文化遺産を大切に   三木 信夫

 伝統文化や文化財を守る事は,大変なエネルギーと費用と人々の真摯な真心が必要です。阿波忌部氏としての伝統文化麁服(あらたえ)や文化財三木家を次の世代に受け継いでいく為の努力は,これら文化遺産を支えているという私のささやかな自負心からです。重文民家等の文化財を観光施設と同一視したり,これらの文化財で収益や入場者数などに重点を置くような「観光化」の考えが文化遺産を大切に守る事に背反します。「文化遺産から学ぶ」姿勢と心構えを,文化遺産を「教えの場」として浸透・定着させる方向へ啓発する必要があります。
 私も若い時はよく登山をしたもので,文化遺産を守る事と,山の自然を守る事は同じです。山は少人数で楽しむ所であり,常に「原生の自然を大切にする事」が原点です。「自然を学ぶ」姿勢と心構えを啓発・普及させるには,原生の自然を守る事・大切にする事が山の自然文化を守る事になります。増加したにわか登山者に対しては,行政も山を守る基本マナーを啓蒙する「しかけ」を考える必要があると思います。一例ですが,この四月16日「三木家コンサート」を開催した時には,三木家周辺に総勢五百人超の人達が集まったのですが,全員が帰った後は,ゴミ一つありませんでした。元々文化財の三木家周辺は見物者もきちんとするのですが,近くの三ツ木公園では気配りの出来る人が少ないようです。
 国や県等指定の景観地や山々は文化遺産として保存されていますが,今もパークレンジャーの方達は,観光化と自然環境のせめぎ合いの中で,あるがままの自然を大切にし,文化遺産として残す事を日夜努力されています。しかし,あるがままの自然も生態系の変化で自然を人工で守る姿にせざるを得ない場合もあるようです。これも山の自然を殺した人間にあります。山は水の源です。大切にしないと人間は滅びますよ。

この夏のイギリス   天羽 達郎

夏なれど日本の秋を思わする
     イングランドの湖水地方は

ウィンダミア湖にて

避暑の町アンブルサイトで子供達と
     あっちへうろうろこっちへうろうろ

アンブルサイトの街角で

アンブルサイトの屋並

テロ検閲靴まで脱がされ乗客は
     大混乱のヒースロー空港

液状の物の持ち込み禁じられ
     免税化粧品買う人見えず

宗教と信仰        小林 金吾

 過去に地元新聞に掲載された神仏無関係の無宗教の告別式友人葬とその賞賛と賛同者の記事を思い出しましたが。
 本意は知らないが,実施者が自己意志を遂行されたのだろうが。無知と謂うか無神経の行為いであり。そのご仁は平凡な生活のためかお陰様を知らない。無知無軌道な行いをされたもので……盛者必衰とのことわざがあるも今の生活はお陰様の結果での日常生活だろうが。つまずいて知るお陰では?……
 信じなければ宗教信仰は成り立たないが。宗教信仰で家庭破壊がおこることもありうる。そう言う方々は,悪い宗教とか,教えが,指導者がとよく言われるがご本人の解釈判断の誤りで往々にして無知のためでなく,神々やご先祖さんや周囲のお陰を悟れない。生活環境からの自己優越感と自宅に祭祀してある神,ご先祖さんのご守護を感じないで利己的行動をする方が大半であるのはなぜだろうか?……
 また今の日常生活以上に幸せを模索して居られる人々もあり。
 巷に宗教的良書も氾濫しており,書籍をひもとき頭での知識獲得し,口角泡をとばして理論論評も必要だが,それは宗教学者であり,宗教信仰とは居住地の氏神さまやご先祖さんがお世話になり縁にしの深い菩提寺さんをより深く尊崇して歩みよりてお陰様やお礼感謝行動ができて尚心酔する。
 神仏に対しての作法行動せば相乗作用によるご加護が得られるであろうが氏神さんや菩提寺を離れての行為は信仰でなく,冒涜行為であり自我エゴイスチックである。
 居住地の氏神さんを崇めると共に生地産土(ウブスナ)神さんや菩提寺ご本尊さんにご先祖さんのお鎮まりますお墓への歩みは氏神様の神威を高めると共にご先祖の霊位を高めるもので。
 人間としての「心なおし」であり,心の持ち方や考え方から行動が変わり行動が変われば態度が変わり姿勢や習慣が変わり,人格,人生が変わり,環境が変わり運命が開かれるので,信仰にもルールがあり真行(マコトニオコナウ)に,替える心なおしである。

                   合 掌
             結 果 子 勝 豊

仏 法 僧       近藤 隆二

 仏教の教えに「三宝に帰依する」重要さを説かれてあります。三宝とは仏,法,僧のことにて仏はお釈迦様,法は仏法のこと,僧は仏法を伝達する僧侶のこと,仏教を信仰する人々は仏である釈迦を尊敬して,法を研究実行して僧侶を大切にして服従していく,優先順位が仏法僧の順に重きを置くことが大切であると教えて頂きました。
 生涯学習の先駆者廣池千九郎博士も最高道徳実行者は仏教の三宝(仏法僧)の教えを引用され,仏とは精神伝統のこと,法とは天地の法則であるモラロジーのこと,僧とは教えを取次ぐ講師,当番者のこと,にて一番重要なのは精神伝統を尊重すること,その心でモラロジーの教えを伝達する道徳科学の論文(8冊目)に菩薩と羅漢のことが詳しく説かれて,円満な人相の菩薩と険しい相の羅漢に人相がわかれたのは日常精神伝統を尊重しているか否かによっていわゆる自力修業か他力修業かによって人相及び運命までもわかれてくるとのこと。