九州の重文民家を訪ねて(3)
三木 信夫 旧境(さかい)家 肥後民家村に移築されたもので,文政十三年(一八三〇年)の建物で,正面は何の変哲もない寄棟造りに見えますが,裏は後谷型の二つの家系のコ型寄棟造り茅葺の農家で,先に説明しました旧川打家のような造りです。 旧矢羽田(やわた)家 日田市ふるさと資料館横に移築されていますが,十九世紀初めの建物で,屋根の形に特徴があり,前谷型の二つ家系の家で,上手に角屋(つのや)の座敷があるコ型寄棟造りで茅・杉皮葺の農家です。屋根は茅葺に見えましたがよく見ると杉皮葺でした。 行徳(ぎょうとく)家 天保十三年(一八四二年)の建物で,正面に瓦葺玄関を構えた鍵屋形式の家屋で,茅葺の大屋根はL型寄棟造り,桟瓦葺の庇や下屋がある医師の家です。江戸時代の玄関は,格式を表現した構えで,家族以外の特定の人が出入りするところで,庄屋等を除けば一般の民家にはありませんでした。 (つづく) |
硫黄島(2) 天羽 達郎
午後10時過ぎに船から無線が入った。『水を飲みたいと言っているが飲ませて良いか』これは死ぬなと思ったので飲ませてやれと伝えた。間もなく死んだ。それで沙汰止みとなったが,翌日都庁より院長を通じて謝辞が伝えられた。行かなかったので別に謝辞なんかいらないのになと思ったが,上司で古参の医師が『ありがたく頂いておけ』といった。要するに引き受けたという事実が大事なんで都庁はこれで面子が立ったことになるんだよ,役所とはそういう所だよと。へえ〜そんなものかなあと何となく納得したような気になった。 (完) |
南浦三社の祈年祭奉仕について
天香具山神社宮司 橘 豊咲 平成19年弥生(やよい)11日,香具山地区南浦町三社の祈年祭執行の日で,私が14社の宮司に就任してから12年目,祈年祭は11回目を奉仕して感慨無量の心境でした。今年は暖冬で一回の降雪もなく,当日は前日より低温で高齢故貼るカイロで奉仕しました。 「薮(やぶ)静寂(しじま) 祝(はふり)の緊張(きんちょう) 浅き春」 「ゴム草履(ぞうり) はく神主(かんぬし)の 俯(うつむ)きて 「皇御祖(すめみおや) 古代に坐(ま)しし 狭(せま)き室(むろ) |
すべての思いを家族に 32
嫁から学ぶ 田上 豊 嫁は,滋賀県から嫁いできました。現在三人の男の子に恵まれています。当家にとっては孫の誕生は喜びの他有りません。 |