作文 じこしょうかい    笠原 彩加

 わたしの名前は,かさはらあやかです。
 五月生まれで,けつえきがたはOがたです。せいざはふたござです。
 わたしのすきな色は水色と黒と茶色です。
 わたしのすきなくだものは,ももとさくらんぼです。
 わたしのすきな花はカーネーションとバラとひまわりです。
 今どからよろしくおねがいします。
 わたしのゆめは,学校の先生です。

ダイエット       芝山 靖二

 三年ほど前からダイエットに取り組み今一番思うことは,いくら運動しても食べ過ぎれば痩せません。
 反対に全然運動しなくても,食べ過ぎなければ痩せます。(ただしこれは最も体に悪い)
 先日仕事で二日間横浜に行ってきました。仕事と言っても,普段あまり旅行しない私にとっては,半分旅行気分です。
 旅行の楽しみは,見ること,体験すること,食べる事がありますが,私の場合食べる事,飲むことの楽しみが私の脳にインプットされています。普段節制していても旅行となると,開放感で全然だめです。
 でも知らない土地で朝早く起きて町並みを見て歩くのは好きで,この日も横浜コンチネンタルホテルに泊まり,朝5時半にホテルを出て,まず赤レンガ倉庫街,山下公園,マリンタワー,港の見える丘公園,横浜中華街,横浜スタジアム,横浜ランドマークタワーと回って,ホテルに8時過ぎに帰ってきました。そこで飲み食いをほどほどにしとけば良いのですが,それが旅行先ではできません。
 昼前まで仕事の会場を再度見て,昼過ぎに浜松町まで電車で出て,そこからまた今話題の六本木ヒルズまで,1時間ほど又歩きました。
 この日一日の歩行数は3万歩ほど,それでも家に帰って体重計に乗ると2.5キロほど増えていました。

朝市で          石渡 修司

 徳島の朝は早い。陽が出る前から動き出しています。徳島キリスト教会は昭和町公園の近くにあります。昭和町公園は犬の散歩やウォーキングの場所として多くの人が利用しています。朝早くから,そのような人達が教会の前を通っていきます。ご夫婦で歩いているのを見ると,大切な時間としていることにほほえましさを感じます。
 ある日,自転車に乗って公園に向かう人があって,いつもとは違う雰囲気を感じました。公園に行って見ると,トラックと人だかりが眼に入りました。トラックから荷が降ろされ,露店が開かれていました。青空市と染め抜かれた幟が公園の入口に立てられています。八百屋,魚屋,パン屋,果物屋,豆腐屋,花屋,卵屋,お惣菜屋が並んでいます。毎週木曜日,朝五時半から朝市が開かれていたのでした。買い物客は自転車の人もいますが,歩いて来る人が多いことから近所の人達が多いことが分かりました。
 今,気付いてみると,私達の日常の買い物が,安いこともさることながら,一ヵ所で済ますことができる便利さからスーパーに行くことが多くなり,店舗で買うことが少なくなってしまいました。そのために商売が成り立たず,シャッターを降ろした店舗を見ますが,その度に寂しさと心に傷みを感じます。
 昭和町公園の朝市は週一回二時間ほどの短時間です。そのため,客も集中してやって来ます。近所同士の顔なじみが挨拶もし,立ち話もしています。近況を話し,お互いを労わり,知人の消息を心配しているのでしょう。お互いを思いやり,助け合う精神が生きています。朝市は身体の糧を買う所であると共に心の糧を受け取る所ともなっています。朝市が続いているのは,効率優先の社会に対するささやかな憤りがあるからでしょう。徳島には人を大切にする心が生きています。

屈原をたずねて(18)   山田 善仁

 九歌の第七「河伯(かはく)」は黄河の神である。
 演唱は,神巫(男性)と祭巫(女性)が相伴って登場し,専ら祭巫が唱う。
◎女(きみ)と九河(きゅうか)(黄河の下流で禹(う)が九道に分流した所)のほとりに遊べば,風吹き起こって荒波立つ。
 水の車に乗りて荷(はす)の蓋(ほろ)つけ,両(つがい)の竜(たつ)に駕(ひ)かせて(みずち)(竜(きゅうりゅう)=水の中に住むという,角の無い竜)を驂(そえうま)とす。
 崑崙(こんろん)の山(黄河の源流)に登りて四(よも)に望(なが)むれば,心は高く揚(あ)がって果(はて)も無し。
 日は暮れんとすれども憺(こころうば)われて帰るを忘れ,遠き浦(きしべ)を惟(おも)い顧みて懐(なつ)かしむ。
 魚鱗(うろくず)の屋根に竜(たつ)の堂(たかや),紫貝(しばい)の門観(やぐら),珠(しんじゅ)の宮。
 白亀に乗り文魚(こい)を逐(お)い,霊(かみ)は何ぞ水の中に住める。(河伯の住む水中の宮殿に遊ぶ)
 女(きみ)と黄河の渚(なぎさ)に遊べば,流氷紛(おびただ)しく下り来る。
 きみは拱手(こうしゅ)の礼(両手を前に組む礼)して東に去らんとし,美人(よきひと)を南の浦(きしべ)に送らんという。
 波はとうとうと寄せ来て迎え,魚は群がって予(われ)を送れり。
 この「河伯」は,「天問」に出てくる(げい)に射られて,妻洛嬪(らくひん)(妃(ふくひ))を奪われた故事,又,「左伝」によると楚の昭王に病が有り,卜(うらな)うと黄河の祟と出たが,王は「楚の領内の山川の外は祭るべきでない」と言ったと有る。九歌の「河伯」と後に出てくる「国殤(こくしょう)」は,民間のものではなくて屈原が新たに宮廷用に創作した楽歌である事がわかる。