に写真をと,入れ替わり立ち代り写真撮影で先生はゆっくりする暇も無く,囲炉裏で話をした後,庭に出ましたがそこでも写真撮影で引っ張りだこでした。
 コンサートのほうは,大勢の演奏グループが競い合って天にまで響けと演奏し,演奏の合間に司会者が,阿波忌部の悠久の歴史を説明して,古代文化を発したこの地を味わっていただこうとしました。
 周囲の景観は今朝までの雨・風にもかかわらず,今日のコンサートを待ちわびていたようにしだれ桜はしっかりと咲き誇っていました。しかし私が閉会で「桜は前日までの雨・風に負けず今日の演奏のために持ちこたえてくれたのです」と挨拶すると,一陣の風が吹いて今まで咲いていたしだれ桜が桜吹雪になったのにはびっくりしました。このあらたえの里「そらの地」で,三木家歴代も今までこのような演奏をした事は無かったのではないだろうか。忌部は音楽の神様でもあるので古代は演奏したかも?と夢をはせながら,向かいの東宮山・天行山・高城山・天神丸・一の森・西側の権現山などの山々が,すっきりと見え耳を澄ませて聞いていたように思いました。
 演奏は当初の予定より大幅に伸びて15時半位までかかりました。最後は参加者全員の「よしこの」阿波踊りで閉めましたが,この踊の風景はのちに美馬市広報五月号の表紙となりました。さすが森見美子アミンダ代表は,八面六臂の大活躍で敬意を表し,アミンダだからここまで出来たのだと感謝しています。
 特筆すべきは,終了後五百人超の方々が帰った後の三木家周辺は,塵ひとつ無いすばらしいもので今まで演奏があったのかと疑う程のマナーの良さでした。
 次回からの三木家音楽祭は,毎年四月第三日曜日に美馬市主催の定番イベントとして行うよう美馬市にお願いしております。

【完】

ダ〜イテイ!? ホワット?
               天羽 達郎

 『大帝って,何ですか』この小文のタイトルはこういう意味になる。私がロンドンはヒースロー空港の入り口で発した質問だ。本年8月15日午后3時(現地時間)頃,レンタカー屋さんから小型バスで空港まで送ってもらったときのことだ。バス停に官憲が待ち受けていて航空チケットを見せろといった。日本航空で関空行きだと分かると『ダ〜イテイ』に行けという。『ダ〜イテイ』とは秦の始皇帝かなにかを意味する『大帝』に聞こえたので,『ダ〜イテイ!? ホワット?』と思わず聞き返した。同伴の娘が聞き直した。するとチェックインをするところだ,といって入り口を指差した。そこには大きく『Zone D』と表示してあった。ゾーン デーィと発音したらしいのだがダ〜イテイと聞こえた。凄い訛りだ。ロンドンではかっての植民地から来た肌の色の違う人がタクシーの運転手,レンタカーの受け付け,駐車場の係やらをやっていて,みんな怪しげな英語を使っている。でも我々にはそれなりに分かる。しかしその官憲は断定はできないがイギリス人らしいのだ。Zone Dのところへ行ったら写真に見るように黄色や赤色に銀色の線の入ったチャンチャンコを着た人が陣取っていて,ここでもチケットを見せろという。出立時間をみて,この飛行機に乗る人は今から1時間半,外に設営してあるテントの中で待てという。早めに来いといわれていたのに中に入れてくれない。
 8月10日夜の9時,イギリスでは液体爆発物を機内で合成し爆破テロをおこなうという計画を察知し犯人14人を逮捕した,とNHKニュースは報じた。空港ではただちに厳戒態勢レベル5に格上げされたとのこと。同時に成田,関空の手荷物検査での騒ぎが放映された。私がイギリス旅行に行く1日半前のことである。いまさらキャンセルするつもりはなくそのまま突っ走ったが,日本航空からは注意事項が示された。機内への持ち込みは化粧品など液体物,ゼリー,糊状の物はいっさい禁止,例外は赤ん坊のミルク,それも母親が係員の前で飲んで見せてミルクであることの証明が必要,処方箋つきの糖尿病などの医薬品(液体はだめ),ナプキンなどの女性用衛生用品、眼鏡(ケースはだめ)コンタクトレンズ(ケースはよいが保存液はだめ),パスポート,航空券,ポケットサイズの財布と現金,クレジットカードなどで,それも空港から支給された透明のビニール袋に入れることが条件。もちろん携帯電話は駄目,ハンドバックもだめ,全部手荷物に入れさせられそれも厳重な検査を受ける。日本発の便ではこれほど厳しくなかったが,それでも液体物は全部捨てさせられた。
 日本時間8月12日午前11時55分関空発,現地時間12日午后4時ヒースロー空港着。テロの実行は現地時間12日だったそうな。空港に着陸しても駐機場の空きがなく1時間以上機内で待たされた。ようやく通関できたが同乗者にはスイス行きのツアーの連中がいて,乗り継ぎの飛行機がいつ出立できるか分からないので予定を変更するしかないと添乗員が通路で説明していた。その日の宿は空港近くのホテル。遠くにヒースロー空港の籠形のレーダーアンテナが高い塔の上でくるくる回っているのが見える。テレビではそのアンテナを背景にBBC放送のニュースキャスターが実況放送をやっていた。空港内の混雑ぶりの映像を見せ,午后7時現在3の分2以上の飛行機がまだ出立できないでいる,この混乱は今後2日は続くだろうと報道していた。帰りの飛行機は時間どおり出てくれるのかなあと心配になってきた。
 帰りの状態は最初に述べたとおりであったが,日本行きはアメリカ方面より少し緩かった。とはいっても乗客は厳密に行き先別に分けられ全員靴を脱がされてボディチェックを受けた。ゲートを通過して免税店に行くと,化粧品売り場はガラガラだった。そこではブランド物が半額で手に入るという。店の方はこの時期はかきいれ時だったらしくがっかりしていた様子だった。

目標 目的        小林 金吾

 此の世に産声をあげて,もの心を覚える幼な心どきより,人生の基礎的知識の学業を終えて。
 志向目標も紆余曲折しながら就職もしたが無常なる世情を感じつつ目標達成に努力して来たはずだが,耐える気概がなく「ぐうたら性」が芽を出し,就職十年前後で修業先を何回か変える駄々っ子は,母性が忘性化した誘導者の少子家庭に発生率が大であるように思える。
 辛い時機を耐えてさに一を加えてにする努力と母性的指導者が必要では?……
 目標を計画すれば「寝ても覚めても」のことわざじゃないが,日々思考すれば……自己の全知全能が生々流転してやる気細胞が各基幹に指令してやる気構えを起こさせ目標達成への寄与率は大であるが。
 自己信念の不足と時代世情に対する不平不満が計画を足踏みをして居るご仁も居られるが。
 例えば家の新築するにしてもその気構えが準備出来て建ち上るもので,目的の新築ができれば達成に対する感謝披露宴などを。また自動車等を購入すれば神社に於いてお払をするであろうがそれは目的達成に対する感謝と気休めであると共に目標目的達成に対する自己優越感と驕りである。住居の氏神さんや自己先祖にご挨拶ができて居るだろうか。
 近代世情認識論者たるご仁が子供に対する自由的にして親の不干渉。勧奨者として自身も施設所入りにて自由奔放な生涯云々の御大が金はあれども○○が自由ならず煩悶の日はなぜだろう……。
 目標目的達成までの行動道中に於ける天地宇宙萬物に対する感謝報恩の欠如の結果ではと悟るべきである。
 人の目顔を見て行動,神仏は「ホッタラカシ」的ご仁をお盆先祖供養行事中に見せられたが今の世情と割り切ることもできず。
 ご先祖迎へは13日にて,先祖送りは16日の行事は所によって異なることもあるが迎え火,送り火の必要を感じない方を見受け,なんだか「ムナシク」感じたお盆月であるが。一部の人であろうとも。
 無宗教の友人葬儀の報道を思い出したが,如何に霊魂知識が無知だと見過ごしすべきではと思いつつ……。
 巻に於いては宗教的指導良書が氾濫して居るが,自身が産声を上げてからの深い縁にしに対する。お礼と感謝の真行(マコトノオコナイ)なくて知識だけでは至福への道は遠しと考えるべきではなかろうか。

                   合 掌
             結 果 子 勝 豊

自分本位に生きる 1  林 隆

  これは,2005年7月28日の二つの日記
 「自己中心的に生きる」をまとめて改題したものです。

  「最も愛情深い人間は,
     最も自己中心的な人間である」

 何かの本に書かれていた言葉です。
 ちょっと考えただけでは,何を言っているのか!という反応をしてしまいそうですが,この言葉の意味するところは深いものがあります。
 世の中全てのことを自分を中心に考える。自分がよければ何でもいい。
 でもこの「自分」というのは「自分の良心」でもあり「感情」でもあり,「魂」でもある。
 人に何か良いことをする。利他主義でも博愛主義でもなんでもない。その人が喜んでくれることが,すなわち自分の喜びにもなるから…。
 人に悪いことはできるだけしない。誰かに言われたからでも法律で禁止されているからでもない。やった後の自分の気分が悪いから…。
 娘と遊ぶ。親だからではない。娘の喜ぶ顔,笑う顔が見たいから…。
 人には嘘をつかない。嘘がいけなことだからではない。嘘をついた時の後味が嫌いだから…。
 なにかやるときは精一杯やる。中途半端では格好悪いからではない。人は関係ない。自分が納得しないから…。自分が後悔したくないから…。
 もっともっと自分本位に生きてみよう。自分を愛せずして人を愛すことはできない,とも言うではないか。
 自分を愛する。自分に正直に生きる。この瞬間も自分の,自分だけの,自分のための特別な時間…。未来に繋がる今を,自分本位に生きてみよう。
 また,この「最も愛情深い人間は……」という言葉,これは,先ごろ読んだ“The Book of Life”に書かれていた,哲学者エピクテタスの言葉,
「もしあなたが人生の最大の秘密
− あるものはあなたがコントロールできるが,あるものは出来ない −
を知っていれば,あなたは幸福になれる」に通じるものがある。
 自分がコントロールできるもの,それは「自分」以外にない。

(2に つづく)