忌部の話 二 「史料と役割」
               尾野 益大

 「忌部」と書かれた史料は豊富にある。
 正倉院御物の絹織物「(あしぎぬ)」(732年)や平城宮から出土した木簡の墨書名のほか,「続日本記」(768年),「古語拾遺」(807年),「日本霊異記」(822年ごろ),「延喜式神名帳」(927年),「和名類聚抄」(935年)などの書物に見られる。
 史料によると,忌部は阿波以外の地方にもいたことが分かるが,阿波忌部の役割は大嘗祭で神衣(かむそ)として神座にまつられる「荒妙」(あらたえ)を貢進することにある。これは「貞観儀式」(859年)と「延喜式」に規定されている。
 現在,荒妙貢進を担っているのが美馬市木屋平貢の阿波忌部末裔,三木家。三木家文書をみると,過去に亀山(1260年),後伏見(1298年),花園(1309年),後醍醐(1318年),光厳院(1332年),光明院(1338年)の各天皇の大嘗祭で役割を果たしている。その後,大正天皇の大嘗祭から復活して昭和天皇,今上天皇のときにも荒妙を貢進した。
 三木家からの荒妙貢進が一時途絶えた理由は南北朝の動乱などにあったという。そのほか,阿波忌部が荒妙を貢進した記録は「古語拾遺」に平城天皇まで,「小右記」に三条天皇(1012年),「山槐記」に後鳥羽天皇(1184年),「三長記」に順徳天皇(1211年),と記された史料がある。
 ただ,それらは阿波忌部と書かれているだけで,三木家以外の忌部が荒妙を貢進したと記した史料は残っていない。大正天皇の大嘗祭で三木家による荒妙貢進が復活したのは,史実を書き留めた三木家文書が根拠になったからだった。
 他の地方の忌部で,何らかの史料を根拠として現在も引き継いでいる役割はないのではないか。忌部は徐々に中臣に排除されたが大嘗祭の奉仕だけは阿波忌部が続けている。
 阿波忌部と荒妙貢進とのかかわりは,日本最古の歴史書「古事記」と「日本書紀」の天岩戸神話で忌部が祭祀の場面で登場する内容に由来すると考えられる。
 その内容を色濃く残した役割が阿波忌部の役割ではないか。阿波忌部は「阿波」という地方の名が付いてはいるが,明らかに忌部の中で最も重要な位置にあり,荒妙の貢進は忌部の象徴ともいえる。

すえドン♪の四方山話        須恵 泰正
鳴門市大井食堂の「鳴ちゅるうどん」♪

 今日は,徳島県鳴門市にあるギャラリ−喫茶「ドクターエンド−」に行ってきました♪
 「青春18きっぷ」があと3日分残っていたので,JRを使って鳴門まで行きます(^ ^ ;!!
 鳴門駅には午前11時44分に到着します。
 「ドクターエンド−鳴門店」までは鳴門駅から歩いて10分ちょっとですが,その前に昼食を食べてきました♪
 徳島では最近ブームになっている「鳴門うどん」通称「鳴ちゅる」です(*⌒▽⌒*)♪ 鳴門市の中心商店街の「大道銀天街」から少し入ったところに「大井食堂」はありました!! ちっちゃなお店ですが,ひっきりなしにお客がやって来ます!!
 メニューは,「うどん300円」「うどん玉子入り350円」「うどん竹輪入り400円」と,「うどん大400円」「うどん玉子入り大750円」「うどん竹輪入り大800円」しかありませんでした(^_^)~♪ 注文したのは「うどん玉子入り大」の750円です!!
 うどんの麺は短くて平たく,「さぬきうどん」の切れっぱしばかりが入ったみたいな感じです(爆笑)!!
 やわらかい麺はやさしくて,つゆとの相性も抜群です(*⌒▽⌒*)♪ 上に乗っている揚げこれまた美味しくて,麺も短いので皆さんひたすら「ちゅるちゅる」とうどんをすすり続けています!!
 いゃ〜美味しい!!
 食欲がなくてもこの「鳴ちゅるうどん」なら,たちまちおなかの中へ「ちゅるちゅる」です(爆笑)!!
 午前10時に開店して,午後1時半には売り切れてしまうという「大井食堂」の「鳴ちゅるうどん」!!
 ブログを書いててまた食べたくなりました(*⌒▽⌒*)♪

ひゃぁ〜〜〜(ノД・)アチャー
             hana♪ 出越 恵子

昨年の12月の26日に四国放送さんから似顔絵展の取材の話をいただいた。
ひゃぁ〜・・・・ヾ(´д`*)
びっくりっヽ(*´Д`*)ノ
hanaとってもあがり症な為,誰にも言わずにだまってました。。。(*^ω^)ゞ
実はその日からちょっと緊張・・・(*^ω^)ゞ
どんだけあがるねん!(*^ω^)ゞって感じ。。。
昨日は朝10:00から打ち合わせに行ってました☆
この日もドキドキ・・・(ノД・)アチャー

わぁ。。。生の八幡さんだっヽ(*´Д`*)ノ
サインサインヾ(´д`*)
今日は撮影日で2時半から四季ガーデンさんにお邪魔していました。
朝からドキドキ・・(ノД・)アチャー
かわいい安部さんにも会えたっヽ(*´Д`*)ノ
お目目パチクリのかなりの美人だ☆
実は会いたかったのだったっヽ(*´Д`*)ノ
何を言おうか頭の中で整理していたんだけど・・・
すっとんでしまった・・・(ノД・)アチャー
何か意味不明だし・・・(o・ω・o?)
肝心な言いたいことをすっかり飛ばしてる…(ノД・)アチャー
しかも,言葉足りてない・・・ヾ(´д`*)
とちくってばかりで緊張してしまった。。。
一度白くなると全部白くなる・・・(o・ω・o?)
すみません・・・ヾ(´д`*)
八幡さん,安部さん,カメラマンさん,照明さん☆
お世話になりましたっヾ(´д`*)
しかも,何を言ったかさえ覚えてないし。。。
余裕のないhanaであった・・・
あぁ・・・余裕なさすぎ・・・
人前であがらない方法ってないのかなぁ。。。ヾ(´д`*)
180度別人の?借りてきたhana・・・ヾ(´д`*)
素人さんで何気にテレビで受け答えしている人をみるとすごいなぁ。。。といつも思ってしまう。
ううっヾ(´д`*)
チャレンジさせてもらったので○としとこうか。。。

「思い」のよき連鎖 大西 時子


 阿波踊り「古事記古古道 天渦女連」が立ち上がり,今着々と準備が進められております。
 阿波と古事記研究会とのご縁は昨年一月。イラスト作品展を機にイラストやデザインを通じてイベントのお手伝いをさせていただいておりました。
 歴史,ましてや古事記内容に疎いさすがの私のなかにも読みかじり聞きかじりの付け焼き刃的知識が少しずつ増え,だんだんと興味が膨らみ関心が高まってまいりました。
 次々と繰り広げられる「古事記古古道の会」のイベントに仕事を通じて興奮とともに参加させていただきました。
 昨年9月 意気軒昂と「踊り連立ち上げ」宣言をしてしまったのは,自然の流れであったと思います。ひとつ連長というお役目を担う以外はまさに心躍るワクワク企画でした。
 実行委員会のお歴々のなかで私はといえば微力をもって連の鳴りもの・踊り練習場確保,指導者の擁立,本番に向けての練習などに動かなければならないという脅迫的自縄自縛の念に踊りの神髄「日常をもって躍る心」を忘れた日々が続いたのでした。
 発信すれば必ず朗報が届く,凶報は吉報。
 協力者が次々と名乗りをあげてくださり,思いとそれを乗せた行動がまさに夢を手中に届けてくれることを身を持って感じ,一時期渦巻いた私の中の暗雲を今,忸怩たる思いで眺めております。
 4月30日「天照大御神ご生誕地祭」踊り奉納を皮切りに阿南市夏祭り,阿波踊り本番鳴門・徳島踊り込みなどの行事を控えまだまだ大半の準備が未完のまま残っておりますがやっと連長としての肚を僅かながら鍛え,なんとか実行委員会の皆様と足並みを揃え進む事ができるのではと反省とともに感じております。
 皆様とご一緒に「躍るこころ」をもって準備,活動,本番を楽しみ,また「思い」のよき連鎖のなかでさらなる人生が歩めます事を願っております。