巨大な力     森山 義秀(二本棒)

という題ですが,地震や火山活動の話ではありません。極限状態で人をあと押しする精神力についてのおはなし 旧聞に属するはなしで恐縮ですが,W杯一次リーグ。ブラジルの選手は試合の直前,ロッカールームで全員が肩を組んで気勢をあげた。試合に協力し,全力でのぞむこと。そうすれば勝利はわれわれの頭上に輝く,と唄い,「アーメン」で締めくくった 国際試合では,貧困が選手を強くしているという意見を耳にする。有名なスポーツ選手になって,おいしいものを腹一杯食べたい。立派な家に両親を住ませてやりたい。空腹が原材料であるハングリー精神は,飽食日本では育たない,と 戦後60年余がたち,個人の権利を主張しつづけてきたあまり己(おのれ)が自我に没入していることにも気付かないまま「虚構のハッピー」の中で暮らしている。反省をわすれ,謙虚さや勤勉も尊ばなくなってしまった 「国家のために戦う」チームだけが国際試合で栄冠を手にすることができる。長野五輪スピードスケート女子五百メートルの銅メダリストの岡崎朋美さんは,「外国勢力の気合の入り方は全然違う。日本の選手はどこかメダルを取ればいいという感じがあるが,海外の選手たちは,本当に金メダルしか考えていない」(平成18年6月14日産経新聞)。巨大な力は,やはりあるのだ。

食文化の違い     相原 雄二

 しばらくぶりに妻の里である韓国,巨済島(クーゼイトウ)へ里帰りしてまいりました。
 目的は母に,娘である妻と,孫である子供に会ってもらい安心と満足をしてもらうためです。親孝行のつもりで帰ったのですが,韓国より日本に帰り無事に着いた電話の向こうより母が「おまえたちが帰って来る前より,それ以上に淋しくなったよ」と妻が耳にしたのを聞くと,親というものは子供が幾つになっても心配をして子を思っているのだと目に熱いものを感じました。
 それと妻と仲良しの姪の結婚式に参列することでした。私にとって韓国の結婚式に出席するのは初めての経験です。その意味で関心を持って望みました。思っていたより簡素な挙式で,牧師様の前でお誓いをし,司会者(ホテル側のプロ)が淡々と進行され,約1時間弱で式が閉じました。服装も民族衣装で挙げるのかと想像していましたが,ご両家の親族のみチマチョゴリで新郎新婦も日本同じくモーニングとウエディングドレスでした。
 両国とも一(いっ)ときの豪華版の披露宴が少なくなり質素な個性的な式が多くなっているようです。とにかくにも新郎新婦のお幸せをお祈りいたしました。ところで何と言っても食事(宴会)テーブルの上をみると韓国料理のオンパレード。見るだけで楽しくなるほどたくさんの料理でテーブルをうめつくします。
 そこで韓国といえば焼肉とキムチですが,骨付きカルビではなく何と骨付き刺身なるものを口にされたことがあるでしょうか。刺身と言えば魚肉などを生のまま刺身庖丁で薄く細く切って醤油に山葵(わさび)というのが常道(じょうどう)の食べ方と信じていました。今回その刺身に骨の付いた御造りを味噌(マクチャン)を付けていただきました。好き嫌いのない私ですが,この骨付き刺身は食文化の違いを教えてくれた一つになりそうです。

八桙神社   新居バイオ 新居 洋子

 阿南市長生町にある八桙神社に,たびたびお参りするようになりました。八桙神社のおみくじが,どこにでもないようなおみくじだからです。
 1日目,しっかりお賽銭を入れて,引かせていただくと,大吉と出ました。
 2日目,しっかりお賽銭,また大吉・・・
 次は吉・半吉・・・等々
 ココは良いものしか出ないのだと思い込んで,本当に大吉が出て欲しい時,お参りに行きました。
 凶と出ました。ウッソウー・・・
 では,もう一度・・・
 またもや凶が出て,ウッソウー。いよいよ大凶です。
 では,もう一度・・・半吉と出ました。
 “足を運べば,願わずとも守べし。”
という半吉のお言葉に,ハッとして,本当に有り難い気持ちになりました。今の自分に感謝の気持ちのみを申し上げれば良いのだ。と言うことを気がつかされました。

神や御仏の力     月岡 功

 宗教に熱心に帰依しているわけではない。布教者や伝道者でもない。家の宗教はあるが,強いて言えば宗教無関心者である。
 しかし,色々なニュースや世の中の営みを見ていると宗教というものは,社会に大きな影響を与えていることがわかる。
 例えば16〜17世紀のヨーロッパにおいてカトリックとプロテスタントの対立から長期にわたって宗教戦争が戦われたことがあった。
 わが地方においても色々な宗教が存在する。仏教,神道,キリスト教などがあり,信者は仏教が多いようだ。また,仏教は真言宗,浄土宗,浄土真宗,日蓮宗,天台宗など多くの宗派に分かれている。
 現在,宗派違うから宗教が違うからという理由での揉め事は聞かない。これは宗教の教義や国民性や社会の進歩によって生活上の宗教の比重が低下したことなどによるものと思われる。
 しかしながら,宗教は社会や生活に今なお大きな影響を与え続けている。
 人が宗教にかかわりを持つきっかけでは,両親がそうだったから,家がそうだったからというのが最も多いのではなかろうか。
 個人の宗教というよりも家の宗教あるいは一族の宗教という色彩が濃い。個人で熱心に信心しておられる方も多いが一種の町内会のような感覚で入る人が多いのも現実である。
 個人の思想,信条を固めて生き方を示すという役割よりも一家一族を何かの折に集合させる核,あるいは一家一族のアイデンティの表象としての宗教という一面があるようにも思う。

モネの家