“人は何のために生きるのか”を知る目的で,
若かった私は片道切符を懐に世界放浪の旅に出た。
 37年も前の事だった。3年半かけ50数カ国を
旅して行き着いたのはこのスイスアルプスの麓。
 娘3人を育てあげ,ふっと肩の荷を下ろしたと
思ったら還暦を迎えていた。

  10月18日生まれ     松林 幸二郎


末娘,ついに家を出る  松林 幸二郎

 小学校入学の初日に“私は小学校の先生になる”と“宣言”して,本当に小学校の先生になった次女とは逆で,迷走に迷走を重ねた末娘が,この7月下旬,独立して我が家を出ました。誰に似たのか極めて血の気の多い,写真専門職の養成を終えながら,その職に就くことを好まず,さりとて何をしてよいか分からず悶々としていた末娘ナタリアでした。
 名古屋の日本語学校での日本語を勉強し帰国した娘に,妻が見つけた“社会人にも条件を満たすなら新発足した教育大学を開放”という新聞の記事をみせたことが発端であったことを,名士のいささか冗長な挨拶を聞きながら,ローシャハ大聖堂で行われた日本のそれとはかなり異なる教育大学の卒業式において,4年前の雪の日を思い出していました。
 目標をもった娘の頑張りようには目を見張り,成績も平均5.6(最高が6)とやれば出来るのだということを実証いたしましたが,第2の教育(Ausbildung)には,国や自治体の援助は全くなく,この1年半はずっと毎月赤字で苦しい家計でした。同級生の中には,両親が離婚していて最大限の奨学金が出て,それでもってアパート代から車の維持費まで賄えるが,両親揃っておれば,例え生活が限りなくささやかでも,借金して税金を払ってでも,第2のAusbildungでは,学費生活費は全額親の方にかかってくるのがスイスの現行の制度です。
 また,スイスの厳しい就職難(特に小学校教員,幼稚園の先生)の時代に,希望の教員職につけない生徒が大勢出てくるのを承知のうえ,なぜこんなに必要以上の教員を養成するのか,世人には理解出来ないことでした。が,一人の先生の応募に200人以上の応募者という就職難にあって,末娘にはイースターの前に30分隔てて,2カ所から採用通知が届いたのは奇跡でしかありません。
 末娘ナタリアは,この8月から,ドイツとの国境にあるクロイツリンゲン市の小学校で3年生を教え始めました。6年前に,やはり小学校の先生になった次女サマラの勤務先ロマンスホルンとは,車で15分ほどの近さで,しかも,次女も3年生の受けもちとあって,夏休みの今,二人して新学期の準備(サマラも3年生が担任)に力と知恵を振り絞っていました。
 彼女が,どれだけの人々の祈りと支援,親の必死の支えのなかで職を得たことを決して忘れず,子ども達を愛し,“日本人”としても職務を誠実に果たして欲しいと乞い願いつつ,双肩にずっしりかかっていた“重荷”を下ろした私たち夫婦の夏の出来事でした。


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