ピ ピ ピッ!!な日   西山 欣子

2006.11.13
 今日はちょっとピピピッ!!な日だったデス。
 机の上の片付けをしていて,ある取引先からの請求書を手に持ったとたん,その取引先の人からの電話が鳴ったり・・・。
 お友だちからいただいたお菓子を食べようと口に入れようとした瞬間に,そのお友だちからの携帯メールが届いたり・・・。
 知り合いとの会話で,長男は元気にしてますか?って聞かれた時に,ちょうど長男からの携帯メールが鳴ったり・・・。
 不思議とタイミングが合うというか・・・。
 たま〜にこんなことってありますよね〜〜。

天岩戸が開くとき 人は神に帰る 5
               三村 隆範

 お釈迦様が生まれた時,
 天上天下唯我独尊
 三界皆苦吾当安之
『修行本起経』
と言われたそうです。 過去・現在・未来は苦でも,お釈迦様は,人間として生まれてきたからこそ,天上天下唯我独尊と言えたのです。
 ある教えに
「人身受け難し,今すでに受く。・・・この身今生に向かって度せずんば,更に何れの生に向かってかこの身を度せん。」と書かれていました。
 誰もが,今こうしてこの世に生まれているのです。生きているには違いありませんし,他の生物と同じように生きてはいます。しかし,それぞれは人間として生まれてきたのです。人間に生まれてきたからこそ「生」を謳歌できるのです。
 阿波では
・・踊る阿呆に 見る阿呆
  同じ阿呆なら 踊らな ソン ソン・・・
と聞いています。文章のまま理解すれば,踊ることをすすめているように読めますが,それにしても,踊っている人と見ている人のどこが同じ阿呆でしょうか?
 私には,
 人間として生まれて,人間として生きている人
 人間として生まれて,人間として生きてない人
 同じ人間なら
 人として生きてなきゃ〜 ソンソン
 と唄っているように思えてなりません。
 快・不快は他の生物にもあるでしょうが,愉快に暮らせるのは,人間だけです。他の生物は生きて楽しく暮らしているように見えますが,一生懸命に生きているだけで,楽しく暮らしているのは人間だけでしょう。
 生きることを楽しむ意識を持てるのは,人間だけです。しかも,自由は誰もが自由を得ていますから,生を謳歌できるのです。
 心は,自由で無限で使うほど強くなります。

 人間に生まれたのですから
 楽しく暮らさなきゃ〜ソンソン

 人間が楽しく暮らすことは,神様が喜ばれることです。あなた喜ぶと神様も喜ばれるのです。