九州の重文民家を訪ねて(4)
                三木 信夫

 神尾(かみお)家

 明和八年(一七七一年)の建築で,平面の形に従って四つの棟が雁行型になっています。
 屋根は折れ曲り寄棟造りの茅葺で,屋根勾配がきつく,葺きおろした軒先全体がそろった端整な農家ですが,内部は床・天井等竹材を徹底して多用している建物でした。
 居住は道路を挟んだすぐ隣の別棟です。

 永沼(ながぬま)家

 天保十一年(一八四〇年)の建築で,書院造りの手法による端正な接客座敷があり,入母屋造り茅葺の直屋(すごや)で,中の間の前に式台を設けている規模の大きな庄屋の家です。当家は代々庄屋を勤め,また近隣十五か村の大庄屋を勤めた事もある旧家です。
 現在住居は別ですが,当日は遠路わざわざ当主ご夫妻で説明とおもてなし頂きました。

 (注)民家の説明は,それぞれの民家で戴いた各教育委員会等作成の資料を参考にしました。

(完)

お好み焼き      天羽 達郎

 大阪で開催されし外科学会
     多くの仲間とやあやあやあやあ

 吉兆のお好み焼きに行列が
     さすが大阪立食パーティ

 天鈿女命(あめのうずめのみこと)と阿波踊り
        天香具山神社宮司 橘 豊咲

 平成19年卯月30日,阿波古事記研究会の皆様,阿南市見能林町の皆様,延(ひ)いては,記紀に関心のある方々の,待ちに待った日で,何(ど)うか良いお天気になりますように,天(あま)つ神に祈願をこめる気持ちで当日を迎えられた事と思います。特に主催者側の皆様には安堵の胸を撫で下ろした事と推察しました。老若男女を問わず一時(いっとき)の間,楽しみながら見能林の大路を,和やかに楽しみながら踊りに酔って,観る人達も祭場の賀志波比売神社から,餅まきの社の境内までゆっくり移動をはじめて,誰しも踊りたい衝動に駆られた様に感じました。踊り餅まき等のイベントで境内の隅々まで,大勢の観衆に満ち溢れる程で,大和の祝(はふり)も人の熱気が伝わって右往左往した次第です。
 天照皇大神様の神霊が,天岩戸から俗界を覗かれて,天鈿女命(あめのうずめのみこと)が薄物(うすもの)の衣類を身にまとって表情も艶やかに色っぽく踊る様を楽しく見そなはれて,暗黒の世界が忽(たちま)ち明るくなった状況が神話の記述のように,脳裡(のうり)に閃(ひらめ)く心境でした。来(きた)る来年の長月の頃の,美馬市での祭典のイベントが,今から待ち遠しいと思うのは大方の考えに外ならないと思います。
 尚記紀の文字の羅列(られつ)も,勉強熱心な阿波古事記研究会の皆様の研究で,その解釈,解明と言う事で,太古の時代の事柄が判然とするのは論を待たない。阿波,大和の祝等(はふりら)も異口同音で,今後阿波各地方の祭典に参列して交誼(こうぎ)を深めたいと思考をめぐらしています。
 尚高速バスの往復共運転手が同じ人で,「やまと号」で印象に残った次第です。
 徳島県の今回誼(よし)みを交わすことのできました皆様方の,御健勝,御活躍を大和香具山の各社の祭典の折に祈念致し度,長月中に有志の皆様が,香具山山麓の各社に参拝される事を今から心待ちにしております。

 卯(う)の月に阿波の阿南の神社(かむやしろ)
     皇大神(すめおおかみ)の御陰(おかげ)蒙(こうむ)る     香林

 すべての思いを家族に 33
 孫 長男
        田上 豊

 平成十年二月十四日生まれ田上家に初孫として産まれました。私の母は曾孫が見えたと大喜びをしているのが思い出されます。
 当時,私は千葉の研修先でこの吉報に触れました。周りの研修生からも喜んでいただきました。つい最近の事のように思い出されます。
 孫長男は小学五年生になります。父親の影響でサッカーをしています。その父親をサッカーに勧めたのは私です。
 孫長男はガンバッテ練習に明け暮れています。特に試合のない日はコーチでもある父親から特訓です。休む日曜日は無いのです。日曜日は,あちらこちらのチームと試合をしています。そのお世話をする父兄達も大変です。雨の日でもサッカーの試合は続行されます。父兄の防水対策,子供達の健康対策,風邪に気を遣います。子供達は三十数名います。誰かがコンディションを崩します。コーチも父兄も気を遣うところです。
 当家の孫長男は気管支が弱くすぐに風邪を引きます。ゴールデンウイークも風邪でダウンです。休日小児科は,日赤病院しか診察していません。高熱が続いたため点滴をしました。次男,三男と次々と感染です。
 我が家の孫達は男の子ばかりです。やはり長男です。なにをするにも弟達をリードしています。皆ゲームが大好きです。二人でするゲーム時間を決めるのも長男です。
 学校生活を知る余地もありませんが,孫長男は少しおとなしい感じがしています。でも当家の期待の星なのです。

父の死       小林 常男

 阿波風の仲間の皆様,病院にお見舞に来ていただきありがとうございました。
 父,金吾は,4月21日に87才で天寿をまっとうしました。2月に検査入院し末期の胃癌が全身に転移しており余命は半年か1年ぐらいと言われました。
 本人にも自覚させ余命はお好きにといっておりましたが大正生まれの頑固な父は,亡くなる1週間前まで車で,仕事,趣味,ドクターエンドー様の仲間との談笑,菩提寺にお墓参り等と自分の思うままに過ごしたようです。
 思えば,父は,人とのふれあいが大好きで,おせっかいやきでもあり,読書(雑学?)好きでもあり,行動派でもありました。
 亡き母とは四国八十八ケ所を回り,又最近でも時間を作ってお参りをしていたようです。父は,兵隊に行き無事帰国し,この世にお役目があるうちは,生かされており,「死ぬまで元気」をモットーに大正,昭和,平成と生き抜き幸せだったと思います。
 ドクターエンドー様のご縁で仲間に入れてもらい阿波風への投稿も生きがいになっていたようですが,それもできなくなりました。
 皆様の仲間として何年か楽しく過ごさせていただきありがとうございました。
 紙面をお借りして御礼を申し上げると共に皆様のご健勝をお祈りいたします。

合掌