「あらたえ」とは (3)   三木 信夫

4.忌部(斎部とも記す)氏とは
 祭政一致の古代,忌部氏は中臣氏とも並ぶ大族で共に朝廷の神祭に奉仕,その宗家は天太玉命の子孫と伝え京師にあって皇室の神事に仕える。〔古語拾遺〕
 忌部氏は,祭祀官として祭祀の支度を全てまかなう体制と技術を保有。
 中臣氏は,神の言葉を人に伝え,人の言葉を神に奏する仕事。
 中央忌部氏は,神に仕える道も一種の政治(まつりごと)ということが理解できず,古代祭祀を敬虔に守り続けて,その時代の変化に対応した生き方が出来ずに衰退している。
 忌(いむ)=古語は(宗教的気持ちで)汚れを避けて身を清め慎む。
 斎(いむ)=(宗教的気持ちで)清めたの意,803年3月より使用
 忌部(齋部)とは「穢れをさけて,神聖な仕事に従事する集団」との意味

5.阿波忌部氏について
 正史である日本書紀(720)神代上・宝鏡開始の章・天岩屋戸の条に
「粟国の忌部の遠祖天日鷲命の作れる木綿(ゆう)[=白和幣(しらにぎて)]を懸け・・・」
 古語拾遺(807)には
「天日鷲命の孫が,木綿と麻(ぬさ)と織布(あらたえ)(古語で阿良多倍といふ)を造る。仍りて,天富命をして日鷲命が孫を率いて,肥饒(よ)き地を求(ま)ぎて阿波国に遣はして,穀(かじ)・麻の種を殖ゑしむ。其の裔(すえ),今彼の国に在り。大嘗(おほみにえ)の年に当たりて,木綿(ゆふ)・麻布(あらたえ)及(また)種々(くさぐさ)の物を貢(たてまつ)る。所以(このゆえ)に,郡(こほり)の名を麻殖(おゑ)と為(す)る縁(ことのもと)なり。・・・」。
 古語拾遺は,中央忌部を主に地方忌部の神々を「率いて」と記しているが従属関係はなく,日本書紀は忌部の神々を対等に記載している。
 阿波忌部は,天日鷲命を祖として主に農耕に従事し,古代より践祚大嘗祭に於ける麁服(=麻布)の貢進と由加物の調進を担い,また宮廷祭祀に使用する穀・麻・木綿等の栽培・調達を担っていた。
 安房忌部の家系によれば,中央忌部と阿波忌部祖神との親族関係が記されている。
 阿波忌部は,23基の忌部山古墳群から推定して,6世紀半ばに阿波に出現と云われていたが,相次いで鳴門市で日本最古の萩原2号墳や西山谷2号墳の発見など大麻山地域の古墳群から推定して,阿波忌部は3世紀前半には阿波を開拓しており,麁服の貢進などからヤマト王朝成立に関与したと推定される。麁服は,阿波忌部氏以外の者が調製した場合は単なる麻織物で,麁服とはならない。

(つづく)

 かぐや姫        天羽 達郎

 月探査衛星かぐや発射さる
    かぐや姫をば探しに行くのか

 月を愛で月に帰りしかぐや姫
    千歳過ぎても今なお恋しき

 平成19年9月14日金曜日,月周回衛星「かぐや」はH2Aロケットで発射に成功。3週間後に月周回軌道に入る。子衛星2個は別軌道に投入。1年間周回し月の地下5キロまでの鉱物などの分布を探る。

天岩戸神社例大祭に阿波国より参列
        天香具山神社宮司 橘 豊咲

 平成19年9月16日16時の定刻より早目に参進の笛の合図で祭典開始,温室に居る暑さの感覚の中で斎行する。祭典中大勢の方々の気配がしたので一瞥すると三村氏と天羽氏の顔が視野に入りました。
 皇祖天照皇大神,天鈿女命(あめのうずめのみこと),手力男命(たぢからおのみこと)等の神霊が紀元前の神代に遡りて,天岩戸の前方より,今日の祭典を見そなはして,参列された阿波の馴染の皆さんの,半ば緊張の表情を御覧になられて,大和の祝(はふり)等の様子に笑みを浮かべられた事と暫時恐懼(きょうく)におそれおののきました。
 祭典後時間が無く,とおり一遍の挨拶で失礼した事を反省している次第です。役員との直会(なおらい)の時間が長く,南浦センター付近のバス停から程近く最終バスに間に合いました。
 暫時阿波の皆さんの乗車のバスを眺めていたのですが,役員に促されて集会所に向かいました。喜寿になって一週間,御酒(みけ)を飲み過ぎない様に自重して来年皆様方にお会いしたいと思っております。
 太古の時代に思いをは馳せると,当時は赤米(玄米)稗等を原住民は口中に入れて噛んで醸したものと考えられます。美味で無くても時月を経て軽く酔いを覚えたものと思います。
 人生の三分の二の50年の歳月を大和の老官として過ごして来ました。来年も杖を使用せずに阿波の皆さんにお会いして,直会の席で,川柳の披露や,駄洒落で暫時過ごしたく今から思いをめぐらしています。

・・・・・。               西山 欣子

 今日は,珍しくちょいと体調不良。
 おかしいなあ? なんでだろ〜?
 考えてるうちに一日が終わってしまったよぉ。
 何にもしない日。
 どんどん小さくなる存在感。