詩画集にたたまれた愛  大西 時子

 1982年1月10日,星野富弘さんの詩画集
「四季抄 風の旅」第1刷が発行されました。
 私がその本を手にしたのはいつの事だったでしょう。苦悩や迷いを通り抜けた静かで透明な世界が絵と言葉の向こうにくっきりと見えました。

  よろこびは
  束の間のこと
  悲しみもまた
  明るさの中で見れば
  ちっぽけなかたまり
  朝の庭に
  燃えつきた線香花火の
  玉をみつけた

 この詩に添えられた花の絵は「ふうちょうそう」なかでも私の好きな詩画です。

  わたしは傷をもっている
  でも その傷のところから
  あなたのやさしさがしみてくる

 添えられた花の絵は「れんぎょう」でした。

 あれからすいぶんと歳月は流れました。
 若さのエネルギーが辛く哀しく空回りしていたあの頃,星野さんの花々がなんと美しく儚く透明に咲いていたことでしょう。
 自然の造形のなかに静かに神はやどり,あえかなやさしさや愛がこうして星野さんの打ち振るえる魂によって掴みとられてくる。

 「すべての事を,つぶやかず,疑わずにおこないなさい(ピリピ人の手紙)。」という聖書の一節が手足の自由を失った星野さん口筆の最初の一線を導いたことが序章に記されています。

詩画集の間にたたまれていたあの時と変わらぬ感動が今日の私を豊かにしてくれました。

微善を積む       近藤 隆二

 免許更新の講習会で重大事故は突然には起こらない。「ヒヤリ」「ハット」の法則があって1:29:300で1回大事故が起こるには29回小さな事故が積み重なって起きる。小さな事故が1回発生するには「ヒヤッとすること」「ハッとすること」が300回積み重なって起きると言われました。
 労働災害の発生状況を調べた米国の損害保険会社に勤務していたハインリッヒも1:29:300の法則を発見したと言われ,それは重大事故の背後には29件の中規模事故があり,さらにその背後には300件の小規模事故があるということ。これはのちに「ハインリッヒの法則」と呼ばれるようになりました。
 会社や団体の不祥事も突然には起きないと言われています。中国の古典に「善を積むの家は余りの慶びあり」「不善を積むの家には余りの殃いあり」と教訓されていて,毎日コツコツ小さな善(微善)を積むことによって大きな喜びが生まれてくる。毎日の挨拶を笑顔でする。温かい目で接する。人様の幸せを祈る。ゴミを拾う。優しい心で相手を慰安する言葉をかける等,意識を持って心掛ければ微善を積むことは毎日何百回も行える(心で思う)ことが出来ます。

天岩戸が開くとき 人は神に帰る 2
               三村 隆範

  ●日本はこれだけ豊かなのに,
   街を歩いている人の顔に笑顔がないのは
   どうしてでしょうか。

あなたは,神になろうとしていますか
       王になろうとしているのでしょうか

 裸の王様

 新しい服が大好きな王様の所に二人組の仕立屋がやって来ました。彼らは,馬鹿や愚か者には見えない不思議な布地を織ることができるというので,王様は大喜びで注文しました。仕事場にできばえを見に行った時,目の前にあるはずの布地が王様の目には見えないのです。王様はうろたえましたが,家来たちの手前,本当のことは言えず,見えもしない布地を褒めるしかなかった。家来は家来で,自分も見えないけれど,そうとは言い出せず同じように衣装を褒めそやした。
 王様は見えもしない衣装を身にまとい,街中をパレードした。見物人も馬鹿と思われないようにと同じように衣装を誉めたが,一人に子供が,
 「王様はハダカだよ!」と言った。
 子供が言った,その瞬間,周りは一瞬しんと静まりかえりましたが,
 「王様は裸だ」「王様は裸だ」という,ひそひそ声がどんどん大きくなっていきました。

 これが,王を目指す人の末路です。人間は,他人から認められよう,褒められよう,評価されようとする動物なのかもしれません。
 王様や神様になろうとは,考えてもいないと答えるでしょうが,多くの人は,いつかは王様になることを目指しているのです。人間は人から褒めてもらいたいがために,自分を良く見せようとする。それは,いい方を変えれば,王になろう。人の上に立とう。としているのではないだろうか。
 人からほめられたいとか,偉く思われたいとか,人に言ってもらわなければ,自分が偉いと思えない。真実が見えないのだろうか,いや,真実は見えている。にもかかわらず,人から褒められるとその考えに同調する,ある意味責任回避の生き方である。
 それでは一時人から褒められ幸せを感じたとしても,それがいつまでも続くわけではない。ほめられないと嬉しくない。
 日本では,普通死ねば神や仏になると思われている決して王様になるわけではない。だから生きている間に,神になろう考えておくべきである。
 神様は,それ自身尊意存在である。ですから,この身このままを喜んで生きることができる存在である。神と共にいる神であることを自覚しよう。