九州の重文民家を訪ねて(2) 三木 信夫
山口(やまぐち)家 十九世紀後半の建物で,筑後川河口近くの干拓地にある「漏斗(じょうご)造りの家」で,棟の左右の端に馬の耳のような飾りがあり,日本民家の中でも最も特徴的なロ型寄棟造りの茅葺屋根の農家です。棟を四方に廻すので棟より内側は漏斗のようになっていまが,説明版を読まないと外見では見えないのでわかりませんでした。雨水は中央より土間上部を通って西面の軒下まで続く瓦製の大樋で排水される仕組でした。 旧川打(かわうち)家 十八世紀前半の建物で,コ型寄棟造り茅葺の農家で,初期の「くど造り」の家です。 (つづく) |
火防(ひぶせ)の神 秋葉神社について
天香具山神社宮司 橘 豊咲 阿波風28号に橋本さんの,秋葉神社の御利益についての文章を拝読いたしました。 |
硫黄島(1) 天羽 達郎
今年の2月中旬,クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』を見た。米軍の艦砲射撃で島の形が変わってしまったという周囲わずか22キロの小さな島での話だ。今次大戦の最激戦地で米兵1人が1メートル進むのに2トン近くの弾薬が投入されたという。日本軍は全延長18キロの穴を掘り,水も無ければ食料も無く,地熱で暑い中を戦った。米軍最強のマリーン部隊が3倍の兵力で4日で陥すつもりが36日もかかった。しかも死傷者の数は米軍の方が多かった。米軍は焦っていた,サイパンを出撃した爆撃機が零戦に撃墜されるので,足の短い護衛戦闘機は硫黄島から飛ばす必要があったのだ。 (つづく) |
忌部の話 四 「遺跡と遺物 その一」
尾野 益大 三好,細川時代の中世,蜂須賀時代の近世だけではなく,阿波徳島は,古代から海を渡る優れた能力,技術,情報を持っていた。 |