のように生かされて
- 詩画に込められた想い -
星野富弘さんの本を見て
               橋本 節子

 今日,徳島店に4月より新しく日本バプテスト連盟徳島キリスト教会の牧師さん石渡修司さんが赴任される事と成り,そのご挨拶に来て下さいました。
 その折「よろしかったら何冊か置かせていただけますか」と本をいただきました。
 すぐ手に取って見せていただき,最も心に残ったのがこの詩画でした。
 ポカポカ陽気の桃の花の中,ポチャっと太った御婦人が,笑った瞬間にカチャっと入れ歯が落ちてしまったのどかな風景がふっと浮かんで来て,思わず笑ってしまいました。
 始めはどうすればこんなに優しくて柔らかで鮮やかな絵が描けるのかとそればかり考えていました。
 何度も見ていると,絵ピッタリの詩とその字体が調和して,まるでハーモニーを奏でているかのように感じ始めました。
 ハーモニーはスーっと心地良く流れ込んで来て,私の心をなごませてくれました。
 富弘さん! 人間ってどんな時でも今を十分に楽しめる心を持っているんですね。そしてどんな些細な事にも喜べる心を持っているんですね。
 そんな事を気づかせてくれた富弘さんのすごい存在に一番感動しました。
 ありがとう!!

母の誕生日        平 澄子

 4月1日は母の89才の誕生日です。
 私の子供の頃の記憶と言えば,いつも母は働いていました。そして常に口やかましかったです。いつも私達姉妹はビクビクしていました。
 ところがもう何年も前から何にも言わなくなりました。ホントにかわいいばあちゃんです。あの元気はどこへ行ったのでしょう。昔のように怒られたり,又,おしゃべりしてみたいです。
 お母さんお誕生日おめでとう。ますますお元気で。佐賀の「がばいばあちゃん」とまではいかないけど,私達にとってはたった一人のお母さんです。

天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 9
 幸せってなんだろう
  三村 隆範

 幸せって何だろう?
 お金や物や健康があれば幸せになると思っているが,とんでもない思い違いだ。
 お金や物や健康があって幸せに暮らせない人は,たくさんいる。
 幸せって何だろう?
 お金や物や健康があっても幸せと思えないのは,満足することができ無いからだ。お金や物や健康があれば幸せになると思い,それを獲得するために努力する。そして,それを得ているにも関わらず幸せにならない。
 あっても無かっても,満足感があるなら,それで幸せだ。
 満足感を得るために,お金や物や健康をあさっているのに,無くても満足感を持てといわれても,それを理解することは難しいかも知れない。
 満足感があれば,その時点で幸せになっている。しかし,その満足感が消えると,また,あさる。つまり多くの場合は,何かを得るために努力を重ねている。しかし,得ていても満足しない。
 だから,そんなことに努力するより,今を受け入れ,今の状態を満足することに気持ちを向ければ,幸せは簡単に,すぐ幸せが手に入る。昔からいわれている「足を知る」だ。
 「足を知る」と選択肢が広がる。つまり自由の度合いが広がる。選択肢が狭まると自由の度合いが減る。「足を知る」ことは,「すべてを良し」と認めることでもある。
 頭の中で,「すべてを良し」と認めることができたとしても,実生活では,そう思えないことが,山ほど出てくる。
 「何でこんな事を,良し」と思えるのか?
思えない方が多いに決まっている。思えないから悩み苦しみだし,望むことが起こるように願う。
起こったことが「良し」と思えない。しかし,望むことが起こらなくても「良し」と思える方法はある。心が開放され自由度が高まると,幸せがそこにあることが感じられるようになる。
 天の岩戸が開く時,人は,
  ・・踊る阿呆に 見る阿呆
     同じ阿呆なら 踊らな ソン ソン・・・
 と踊りだす。