昭和時代の右翼の巨頭といわれた頭山満の弟子であった中村天風という人が様々な揉め事を解決しに行ったときにこのようなことを言ったらしい。
ものすごい自信である。このような自信家がその場にいて事態を把握してコトに当って居れば揉め事も発生しなかったのではないかと思われるが,現実には日和見主義が横行し,優柔不断に終始してコトを大きくしている。
われわれの周囲をみても「私がいるから大丈夫。」と言っている人,そしてそのようにコトを収めている人は少ないような気がする。名実共に「私がいるから大丈夫。」という人は貴重である。
揉め事というのは地縁,血縁など人のつながりの中で発生し,また,収まっていくものであるから揉め事の本質を的確にとらえ関係者の利益を確保できるような解決策を打ち出すことができる人であろうと思われる。
義理人情を重んじた古い日本の社会であれば通用したことが,インターネットや携帯電話が普及し,知識や経済がグローバル化,フラット化しつつある今後の社会でも通用しうるかどうかは不明である。
それでも,先行き不透明な世の中においては虚勢であったとしても「私がいるから大丈夫。」と言える人が居れば心強い限りである。
ネットビジネスなどにおいては,様々なノウハウや考え方を示して大衆を動かして成功を収めている20代の人々が大勢出現してきている。このような人々を旗頭として担いでいくかそれとも自主自立,独立独歩の道を歩むか思案の為所である。