五山の送り火     本多 幸代

 コスモスの花が咲き風に吹かれて,吹く風も少し冷たく思う,さわやかな秋になりました。
 少し時季はずれの文かも知れませんが,京都では8月16日にお盆に帰って来た仏様を見送るという行事です。
 人生80年と言われる時代,子供も独立して,いつか仕事も出来なくなる日も遠くはないでしょう。その先は老いと病と死を迎える迄の間,人生無情と思うか楽しいと思うかは心の持ちようでしょう。
 あゝ生まれて来てよかった。苦しいこと悲しいこともあったけど,楽しい日を思ってよくがんばって来たと思えるように,毎日を大切に楽しく人々と出合って行けたらいいなあと,五山の送り火の放映を見ながら思いました。

大切なカニサボテン   平 澄子

 3年くらい前に姉からカニサボテンをもらいました。一度,花が咲いたのですが,段々と枯れてしまいました。
 私が580円で買ったカニサボテンは,もう6年くらい元気で毎年花が咲きます。
 姉はまた,カニサボテンをあげると何度も言ってくれましたが,自信がないのでずっと断っていました。
 ところが,9月に2鉢持って来てくれました。白とピンクの花が咲くそうです。
 姉の所は柿の木の下で,丁度良い日射しになっているそうです。
 鉢をもらってからは,毎日気になって,あっちへ持って行ったり,いや,こっちが日当たりが良いと考えたりで大変です。
 来年の2月頃来る予定になっているので,立派な花を咲かせようと,朝夕にいつも気にかけて見ています。

天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 15
生 き る            三村 隆範

 悠久の時を越えて,命は生き続けています。
「命のメッセージ」旭山動物園 小菅正夫園長著に
  動物がすごいと思うのは,命ある限り,
  命だけを見て生きているということです。
  人間には到底できないことを,
  動物は平気でやっているのです。
 「命だけを見て生きる」本来,人間も平気でやっているのでしょうが,知識が発達したためでしょうか。人間は「生きる」こと以上に価値あることを見つけてしまったのでしょう?
 「生きること」以上に価値あることを見つけたその時から人間は,悩み・苦しみが始まったのでしょう。
 生物は,すべて快い方に向かって生きて不快を避けようとします。しかし,人間は快・不快を真・虚,善・悪,美・醜,損・得,好き・嫌い等々に分けて物事を判断し更に発展?していきます。そして「命だけを見て生きる」ことから目が離れ自分の気に入ったことを求め,気に入らないことを排除(逃げる)しようとします。
 阿波では,
  踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らな ソン ソン・・・
「すべてを同じ」と見ることから始まります。つまり,真・虚,善・悪,美・醜,好き・嫌い等々皆同じだ!と謡っているのです。
「踊らな ソン ソン」は,排除(逃げる)しようと謡っているのではなく,積極的に「命だけを見て生きよう」と云っているのです。
 何が起ころうと,どんなことが起きようと常に「生きよう」「生きよう」と云うことを見失わないようにする事です。
「そんなこと云われなくてもいつもやっている」
その通り,実祭いつもやっているのですが,時々そこから目(心)が離れ,損得好き嫌い等々に目が向いてイヤなことを見てしまうのです。
 いつも 楽しく生きる。
 それ以上 大切なものは,この世に ないんじゃないかな? (それから目を離さない。)
 宇宙には,命(生きる喜び)のつながりが連綿と続いているのじゃないですかねぇ。