我が輩はコンパクト電子辞書である
                三木 信夫

 我が輩はコンパクト電子辞書である。初めて今のご主人様にお仕えしてもう5年以上にもなる。ご主人様は,私に赤い絹の紐で銀のフクロウの根付を付けてくれたのが,私は非常に気にいっている。
 私の頭には「第5版広辞苑・新英和中辞典・新和英中辞典・漢字源・パーソナルカタカナ語辞典・電卓」が詰まっていて,電池という物で働くのである。
 私は,ご主人様が家にいる時はいつも身近なところに鎮座しており,外出の時は必ずバッグに収まってご主人様と一緒に出かけるので,いつもご主人様を観察している。
 ご主人様は,文章を書く時,本や新聞を読む時,疑問に思った時等私をすぐ開いて,ローマ字入力で語意や漢字を調べたり,漢字の読みを調べたりする。しかし,ご主人様は時々私が記憶していない漢字を検索するのでご主人様にすまなく思っている。又,カタカナ語は,新しい語彙が追加記憶されていないので,これだけは私もやむを得ない。
 ご主人様は,のんびりしている様で,なかなか毎日忙しい日々を過ごしている中でも,毎月15日締切の「阿波風」原稿が,いつも月末近くにならないと出来ないのは,ご主人様の性格によるものかもしれない。しかし,気が乗るとワープロかパソコンで食事もそこそこに一日中にらめっこしている。その時ご主人様は,時々私の記憶を参考に語彙をチェックするのである。
 ご主人様が疑問に思った時は,すぐ私を使用するので,これだけ頻繁に私を使用するご主人様に仕えている事に感謝している。

率川阿波神社と白鳥神社
               天羽 達郎

 奈良の率川阿波神社に本年1月28日三村さん野口さんと共に訪れた。そこの神職さんが交代したため,新任の方にご挨拶を兼ねてのことだった。
 神職さんは本社の大神(おおみわ)神社へ出かけられていて留守だった。奥様が私達に会って下さった。香川県の白鳥神社のご令嬢でこちらへ嫁入りされたのだそうだ。そこで白鳥はたしか『しろとり』と読むのではと尋ねたところ,そうだとのこと。
 私はその白鳥出身で帆船日本丸船長だった橋本進という人と親しいのだと告げると,白鳥に住んで居る人はほとんどが橋本姓だとおっしゃった。へぇーという感じだった。
 徳島の気延山付近には,天孫降臨の時付き添って降りてきた久米族の子孫の久米姓が全国一多い所で,白鳥の橋本姓もなにか謂われがあるのかなあと思った。因みに白鳥の名は日本武尊が死んで白い鳥に成り飛び立ち,その地に舞い降りたため付いたという。

自己創生        小林 金吾

 日本開闢の「トビラ」は手力男命によって「ヒラカレ」たるも,日本各地に鎮座まします神々様は神威。意向を萬遍なく降りそそがれて居られるも。その道筋に自からが,歩み,立ち寄らなければ神々様の神意が授受できるものではない。
 神々の神威,意向は「よろず人」の「しあわせ」を求めて居られるものであるが?
 神が授けた神威が留まり,ご偉効を発揮できる雰囲気場所を構えねばならないだろう。
 神社に参拝し,柏手,拍手,拝礼はその人の意中だが,神前に参拝する人はお礼感謝か,お願い事とに分かれるが?
 帽子をかぶったまま,首巻きをして,手袋を着けたままの人々をよく見掛けるが,特にご婦人が多くみられる。場所によって,アドバイスをすれば,自ら気付き礼を言われる方と。
 人間の装身具として平然として居られる人もおるが,日々平凡な生活をされて居られる方達だろうか? 後日お気付きになったら,手遅れとの言葉があるが? 人ごとでなく自が心せねばとの思いを「アラタ」にと考えねば?
 神々様も神威に基き,それなりのお役目をお持ちになって鎮座されて居るもので。
 参拝する人が何処の神々も同じと自分本意に考えて拍手参拝されても,見当違いもありますから。例えば家のお荒神さん(三桂さん)は「カマド」の神々であることを知らぬお方も多く……。家内安全,商売繁盛と現世利益をお願いしても見当違いであります。
 私達は現在結果の生活であると共に,又原因を残して居る生活でもあるを悟らなければ事後の生活に伸展は生じないだろう。

                   合掌
                結果子 勝豊

美の語義字義について
        天香具山神社宮司 橘 豊咲

 【1】うつくしい。〔ア〕見た目にきれいである。「美人,美女,美麗,華美,優美」〔イ〕よい。りっぱな。「美風,美談,美徳,善美」【2】おいしい。うまい。「美酒。美味」【3】ほめる。よいとする。「賛美,賞美」【4】哲。感性と理性の調和した純粋な感情をおこすもの。「美学,美意識,真善美」美は【1】美しいこと,きれいなこと「人工の美」【2】りっぱなこと。ほめるべきこと。「有終の美」旺文社国語辞典より引用。日本列島の海岸線は3万4千キロと言う。
 沿岸の風景は素より,海川山野,植物等の「森羅万象」を言うのであるから,環境が充分で無い場合,美しい,と眞から言えないと思う。美しいと言うと,大方の国民は先何を思うのか。綺麗な山容,自生の草花,植物の群落が存在しても環境が悪ければ,世界遺産として認定されないと思う所似である。
 名山で有っても,中腹から頂上にかけて,眼に見えない場所から異臭がすれば,その原因を見極め,周辺の整備を国として考えないと,世界に誇る霊峰と言えないと思うのである。要は,登山者の生理現象の処理設備が不充分で,高山であるが故に難しい問題である。過去において,神職の実務の勉強として二週間,富士山の吉田口の頂上に久須志(くすし)神社があって,社務所で宿泊して体験した事が思い出されるのである。又加賀の白山の頂上の社務所で三週間,神職としての勤務の経験,体験をしたのであるが,高山植物の種類が豊富であって,雷鳥も間近に眺めることができ,黒百合の花が登山道で多く見かけたりするが,要は手洗場の問題が此処でも生じているのである。日本は美しい。美(うま)し国と賞讃しても,反面,裏側を覗くと眼をおおいたくなる場所がある。阿は阿波の国の略称で,倭(わ)は旧国名の一つで,中国から見た日本の古称である。
 美(うま)し国,美(うま)しところの良きところ。神社神道の祝詞(のりと)の中にも,その言葉が用いられています。政治家及国民が,美(うま)し国の住民として,日本国の,日本列島の隅隅(くまぐま)の森羅万象が,評価される眞の美(うま)し国として,何時の日に海外からも瞠目(どうもく)されるように,この阿波風を通して,国民の一人でも多く,広い意味の美について意識してほしいと提言するものである。